視界の広がるあの場所で - 29
※※※
「……な、なに考えてんだ、死ぬぞ……」
苦しそうな声が背中に聞こえて、足を止める。
そんなに早く進んだつもりは、なかったんだけれど。
「死なないわよ。わたし、自主トレでよく走ってるもの」
まだまだ余裕のわたしは、振り返って言う。
「でも、こっちの方は、あまり来ないからな……」
学の家とも、わたしの家とも、ちょっと違う方角の道。
この辺りでは有名な進学校へと続く道を、わたし達は歩いている。
その道は、山道を舗装したような急な坂になっていて、その学校の生徒達も不満を言いながら登校してるって聞く。
でもその坂道は、適度な距離と角度から、ウォーキング好きに親しまれているのでも有名だった。
だから確かに坂は急だし、少し走ろうとは言ったけれど。
「意外に、この坂、辛いんだな」
「だ、大丈夫?」
ぜんぜん息が戻らないのに心配して、慌てて駆けよる。
(体育が苦手だったの、本当だったんだね)
想っていたより学の体力が少なくて、わたしも驚き。
確かに、男子の体育なんて、じっと見てはいなかった。
だから、いつもそう見えないよう、うまくやっていただけなのかもしれない。
「お、お前、自分と同じだって……考えるなよ……」
ぜーはーと荒く息を吐きながらそう言われると、ちょっと反省する。
「ご、ごめん。でもさ、やっぱり普段から運動しないと、大変になるんだって」
ただ、こんなに体力がないのも、今後が心配になる。
そう想って言うけれど、学はひらひらと手をふるだけ。
「こ、こんな運動する環境にならないよう、生きていくよ……」
運動嫌いらしいその言葉に、ふっと、ある考えが浮かぶ。
あれっ?
学の学力なら、こっちの高校に行くのも簡単だったはずだけれど……。
「……もしかして学、こっちの学校行かなかったのって」
想いついた考えを口にするより早く、学は必死に否定する。
「違う、違うぞ! 決して体力がないとか、そう言うんじゃないからな!?」
声も戻ってきたのか、はっきりと力強く、こちらへ来なかった理由を言ってくれた。
「はいはい、じゃあゆっくり行きましょうか」
その点には深く聞かず、わたしはまた、坂の上へと視線を戻した。
足を踏み出すと、後ろから、学のついてくる足音がする。
(……それでも今、わたしと一緒に、歩いてくれているんだ)
足が弾みそうになるけれど、がまん、がまん。
そう、元々この道にいると、足が勝手に走り出してしまいそうになる。
だってここは、よく走り慣れた、お気に入りの道だから。
(でも、今日来たのは、違う目的)
その道の先を想い描いていた、わたしの背中に。
「なんでだ?」
背中からの声に、足を止める。
ただ、質問の意味がわからず、一瞬きょとんとしてしまう。
「なんで、って?」
わたしのその様子に、焦ったような声で、学が応える。
「ここに来た理由。まさか、あっちの学校に用があるのか?」
「……なんでって、あぁ、そういうことね。ううん、違うよ」
確かにこの道は、その学校の学生が多い。
ウォーキングやランニングが趣味の大人もいるから、それだけじゃないけれど。
「まさか、ランニングしに来ただけか」
「それも違うよ。目的地は、ちゃんとあるの」
「目的地か。他には……この先って、なにがあったっけ」
周囲に眼を向けながら、目的地を考えているんだろうなって、学の姿。
(……あれ? まだ、言ってなかったんだっけ)
なんでそんなにぐるぐる眼を回しているのかって言えば、そうか。
一緒に行くということばかり考えて、理由を告げるのを、すっかり忘れていたんだ。
不安そうな顔を安心させるために、できるだけ、優しく声をかける。
「ねぇ、こっちに来て」
「いや、もうきついんだけれど」
わたしの誘いの言葉に、一歩、足を引く姿が見える。
「大丈夫、もう走らないよ。ゆっくりでいいから、一緒に行こう」
ここまで来たら、目的地はもうすぐ。
なら……あえて目的地は言わずに、行ってみよう。
――初めての景色を、なんの想いこみもなしに、味わってもらいたいから。
「……わかったよ」
しかたない、って言い方だったけれど、口元には笑みが浮かんでいた。
その様子にほっとして、わたし達は並んで、坂を進み始める。
ある程度進むと、大きな学校の門。
横目に見ながら通り過ぎて、次は、その学校のグラウンド。
反対側には、バス停や休憩所に、小さな喫茶店。
もっと行けば、昔からありそうな服屋さんに、華やかなコンビニ。
そういった建物をかまわず、ゆっくり、学のペースにあわせて進んでいく。
(ゆっくり歩くのって、新鮮だな)
駆け抜けていた街並みが、いろんな色を持ってるって、よくわかる。
そうしながら、わたしはある場所で足を止める。
隣に並んだ学が、小さく呟く。
「ここって……公園、か?」
「うん。ここが、目的地だよ」
――坂道の先にある、山に造られた街の、その外れにある公園。
彼に見せたい景色は、わたし達の街と、山の街。
その、境目にある。
そこは、森を切り開いて造られた、小さな公園だった。
けっこう昔からある、特に目立つところのない場所。
遊具も普通だし、特に目立つようなイベントをやっていたりもしない。
元々が森だったせいか、やたらと広いのが、特徴といえば特徴かな?
