探したのはこの場所で - 08
(……まだ、灯がついている)
目的地が近づき、遠目に建物が見えてくる。
細々と修繕しながら、でも、かつての記憶を揺さぶる懐かしい建物。
私はゆっくりハンドルを切り、車を駐車場へと滑り込ませる。
いつもは必ず空いていた駐車スペースは、しかし、今日は違った。
店内の明かりがささない場所まで行かないと、車のエンジンを止めることができなかったのだ。
(もう、閉店まで一時間もないというのに)
――ガチャ。
カギをしまい、ドアを開いて外へ出る。
遅い時間だというのに、たくさんの車と行き交う人々の姿が、視界に見える。
(よく通った頃ですら、こんなに、人がいただろうか)
もしかすると、この本屋ができた頃以来の、人の入りかもしれない。
(みな、無くなるからこそ、ここに来たのだろうか)
その事実に、胸のどこかが重くなる。
……私もその一人だから、何様のつもりだと、自分に言いたくもなったが。
(でも、それだけ、この本屋を惜しむ人達がいるということか)
田舎で最後に残った、老舗本屋。
今そこは、最後の時を前に、不思議な熱気に満たされていた。
悲しげな顔で語り合う人達や、逆に笑いながら談笑する人達など、人の感情は様々だ。
ただ、みなどこか懐かしそうに、建物や手元の紙袋を見つめている。
(顔見知りが、いるかもしれないな)
そんなことを想いながら、駐車場を進むと、カシャリと音が鳴った。
聞きなれたそれは、おそらく、携帯のシャッター音だろう。
見れば、携帯を構えている人も何人か見える。
建物を撮る人や、何人かで固まった姿を撮る人達など、その対象は様々だ。
ただ、私が印象的だったのは、駐車場の端に建てられたあるものだった。
(……そうだ。何度も、この場所に灯がともるのを、見かけてからも来たんだ)
それは、老舗店舗の立て看板。
年代を経て印象的な味を持ったそれは、夜の時間にまばゆく輝き、ここに本屋があるのだと教えてくれた。
(あの看板を目印に、来ていたな)
今も淡く灯るその輝きは、当時の記憶を、私の脳裏によみがえらせる。
(ずっと、変わらずに、いてくれたのか)
それらの景色を眼にするたびに、当時の記憶が、少しずつよみがえってくる。
周りを見れば、色々な人々がいた。
談笑する人や、写真を撮る人。
店員と仲良く話す人や、ぼーっとなにかを見続けるだけの人もいる。
田舎の、しかも夜中に、これだけの人々が集まっていることは珍しい。
それほど、みな、名残惜しいのだろう。
ずっと変わらず、それでいて新たな知識を受け入れ続けた、想い出のこの場所を。
まだ、信じることが、できないのかもしれない。
だからこそ最後に、別れを、惜しんでいるのだろう。
……私のように、過去を振り返りながら。
(知らない人々なのに、同じ場所を、知っている)
ともに成長し、時間を共有し、知識を与えてくれた場所。
どこか悲しそうに。
懐かしそうに。
想い出に耽るように。
みなが本屋で、各々の時間を過ごしている。
(……いや。ここはまだ、本屋じゃない)
駐車場だけでも、想いは膨らんでしまう。
通いなれたこのアスファルトが、当時の想いや記憶を、写しこんでくれているかのように。
……だが、本当の目的地へは、まだたどり着いていない。
そう考えた私は、人波にぶつからないようにしながら、駐車場を進む。
そして、夜の暗さを感じないほどの明かりが灯るそこに、しっかりと立った。
――静かな音を立てて、扉が開かれる。
自動ドアを超えて、私は、店内へと足を踏み入れた。
久しぶりに入った店内で、私は、少し陰りのある匂いを感じた。
それが、敷き詰められた本棚や店の匂いだと、身体の方が教えてくれる。
……変わらない。
眼に入る雰囲気は、昔のままだ。
清潔に保たれながらも、しっかりとした木造りの本棚が一面に並ぶ、重厚な眺め。
(奥に行くほど専門書が多くて、なかなか踏み入れなかったな)
かつての気分を想い出して、少しだけ口元が緩くなる。
記憶と身体が、当時を想い出したからだろうか。
軽くなった足取りで、なんとはなしに各コーナーを巡る。
種々様々、あらゆる知識や娯楽をまとめた良書の数々が、今も本棚を埋めている。
(……どういった本か、ある程度は、見分けられるようになったんだな)
でも、子供の頃に見た、恐ろしいほどの圧迫感はもうない。
冷静にそう分析する自分に気づくと、先ほどまでの足取りの軽さが、少しずつ無くなっていった。
本棚を見渡せるほどに成長した、自分の身体と知識。
かつての高揚感を想い出せないことに、戸惑いを感じる。
(しかし、前は、もっと……)
そして見回すほどに、変わってしまったことにも、気づき始めた。
胸を締めつけられたのは、棚の空白地帯。
まるで、挟み込まれるのを待っているかのように、ゆるんだ本の数々。
傾いて寄り添っているのは、そうでもしないと、倒れてしまうからだろう。
(前は、もっと、隙間なく飾られていたのに)
まるで平台のように、本の表紙で飾られた棚もあった。
一冊とれば、その裏には、もう本はない。
子供の頃はどの棚もみっしりと詰められ、気軽にとるのが大変だったように想う。
あの当時に感じた、圧倒的な、あまりにも手の届かない姿。
寄り添いあって、ようやく本棚を埋めているような、彼らの姿。
そこに、当時の圧迫感を感じることは、もうできなかった。
むしろ、引き取り手のいない、悲しい知識達の整列にも見えてしまった。
ただ、そう見えるのは……私自身が、なにを求めてここに来たのか、わからなくなっているからかもしれない。
(どうして、ここに来たのか)
衝動的に車を走らせ、読みたい本もないのに、なぜ自分はここへ来たのか。
今更ながらに、私は自問する。
――なにを、読めばいいんだろう。
――どれを、読めばいいのだろう。
かつて感じた胸のざわつきが、今もまた、私をふるえさせる。
あれから、時間も経った。
考えることも、できたはずだ。
けれど……今も変わらず、両手の指先は、なにもつかめず戸惑うだけ。
――もう、私は。
――ここに記された知識を、理解することは、できないのだろうか。
また、なにも手に持たず、帰路につく。
その考えが浮かび始めた、そんな時だった。
とても、とても久しぶりに、その声を聞いたのは。
「なにか、本をお探しですか?」
……幻でない、優しく穏やかな、その人の声を聞いたのは。