視界の広がるあの場所で - 32
「……え?」
身体の熱が、すっと、冷えていくのを感じた。
予想していた言葉より、聞こえてきたのが、ずっと怖いものだったから。
「ごめん、って、なんで」
わたしの口は、まだショックが追いついていないのか、ちょっと冷静。
だけど、気がゆるんだら。
……心と同じように、不安で泣くように、なってしまうかも。
それは、不思議だけれど、学も同じみたいだった。
わたしが、泣かないでいられるのも、彼の辛そうな顔がわかったから。
まるで、なにか大切なものをなくしてしまったような、そんな表情だった。
「今、言うのは……駄目なんだ」
ふりしぼるように、学は言う。
「……ダメって……なんで」
なにがダメなのか、わたしには、ぜんぜんわからない。
想像もできない。
友達の話にも、ドラマにも、恋愛小説にも。
こんな場面、書かれていない。
……本当の恋愛は、どうすればいいのか、自分で必死になるしかない。
か細いわたしの問いかけに、学は、答えない。
伏せたままの眼で、不安が、もっと大きくなる。
冷静でいられないわたしは、何度も何度も深呼吸をして、落ち着こうとする。
何度目かの、ふっと、力を抜いた時。
(ダメって……わたしが、ちゃんと言っていないから?)
あることを、想う。
――そうだ。
わたしは、一度も。
素直になったことが、ないんだ。
力を抜いた、自然のままに。
呼吸をするように、わたしは、その言葉を告げていた。
「あなたが……好き」
ようやく言えた、自分の想い。
その言葉に、驚いたように顔を上げる彼。
「ずっと前から、好きだった」
衝動的にわたしは、学へと想いを告げていた。
自分でも信じられないくらい、落ち着いた声で。
――ふられてから、ようやく。
大切な気持ちを、言えるようになるなんて。
自分の捻くれ具合が、本当に、嫌になる。
でもわたしは、今さらになって気持ちを告げられたことに、感動してもいた。
うるみそうになる眼で、彼の揺れる顔を見つめる。
すっと立った身体は、運動が苦手って印象のまま、とても細くて。
紅色の空の下で、とても映えるけれど、不安そうにも見えた。
答えを待つわたしに、彼は、ゆっくりと口を開ける。
「もう少し、時間が欲しいんだ」
「時間……なんの、時間?」
頷いてから、学は、続けて言う。
「……俺、失恋したんだ。ある人に」
「……そう、なの」
――知っているくせに。
わたしは、そんな自分の気持ちを、知らないという嘘で包んでしまう。
「だから、時間が欲しい。今、お前に甘えるのは……駄目、なんだ」
(なに、それ……。ぜんぜん、わからない)
男の子として、なのだろうか。
気持ちを切り替えられないっていうのと、まだ想いがあるような、そんな言い方。
(カッコつけなくても、いいのに)
せっかく、という不満と、けれど、という温もり。
わたしのなかで、二つの考えが、一緒に浮かぶ。
ただ彼の態度から、わかったことが、一つあった。
(……わたしを、ちゃんとわたしだって、見てくれてもいるんだね)
学は誰かの代わりとして、わたしを、選ばなかった。
ちゃんと、わたしを見れるようになってから、答えたいといってくれた。
――わたしも、そう。
あの人の代わり、とは想いたくない。
それに、そうなれるはずもない、ってわかってもいる。
だから……学もそう想ってくれていたのが、本当に、嬉しい。
でも……。
こうして、曖昧なままを望まれるのも。
悲しいって感じちゃうのは、わがままなのかな……。
「だから、教えてくれないか」
「教えて? なにを」
突然そんなことを言われて、なにを言われたのかわからない。
聞き返すわたしに、学は景色を眺めながら、言った。
「お前が、見ている景色。見たいんだ、もっと。見られるだけじゃ……なくて、さ」
「見られるだけじゃ、なくて?」
「咲希と、こうして一緒に歩いて……知らない場所を、見てみたいんだ」
「……えっ?」
優しく、お願いされるような声。
でも、瞳はしっかりと、わたしの方へと向いていた。
「お前と、一緒に歩きたいから。……もう少しだけ、待ってくれないか」
「それ、って……」
一緒に、歩きたい。
そう、学は言った。
でも、代わりには、したくない。
それも、彼は言ったはずだ。
――わたしの、場所を、知りたい。
あの人の、場所じゃなくて。
「ちゃんと、お前のことを知りたいから……それじゃ、駄目かな」
「ばか。ばか……!」
学の言葉に、もう止められなかった。
眼や口元が、泣いてしまうことを。
でもそれは、さっきまでの理由とは、違っていた。
「待ってない、から」
「えっ……」
不安そうな学に、わたしは。
涙をぬぐって、いつもの自分らしく、ぐっと手を握って言った。
「連れて行くから。いろいろと、いろんな場所に。……二人で、一緒に」
「そう、だな。……一緒に、行こう」
そんな約束を交わしてから、わたしは。
「ふふっ。不思議だね、いつも会っているのに」
なぜかちょっとおかしくなって、笑いながら、そう言っていた。
学も、硬い顔をやわらかくして、同じように苦笑する。
「いろいろ、教えてくれよ」
「わたしも、教えてほしい」
そうしてわたし達は、お互いに微笑みあう。
いつものような、変わらない関係。
結果としては、そう。
けれど……お互いのページを、少しだけ進めて。
わたし達は、そこに書かれた知らなかった想いを、読んだんだと想う。
――そしてそれが、お互いに。
なにかを変えたいっていう気持ちなんだって、想えたんだ。
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