第1話
楽しんでいただければ幸いです。
その日、リーフィアは騎士としての職務を果たすため、いつものように王城へ向かっていた。
彼女は、王城に出入りすることを許された騎士らしく、長身の引き締まった体によく磨かれた胸当てをつけ、腰には華美ではないが立派な装飾のついた剣を携えている。
整った顔をきりりと引き締めて、開けられていた城門をくぐり、挨拶を騎士の控室へと向かう。やや癖のある赤い長髪が、軽快な足取りにあわせてなびく。なかなかに精悍な騎士ぶりだ。
目的地の部屋に入ると、彼女たちの上司である隊長が、すでに席についていた。彼は、部屋に入って来たリーフィアに向って手を振った。どうやら朝一番に彼女に用があるようだ。
黒い眼で上司の動きをとらえたリーフィアは、まっすぐ彼の机へと向かい、きびきびとした動きで礼をする。
「おはよう、リーフィア」
「おはようございます」
お互いに挨拶を交わすと、リーフィアは用件を尋ねた。
隊長は用意していた一枚の紙をとり、大き目の机の上をすべらせるように彼女に差し出した。
「あたらしい辞令だ」
リーフィアは、机の紙を受け取って、書いてある内容を確認し驚いた。
本日付けで魔術師セトの護衛として配置がえがなされる旨が書かれていた。
「魔術師さまの護衛、ですか」
魔術師は騎士よりは上位の職であり、その護衛任務はありえる話であった。だがそれは都市間の移動の場合など明確に危険がある場合であった。王都内で騎士がわざわざ護衛任務につくというのは相当に珍しく思われた。
いぶかし気なリーフィアの様子を見て、隊長が説明を追加する。
「詳しい話は俺も知らん。直接本人から聞いてくれ」
すぐに向かうように、というその口ぶりは苦々し気だ。
命令書に押された印は、どうやらその魔術師のもので騎士団外からの指示のようだ。彼としては自分の頭ごしに部下を引き抜かれたわけで、面白くないのだろう。もっとも、急とはいえ命令なので、リーフィアは特に反感も抱かなかった。
今からすぐに行けということは、仕事の引継ぎも今日は不要ということだろう。幸い、急ぎの仕事も抱えておらず、騎士室には荷物もさして置いてない。
身軽な彼女はすぐに準備を終え、剣と命令書を持って部屋を出た。
命令書には、新しい勤務先の場所も書かれていた。
魔術師は特殊な職であるが、騎士よりはずいぶん上級の職であり数も少なく、通常は王城内に個室が与えられている。紙にかかれた簡易な地図に示されている場所は、どうやらセトの個室のようだ。
リーフィアは、しばらく王城内を歩き、セトの部屋に難なくたどりつく。彼女は以前に王城内の夜間警備をこなしていたこともあったため、迷うこともなかった。
部屋の扉にはりつけられた名前をみて、間違いのないことを確認すると、扉を三度、手の甲で丁寧に叩く。
リーフィアは扉から一歩身をひき、足を揃えて直立した。すぐに扉が開かれた。
現れた人物を見て、リーフィアは目を丸くした。
まっすぐな金色の髪を肩のあたりで切りそろえた子供が、透明な翠の目で彼女を見上げていた。まだ十をいくつか超えた程度の中性的でかわいらしい顔をしている。おそらくは少年であろう。まだ小さな体にはいくぶん大きすぎる、ぶかぶかな白いローブを着ているが、それが逆にほほえましく感じられた。
小間使いだろうか――――リーフィアはそう思ったが、それにしても少し幼すぎやしないだろうか。
「魔術師のセトさまに取り次いでもらえますか。騎士のリーフィアといいます」
リーフィアは、丁寧に礼を失しないように少年に話しかける。
「お入りください」
金髪の少年は彼女を見上げたまま、見た目同様、かわいらしい声で彼女を招き入れた。少年は、リーフィアをソファに座らせると、そのまま部屋の奥の扉から隣の部屋に引っ込んだ。
彼女が座ったソファは座り心地からして高級で、そのほかの家具も王城にふさわしく立派なもののようだ。しかし、リーフィアには、なんとなく殺風景な部屋に思われた。生活感があまりしないし、普段あまり使っていないのだろうか。そんなことを考えながらリーフィアが部屋を観察していると、金髪の少年は二人分のお茶とお菓子を盆に乗せて戻って来た。
「お待たせしてすみません。あまり慣れていないので……」
少年はそう言って、リーフィアの前に器と皿を並べる。慣れていないという言葉に嘘はないようで、並べる手つきがたどたどしく、なんだか危なっかしい。
リーフィアのために並べるのに必死なようで、片手で持ったお盆が徐々に傾いているのに気が付いてないようだ。
これ以上傾くと本当にあぶなそうだったので、リーフィアはそっと手を出してお盆を下から支えてやった。すると少年は驚いて、延ばされた彼女の手をはっと見た。そこで初めて自分の失態に気づいたようで、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「す、すみません」
ありがとうございますと礼を続けつつ、真っ赤になって縮こまる少年に、リーフィアはにこにこと表情をほころばせながら、どういたしましてと答えた。
少年は、盆をテーブルに置いて、もう一組のお茶とお菓子を並べると、お盆を抱えたままリーフィアの向かい側に腰を下ろした。
おや? とリーフィアが思う間もなく、少年が口を開いた。
「初めまして、魔術師のセトです」
またもや意表をつかれたリーフィアは、少年の言葉を受けて動きを止めた。
