視界の広がるあの場所で - 30
「ありがとう。着いたよ」
目的地にたどり着くと、今までの暗さが嘘みたいに、ばっと紅い色が一面に。
夕焼けの空に包まれながら、学を、一番の場所へ案内する。
「これは……」
一気に広がった視界に、学が眼を開く。
……その表情を見て、想わず、微笑んでしまう。
驚いては、くれたようだから。
――今、わたし達の眼には、空と街がいっぱいに広がっている。
紅い色へときれいに塗られた、一枚の絵のような景色が。
「こんな場所、あったのか」
公園の端っこから、道とも言えないような先にある、この場所。
学が崖側に足を踏み出したから、わたしは慌てる。
「あっ、あんまり近寄らないでね。柵はあるけど、倒れたら大変だから」
「いや、そんなに弱いつもりは……」
そこまで言いかけて、学は言葉を止める。
「……気をつけるよ」
「……う、うん」
わたしも、心配だから言ったんだけれど、そんなに落ちこまれると胸が痛いなぁ……。
(無理して運動させるのは、ダメだと想うけれどさ)
今後、機会があれば、体力作りをしてあげないとダメかなぁ……。
(勉強を見てもらってるみたいに、わたしが、そっちではサポートできれば)
そんなことを考えつつ、でもそれは後のことだって想って、考えを変える。
「確かにここは、進入禁止だな」
少し離れたところから、学が柵を見ながら言う。
安全のために設けられた柵は、ここにもある。
やっぱり、迷い込んだ人のために、造られているのだろう。
ただ……この柵の先は、一度落ちたら軽いケガじゃすまないような、厳しい崖になっている。
わたしの腰くらいしかない柵じゃ、絶対、安全って想えない。
そんな場所。
(でも、一度知ったら、また来たくなる。……そんな場所)
ここが閉ざされないのは、ここから見える景色が、とても綺麗だからだと想う。
空から眺めるように、とても広くて大きな世界を、風や匂いと一緒に魅せてくれるから。
「ねえ。とっても、良い景色だね」
しかも今まで見た中で、一番なんじゃないかと想う。
――ここは、先輩に教えてもらった穴場スポット。
ちょっぴり危険はつくけれど、その見返りはとっても大きいって、評判のところ。
……恋愛話の流れから、恋人と行くには最高の場所なんだって、すっごくオススメされた。
『咲希、行くなら今の時期だよ。ムードもいいから、普段と違う自分、出せるんじゃない?』
(……恥ずかしくて、そんなこと、想えもしなかったんだけれど)
こうして誘えて、ここに来ている自分を想うと、もう恥ずかしかった自分とは別人なのかなって想えてくる。
「けっこう、ここ好きなんだよね」
腰の高さくらいの柵に手をかけながら、街を見下ろす。
昔は柵がなくて、そのせいか事故もあったみたいで、今は知る人ぞ知る場所になっているらしい。
だから、『進入禁止』の立て看板もあるし、公園のマップにも書かれていないみたい。
そんな危ない場所でもあるんだけれど、どうしてか、また来たくなってしまう。
柵に力を入れられないから、ちょっと見づらいけれど。
(ぐるりと見回す景色が、やっぱり、最高なんだよね)
何度来ても、きれいだなって想える景色に、感心していると。
「……そうだな。なんか、壮大だ」
同じように景色を見ながら、学が呟く。
あまり調子は変わらないけれど、感情が出にくいのは知っているから、これでも驚いているんだろうな。
「そうよ。だから、一緒に見て欲しかったの」
「この、景色を?」
うん、と頷いてから。
(……普段と、違う自分か)
先輩の言葉を、想い出しながら。
わたしは、柵から身体を離して、学へと向き直る。
「今だけしか、見れないかもしれないから」
「今だけ……?」
呟いてから、あぁ、と学は一言。
「危険だからか。あの柵は、もしかして途中なのか」
「うん。この柵も、もっと高くなるかも。危ないから、閉じようって話もあるって聞いたし」
こんな良い景色の見える隠れスポットだけれど、立ち入り禁止にした方がいいって意見もあるみたい。
しかたない気もするし、どうしてって気もして、両方わかる。
でも、もしかすると、そうなるのはすぐかもしれない。
もう見れないかも、って考えたら、今の内に見ておきたくなった。
――自分だけじゃなくて、一緒に、見てほしい人と。
「わたし、わかったの」
「わかったって……」
突然の言葉に、顔を難しくする学。
(そうだね。今は、眼の前の空が、すごくきれいだもんね)
想わず、そればっかりに意識が集中しちゃうほど、魅力的な場所。
でも、ここにしかない景色から、眼を外して。
わたしは、じっと彼を見つめる。
「本の中にも、いろいろな景色があるんだなって。そう、知ったの」
それは、あの人に教えてもらったこと。
――わたしと。
そしておそらく、学も。
「本を読んで見ていたのは、そういう、今はここにないものなんだろうなって。だから、魅力的なんだろうなって。……それで、あってるかな?」
一緒に見る景色は、なにも、現実だけの一瞬じゃない。
本について話し合えるようになった時間にも、わたし達は、同じ時間を過ごしている。
……彼と二人で、知らなかった一面を、知っていく一ページを。
「最近、やたら本を読んでるように見えたのは、そういうことだったのか」
「う~ん。好奇心、っていう感じなのかな? そういうことに、なるのかもね」
「好奇心?」
「うん。……誰かのことを知るなら、本を読むみたいにしなきゃって、想ったらね」
――言ってから、すごく、想いきったことを言ったなって気づく。
心臓が、遅れてドキリと、高鳴る。
(……こわいな)
ぎゅっと、手を握り締めて、学の言葉を待つ。
でも、待っている言葉は、いつまでも返ってこない。
無言の時間が、とても長く、感じられて。
「嫌だった?」
想わずわたしは、口を開いてしまう。
風もない、静かな景色は、声がよく通った。
「嫌って、なにが」
「わたしが、本を読み始めたこと。……あなたの好きなものに、入ってきたこと」
学は、少しためらい。
顔を少しずらしてから、口を開いた。
「嫌じゃ、ない」
――それは、紅く染まった、空のせいなんだろうか。
学の顔が、どこか、恥ずかしそうに赤くなっているように想えた。
「正直、嬉しかったのは、ある」
「……そう。わたしも、嬉しい」
そしてそれは、たぶん、熱っぽいわたしもだ。
……涙なんて、自分には関係ないものだって、想っていたけれど。
(今日は、ハンカチ、使うわけにはいかないのに)
必死に、眼からこぼれないように力を入れて、学を見つめる。
だって、今のこの姿も、もう出会えない一瞬なんだろうから。
「それに、だ。本を読む読まないで嫌っていたら、いろいろ問題あるだろ。俺、誰ともつきあえなくなっちまう」
「そうだね。そう言われれば、そうかも」
(……入っちゃったのは、それだけじゃない、んだけれど)
心のなかだけで、そう呟いて、あの人のことは口に出さない。
代わりに、今日ここに来た理由を、一気に話す。
「だから、わたしも教えてあげたかった。この場所でも、ステキな景色があるって……見つけて欲しいな、って」
「この場所って……。ここの、景色のことか?」
「そうね。でも、それだけじゃなくてね」
この景色を見せたかったのは、確かに、ここに来た理由でもある。
でも、わたしがこの場所で彼に言いたかったのは……少し、別のことなんだ。
不思議そうな学に、ようやく見つけられた言葉を、たどたどしくだけど伝える。




