視界の広がるあの場所で - 31
「本以外の、なんていうのかな。……現実っていうもので、見つけてほしいかな、って」
「現実で、見つける……」
考えこむようにそう言ってから、学は、もう一度口を開いた。
「なんで……そう、想うんだ?」
「本の中の、知識や想像も、楽しいけれど」
ぎゅっと両手を、組み合わせながら。
自分に言い聞かせるように、学へと呟く。
「やっぱりわたしは、今が好き。止まった時間より、走るような時間の方が、心地いいんだ」
――本を読んで、新しい考えを持つことができて。
それから、あの人や学、友達や先輩と話す、時間の中で。
たくさん、たくさん考えて。
……わたしにしっくり来るのは、自分で走るような、あの一瞬なんだって想えた。
「今の自分が、試せる時間……それって、今しかないから。だから、本だけじゃなくて……学にも、そうしたものを見つけて欲しいなって、想ったの」
「どうして、俺なんだ?」
「……それ、はね」
――あなたと一緒に歩く時間を、もっと、過ごしたいから。
「世界は広くて、あんたを見ている人も、いっぱいいるってこと」
「見ている人が、いっぱい……」
「そう。……たくさん、いるんだから」
学の顔を見て、そう、言ってしまってから。
(……なによ、たくさんって。わたしの、ばか)
すなおじゃない自分の言葉に、自分でダメ出しをする。
ここまで話せたのに、いざとなったら、どうしても正直になれない。
……今度、眼がにじみそうなのは、そんな自分が嫌になりそうだから。
あれだけ、変わったって、想っていたのに、
……面倒な自分は、まだ、変わりきってないんだ。
"――わたし、あなたをずっと、見ていたよ"
そう、言えなかった。
そう、言いたかったのに。
ごまかすような自分の言葉に、落ちこむけれど。
できるだけ、自然な顔を作りあげて、学の様子を見続ける。
……こわいな。
力を抜いたら、必死に作った顔が、こわれちゃいそうだよ。
そんなわたしの気持ちを、知っているはずはないけれど。
少しして――ゆっくり、学が口を開いた。
「俺を、見ている人がいるのは、知ってる」
「えっ……?」
真剣な声。
いつもと比べても……それは、とても深くて、重い言い方だった。
それは、丁寧で冷静な、あまり冗談を言わない彼の声によく似ている。
でも……幼なじみだからわかる、違いっていうものが、耳を越えて心に届いて。
「見ている人って……えっと……」
だからわたしは、眼を見開いて、意識を持っていかれてしまう。
さっきまでの作った顔を、もう、忘れてしまうほどに。
「今日、俺の様子を、見てくれていたからだろ」
わたしの誘いの理由を、彼は、気づいていた。
「それは、えっと」
うまい言い訳を――する必要も、よく考えれば、ないんだけれど――想いつく前に。
「……ありがと、な」
「……ううん。わたしも、無理に誘ったから」
嫌がっていないよって言葉は、なんで、こんなに安心するんだろう。
じっとしていると、また眼がうるみそうだったから、あわてて口を開く。
「来てくれて、ありがとう」
お礼を言ってから、深呼吸で、緊張をやわらかくしようとする。
(……あれ?)
そんなわたしの頭に、ふっと、ある景色が浮かんできた。
――それは、つい先日読み終わった、あの本の内容だった。
(高台の、夕暮れで、好きな男の子とって……)
――自分達の今の状況が、あの本のシーンと、重なって。
(最近読んだ、あの小説にあったのと、同じじゃない!?)
珍しく読んだ恋愛小説は、胸が苦しくなりながらも、二人の恋路が気になりっぱなしだった。
だから、たくさんのシーンが印象に残ってる。
その中でも、特に好きなのが、夕暮れの高台で告白するシーン。
……だから、らしくないものを、読んじゃったからなのか。
『ここって、あそこに似てるかも。学って、あの景色知ってるかな……?』
そんなことを、確かに、ぼんやりと想っていたような気もする。
(でも、だから誘った、というわけじゃなくて)
ここに来るまでは、本当に、すっかり忘れていた。
ただ、自分にとって好きな景色を、学に見せてあげようとしただけなのに。
(落ちこんでる学を、元気づけようと想っていただけで……!)
無意識って、怖い……!
関係ない関係ない、って、恋愛小説のことを忘れようとするけれど。
――次から次へと、甘いシーンが浮かんできてしまう。
だって、とても惹きこまれて、好きな場面は何度も読んでるくらいなんだから。
(で、でもでも、学がそんなこと言うわけが……!)
本の中の、かっこいい男の子。
……なんで、なんで学に、わたしのイメージは変換されてしまうのか。
"――わかってる。お前と、自分の気持ちを"
(う、うそウソ嘘……っ!?)
想い出した、男の子のセリフ。
小説なら、ここから先のシーンは、小説のクライマックス。
(でも、小説だもの。現実は、そんなことないもの……!)
学が、そんな言葉、言ってくれるはずはない……!
(わたしは、まだ、言ってないんだもの)
……学が、あの人に言っていないのと、同じように。
わたしも彼に、自分の想いを、言っていないから。
――新しいページは、書かれてない、想像のものでしかないんだ。
そう、想いもするけれど。
かすかに、頬が熱くなっているのが、わかる。
ゆっくり、学の口から、同じ言葉が出ないかって期待してしまう。
それくらいに、小説のそのシーンが、気に入ってもいたのも本当。
――もし、あの夢見るような場面の主人公が、わたしなら。
……こんなに高鳴る胸を、落ち着けって、できないよ。
心臓が、すごい勢いで鳴って。
どうやったら、収まるんだろうって。
……不安ばかりが、大きくなる。
(まさか、こうなることを見越して……?)
あの本の硬さと、手渡してくれた人の温もりが、手に想い出される。
――優しいあの人から勧められた、違和感のある、すてきな一冊。
それがまさか、こんな形で、つながっちゃうなんて。
もちろん、そんなエスパーじみたこと、できるわけない。
……そう、想いもするけれど。
(今のわたしと、彼の関係を、つないでくれたのもあの人だった)
出会いは、本当に、どんな変化を与えてくれるかわからない。
ずっと変わらなかったわたし達が、こんな、恋愛小説の世界に入りこんでしまったかのように。
いっぱい、たくさん、落ち着こうって言葉が頭にでてくるのに。
(……ど、どどど、どうしよう……!)
でも、いろいろな考えが頭を回っちゃって、ぜんぜん落ち着かない。
そんな、暴れるわたしの胸中へ向かって。
学は、口を開いた。
「前までも、気にはしてたけど……。今は、気にされてるって、わかってたんだ」
そう言って、彼は。
わたしの眼を、しっかりと見つめてくる。
(それって……もしかして)
予想もしていなかった言葉に、わたしの頭は、真っ白になる。
"――わたしも、わかってたよ。今まで、ずっと、素直になれなかったけれど"
浮かんできたのは、主人公の女の子のセリフ。
男の子の気持ちに、ようやくすなおになって、お互いに告白をする場面。
……いいのかな。
わたしは、彼女と同じ言葉を、彼に言ってもいいのかな。
そう考えると頬の熱が、さらに上がってしまいそうになる。
のぼせそうな、真っ白な頭の状態に。
彼は、言葉を続けた。
――すっと、眼をふせながら。
「だから、ごめん」