小間使いと思っていたら、魔術師本人だという言葉にリーフィアは何かの冗談だろうかと思いつつ、今度はじっくりと少年を見る。
疑わし気な彼女の様子であったが、想定内だったのか、セトと名乗った少年は今度は落ち着いていた。ぶかぶかのローブの首元をまさぐり、金色のネックレスを取り出して自分の顔の前にかかげて見せる。細い鎖の先には金属製のプレートがぶらさがっていた。
「確認してください」
言われたリーフィアは身を乗り出して、右手の指でぷらぷらしているプレートをつまむと、そのまま少量の魔力を流した。身分確認のための定められた呪文を唱えると、ぽうっと青白くプレートが輝いて、浮かび上がった文字は、魔術師セト・ラーディスと読み取れた。
「たしかに本物です。すごいですね」
リーフィアは、素直に感嘆の声をあげ少年を見る。魔術師は先天的な才能も重要であるが、技術と知識の習得にそれなりの訓練が必要でもあるからだ。
正確な年齢はわからないが、少なくともまだ大人には遠いといえる段階で魔術師の資格をとれているならば、相当に将来有望にちがいない。
「あ、あの……」
リーフィアが驚きのままセトの顔を見つめていると、少年は翠の目を伏せてもじもじし始めた。ほめられ慣れてないのだろうか、などと彼女が思っていると、少年は近いです、とうつむいて言った。
身を乗り出したリーフィアは、セトの顔に自分の顔を近づける格好になっていた。彼女がいつまでもプレートを握っていたせいで、セトは動けないでいる。
「え、ええ、ごめんなさい」
ぱっとプレートを手放した彼女の声は少し上ずっていた。少年のうぶな反応に、彼女もつられたのか、化粧気のない顔がすこしばかり赤らんだ。
解放されたセトは、照れ隠しのように彼女にお菓子をすすめ、二人はしばし無言でお菓子たべて紅茶で喉をうるおした。
「それで、詳しい話は直接きくようにと言われたのですが」
仕切り直して、リーフィアはセトに説明を求めた。
セトはひとつうなずいて、彼女へ今回の事情を話し始めた。
「リーフィアさんは、魔術師の種類についてご存知ですか」
「簡単な内容なら。詳しい内容については、よく知りません」
セトはそれを聞いてうなずき、念のために簡単な説明だけ確認する。
魔術師の術――すなわち魔術は、世界の理に働きかける。
その種類は大きく三つにわけられ、それぞれ一種、二種、三種と呼ばれている。
一種は、火を起こす、水を生み出す、岩や鉱物を変形させるなどの生物以外の世界の理を変化させるものだ。
二種は、傷や病気を癒したり、植物の生長を早めるなどといった生物の理に働きかけるものである。
そして最後の三種は、この世ならざる存在――たとえば幽霊や呪いなどの世界の理からはずれたものへと働きかけるものである、らしい。
一種二種の術は、術師でなくとも使える者も多く、市井の間にはそれを生業にするものもいる。術師はそれらの中でとりわけ力が強く知識も豊富な者、という位置づけになる。
一方で、三種が扱う領域は、禁止されている術も多く含まれる。幽霊退治などはわかりやすい例であるが、実際に被害が起こる場合は呪いの類が多いらしい。
そしてセトがいうには彼の専門は三種であるという。
「幽霊に呪い、ですよね」
リーフィアは、一応知識としては知っていたが、実際に三種の扱う領域は経験したことがなく、幽霊など見たこともなかった。呪いについても同様である。
「はい。三種の術は禁術とされていて、現在は普通の人たちにはほぼ関係がないものです」
ですが、とセトが続ける。禁術ゆえに使用する者は限定されるが、いまでもまれに禁を破り使用する者もいるという。セトの任務はそれらの術の調査し、対抗策を探ることだった。そして、禁を破る者たちが相手ゆえに危険がつきまとうため、荒ごと向けに専属の護衛が認められているらしい。
「少し前まで前任の方がいらしたのですが、すこし事情があってやめてしまったのです。それで新しく護衛が必要になったので……」
「なるほど」
セトの歯切れの悪い説明に、リーフィアはいろいろ疑問が浮かんだが、結局質問はそれ以上しなかった。説明できない事情があるのだろうと察したからだった。
話を聞く限り、セトの職は相当に専門的なものであり、一方で彼女にその知識はさほど必要ではないのだろう。
いずれにせよ命令はすでに下されており、彼女は粛々と己の任務を果たせばよかろうと判断した。なぜ、リーフィアを選んだのかという点は気になるが……。
「申し訳ありませんが、いま教えられるのはこの程度です」
リーフィアに疑問が生じるのはセトもわかっているらしく、そう付け加えた。
セトの表情に嘘は読み取れず、むしろ彼女への気遣いも感じられる。知ってしまうと彼女にとって都合がよろしくないのかもしれない。そう考えて、リーフィアは余計な詮索はしないことにした。
「それでさっそくなのですが、実は新しく調査の依頼が来ています」
説明はそれで終わり、セトは話題をかえた。
ある貴族の娘が病に伏せておりもしかしたらそれが呪いではなかろうか、という話だそうだ。
「今からその貴族の屋敷に行く予定です。リーフィアさんにも一緒に来ていただきたいのです」
「わかりました」
いきなり仕事であったが、そのために護衛を必要としていたのだろう。
リーフィアは快諾し、セトの頼みで馬を出してその貴族の家へ向かうこととなった。