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中学生になって、そろそろ二ヶ月。一年四組の教室にも、だいぶなじんできた。今日の五時間目は苦手な数学、眠気が……とか言いたいところだが、亜依は正直、それどころではなかった。
「なんで……なんであんな女がいいの……あたしよりあの女が……」
朝からずっと、近くでブツブツ言っている声が聞こえる。おかげで授業にさっぱり集中できない。今も、方程式の計算が終わらないままだ。
(うーん、これは生き霊だよなあ)
教室の中に、この声が聞こえている人は他にいない。
亜依には「聞こえる」霊感があるのだ。
幼い頃から、亜依はたくさんの「声」を聞いてきた。自分の能力があってよかったと思ったのは、父が亡くなった時だった。もう生きていない父の優しい声は、今でもはっきりと思い出せる。
ただし、聞きたくない声を聞いてしまうこともある。というより、その方が多い。まさに今のように。
さて、亜依は「聞こえる」が、見えない。「見える」相棒がいない今、声の主を特定するためには、聞いて情報を集めるしかなかった。
「なんで……なんでよ! あんな女! 男の前では清楚なふりして、ほんとは××で××で××なくせに!! なんであんな女っ……」
(うわあ……口悪う……嫉妬じゃん)
機械的に黒板の内容をノートに書きつつ、亜依は心の中でツッコミを入れる。
「あたしのほうが、ぜったい好き! 四年生のときから好きなんだから!」
(おっと新情報! 同じ小学校かあ)
「祥くんが、好き!」
(えっ!?)
心臓の音が聞こえる。
(自分の声かと思った……)
ノートの文字が少し震えている。亜依は静かに長く、息を吐くのを繰り返した。
「なるほど、お姉ちゃんも、その人好きなんだー」
妹の祐紀は小学六年生。恋愛話大好きなお年頃だ。
「それはそうなんだけど……問題はそっちじゃなくてね……」
「んー、つまり恋敵登場!」
「そうだけど、いや、それより」
「やな感じの生き霊だよねえ」
「そうそれ」
亜依にとっては、もう恋とか言っていられる心境ではない。
「もう……祐紀と成がいれば、誰か特定できるのに……」
「え? 誰か分からないの?」
「そうなの、同じクラスじゃないっぽい。聞いたことない声」
「うわあ……他のクラスから飛ばしてきてんの? ヤバい人だね」
「まあ、よっぽど好きなんだろうね……」
亜依は、ため息をつくしかなかった。
最初は放っておくつもりだった亜依だが、一日でかなり精神を消耗させられてしまった。声の主を突き止めて、なんとか円満に解決できないだろうか。
(祥くんと同じ小学校の女子を探せばいいんだけど、なんで探してんの? とか聞かれたら言い訳めんどくさいな)
結局、気心の知れた妹と幼なじみに頼ることに決めた。
「……と言うわけで、成! なんとか見れない?」
翌日、亜依は急いで帰宅し、小学校から帰ってきた幼なじみを捕まえた。妹の祐紀と同じ六年生の成は「見える」霊感がある。ちなみに祐紀は、見えも聞こえもしないが「感じる」タイプで、場の気配を察知することができる。三人揃えば、だいたいのまずいことは回避可能だ。
「話は分かったんだけど……言っていい?」
「うん、あたしも無理言ってるって知ってる! んー、成と祐紀が同い年だったらよかったのにー! でも、そこをなんとか」
「いや……亜依? たぶん大丈夫、っていうか大丈夫じゃないっていうか」
「ん?」
「あのさ……たぶんその人、ついてきてる」
「……は?」
「そこにいる。制服の女の人」
「……んーーー!?」
成の視線を追って振り返るが、亜依には何も見えない。
「え、いるの? 声しないんだけど?」
「ただ見てるっていうか、亜依をにらんでるっていうか」
「あたしを!?」
成が見ているのが、亜依が探している人物だとしたら、あの延々と続く愚痴の矛先は、亜依ということになる。
「ちょ、成、どんな人?」
「んーと、身長は亜依より少し高いくらいで、髪は一つに結んでて、亜依より少し太ってる」
「女子に太ってる、とか言わないの! モテないよ」
「今それどころじゃ……あ」
「なに?」
「亜依より……胸がある」
「それは太ってるからです脂肪です殺す」
「女子怖い」
「あー、お姉ちゃん、そこに何かいる……成、見える?」
委員会活動で遅くなっていた祐紀が帰ってきた。
「うん、そこにいるみたい」
「あ、消えた」
「消えた?」
「うん、気配も消えた」
三人は顔を見合わせる。
「……明日、ぜったい見つける!」
二日間、登校から下校まで愚痴を聞き続け、さすがの亜依もウンザリだった。今日も登校した途端、声が聞こえ始めた。教室に近づくにつれ、だんだんはっきりと聞き取れるようになっていく。
「なんで、なんであたしじゃなくてこんな女が……」
(始まったよ)
「こんな女が……」
(……ん? こんな? 近くにいる!?)
慌てて廊下を見渡すと、こちらに近づいてくる人物がいる。亜依より少し背が高く、少し太っていて、髪を一つに結んで、胸がある女子が、亜依の前で止まった。
「昼休み、話あるから付き合ってほしんだけど」
「で、なに? 祥くんの話?」
あまり人が通らない階段の陰。今日もウンザリしていた亜依は、先制攻撃することにした。
「は? なんで分かんの?」
「あーもう……知ってる! 四年生のときから好きなんでしょ?」
「え!」
相手は明らかにうろたえている。亜依は一気にまくし立てた。
「あのね、あたしも祥くんのことはカッコいいと思ってるよ? でもさあ、ほとんど話したこともないの! なんか誤解してるんなら、やめてほしいんだけど!」
「え……つき合ってないの?」
「違うっつってんの!!」
「違うの?」
「話、それだけ? じゃあね!」
長引かせたくない。亜依はボーッとしている相手を取り残し、早足で階段をのぼる。
(めんどくさい! めんどくさい! 生きてる人間、ほんとめんどくさい!)
恋心も吹っ飛びそうだ。泣きたいのか怒りなのか分からないまま、亜依は小走りに教室へと向かった。