探したのはこの場所で - 07
(最後に、本に感動したのは、いつだっただろうか)
事務的な書類に目を通し、必要な部分を修正して、現場で対応する日々。
以前の、ゆったりと味わうように読んでいた世界とは異なる、現実世界の断片。
……それらが、嫌だというわけではない。
だが、あの頃のような想いを、持てなくなっているのも事実だった。
「一人で、見たのは……あの時か」
ある日、妻と娘と一緒に、ショッピングモールへ出かけた時のこと。
広い施設内を歩きながら、妻と娘はあるイベントへ興味を持った。
『待ち時間があるみたいね。あなた、どうする?』
女性向けのそのイベントに、妻は気をつかってくれたようだった。
興味のなかった私は、少しの間、別行動をすることにした。
だが、独りでさまよう施設内は見慣れない店ばかりで、入るのをためらった。
時計を見ながらさまよい、どうしようかと悩んでいると。
ふと、自分の眼に偶然入ってきた、その看板。
(独りで来るのは、久しぶりな気がするな)
誘われるように、ふらりと本屋へ、足を踏み入れていた。
雑誌の立ち読みをする大人。
まとめ買いをする学生。
本の入れ替えをする店員。
本屋特有のその光景を、どこか懐かしいと感じながら、私はいつもの技術系コーナーへ足を向けようとする。
(……いや)
ふと浮かんできた、懐かしい記憶。
(久しぶりに、あっちのコーナーも、見てみるか)
身体の向きを変え、いつもと違う――いや。
昔よく読んでいた、小説や学術系の書籍コーナーへと、足を運んだ。
たどりついた本棚には、ぎっしりと詰まった、本の列。
それらを眺めながら、私は、眼を見開いた。
(……なんで、だ?)
書籍のタイトルを見ながら抱いた気持ちに、愕然としたからだ。
どうしてそんな気持ちになっているのか、自分でも、わからない。
(なんで、こんなに胸が、ざわつくのだろう)
場違いな会議の席や、異性のグループに迷い込んだような、落ち着かなさ。
今の私の気持ちを占めるのは、そうした心地と、一つの事実。
そこに、ないのだ。
――読みたい本が、ないのだ。
かつて聞きなれた単語も、違う書名として、新たな著者が意見を紡いでいる。
聞きなれない作家の平積みは、私が知らないだけで、今の世代に人気があるものなのだろう。
全て、新しい体験と知的好奇心を、私へ与えてくれるはず。
……かつては、全ての本に、そう想えていたのに。
なにを読んでもいい。
家庭を持っても、まったく時間がないわけでもない。
新しい知識を吸収し、違う世界に想いをはせる。
妻も理解し、娘も物語は大好きだ。
そんな生活が、許されているというのに。
……私の手は、どの本のタイトルにも、伸びることはなかった。
(どれも手にとることが、できなかった)
――かつて、迷った時にささやいてくれた、彼女の声。
――聞こえるはずもないその声が、どんなものだったか。
――それすらも、まるで霞がかかったように、うまく想い出せなかった。
初めて感じた、その不安。
とまどい、立ちすくんだ自分は、変わってしまった自分をうまく受け入れることができなかった。
そんな自分を救ってくれたのは――家族と選んだ、着信音。
ふいに鳴った携帯電話で、今の自分を、取り戻すことができた。
急いで電話をとり、待ち合わせ場所へと身体を向ける。
……一冊の本も買わず、ただ、家族へ戻る自分へと必死に意識を向けていた。
(あの時の気持ちを、まだ、引きずっている)
その時の衝撃は、大きかった。
だから、本を見ることを、避けるようになったのかもしれない。
(通販やネットの、利便性。それに、必要なものの変化。だから、私は……)
――もう、しばらく、本屋という場所そのものへ行っていない。
ましてや、その想い出の本屋のことを、想いだすことすら……。