視界の広がるあの場所で - 37
私の言葉に、女性は、複雑な表情を見せながら口を開く。
「彼の来るのが、夜なら……また、あなたにも会えるのかしら」
期待するような響きだったけれど、首を横にふる。
「あの人が、この場所に求めていたのは、私じゃないと想うので」
「そう、なのかしら」
「そうですよ」
――わかっているはずなのに、とも想うけれど。
もしかすると、本当は、そんなことなかったのかもしれない。
女性にとって、この場所で、本について話し合うこと。
わたしや夫のような人々と、新しく出会うこと。
慈しむような、日々と時間。
彼女にとって、それらは、それ以外の何かに発展するものではなかったのかもしれない。
『わたしは、あくまでこの本屋の店員であり……彼と、本のことで話をする。そういう、ことなんです』
ふっと、遠い昔に聞いた、彼女の言葉がよみがえる。
――そう、最初から今に至るまで……お姉さんはこの書店の店員であり、なにも、変わっていないんだ。
「だから……お願いします」
私は、軽く頭を下げて、初めて本を探す以外のお願いをした。
「今日の夜、かつてあなたと本を探したあの人が、一人で来ると想うんです。だから……ご面倒ですけれど、また一緒に、探していただいてもいいですか」
頭を上げた私の眼には、戸惑ったような女性の顔があった。
でも、それは一瞬で変化して。
――包み込むような、あの柔らかい微笑みを、顔に浮かべてくれた。
わたし達を見守るような、憧れの、お姉さんとして。
「もちろんです。かしこまりました」
優しい笑顔は、わたしも好きだった、あの当時のまま。
この笑顔に惹かれて、一時期、忘れていた。
あいつのことを気にせず、ただ楽しくて、通い続けていたこともあった。
(惹かれていたの、よね)
変わらない、微笑みと声。
そして、気を落ち着けるような本の匂い。
懐かしい景色に、当時の想いがわきあがり……。
客観的な今の私が、かつてのわたしに、問いかける。
――淡い想いがあったのは、誰に対してなのだろう。
あの時にショックを受けたのは、本当に、彼だけだったのだろうか。
もしかしたら……と、少女のような想いをはせるのは、この場所があまりにも以前と同じだからだろうか。
(そう考えられるのも、もう、過去になってしまったからなのかな)
今の自分だって、全てはわからないのに。
過去の自分なんて、どうやっても、わかるはずがない。
だから私は、様々な想いを一つにまとめた、ある言葉だけを口にした。
「……本当に、ありがとうございます」
飾りや化粧をすれば、いくらでも形にはなるけれど。
それはもう、今の私がしてしまう、余分なものでしかないのだ。
――あの当時の、憧れと嫉妬。
それはもう、色あせて、遠くなってしまった。