ただ、高台だから景色もいいはずなんだけれど、周囲に林や森があるせいで、今一つぱっとしない。
少し歩いただけで眼に入る、落ちないように作られた柵も、その原因の一つかもしれない。
「ここで練習したり、してるのか」
「たまにね。場所も広いし、それに……あんまり、人もいないから」
「確かに」
人影が少ないのは、今日に限ったことじゃなく、いつものこと。
ここに来るには、さっき登った坂道を、どうしても通る必要がある。
だから、この公園に来る人は、どうしても限られちゃう。
周辺に住んでいる人は来るけれど、わたし達の街の子供やお母さんは、あんまり来てはいないみたいだ。
「あっちの子達も、いそうなもんだけどな」
学が、後ろをちらりと見ながらそう言う。
「なかなか遊ぶ時間も、ないのかもね」
さっきの学校の子達も、たまにいる姿を見かける。
ただ、やっぱり進学校の子達だからか、あまり遅くまではいないみたい。
今日は、ランニング姿をまとった男の人や、小学校高学年くらいの男の子達が見える。
そういった、体力があって、来やすい人達が、この公園の主な使用者。
「ここで、どうするんだ」
この公園の主な使用者に、わたし達は、あんまり会っていない。
戸惑うような学の言葉は、それを感じているのかも。
(公園に来るだけなら、ここじゃなくてもいいものね)
ぱっと見て、特に目立つようなもののない、普通の公園。
だから、そう聞いてくる学の気持ちは、すごくよくわかる。
自由に走ったり、ゆっくりと話せる場所に行きたいなら、わざわざこの公園に来る必要はないから。
「こっちだよ、ついてきて」
わたしは指をさして、森の方へ足を進める。
整地された、公園の端。
森の奥に踏み込まないように造られた、柵の列。
(ちゃんと……あるよね?)
この間見た時は、まだ、大丈夫だったけれど。
「……よかった」
柵の列の端、ちょっと見では気づかないところ。
変わらないそれを見て、まずは一安心。
「こっちは……あれ?」
意外そうな声をあげる学。
わたしが見ているものに、気づいたんだろう。
公園の端は安全のため、外周に柵が作られている。
その柵がなくなる、一番端の、その裏側。
――実はそこに、小さな細い道がある。
そしてその先は、辺りの森のなかへと、つながっているんだ。
「意外と気づかないのよね」
「ここって、入っていい場所なのか?」
不安そうな声で聞かれて、大丈夫、とは言えなかった。
今から行こうとしている場所は、確かに、あまり入っていい場所ではないんだよね……。
「周りをよく見れば、大丈夫……だけど」
さっきの学の体力を見ると、少し不安かなぁ……。
ううん、と、小さく悩んでいると。
「……この先に、お前の見せたい何かがあるのか?」
真剣な顔で、そう、問いかけられたから。
「……うん」
小さく、力強く、わたしは答えた。
「じゃあ、仕方ないな」
なにが仕方ないのか、わからなかったけれど。
(信じて、くれてるんだ)
そんな、ちょっとした信頼が、たまらなく嬉しい。
「不安なら、声をかけて。あと、足下に気をつけてね」
弾みそうになる足を、必死に冷静にさせて。
注意する言葉をかけながら、わたしは先に立って、森の方へと向かう。
二人で入った森の中は、夕焼けのまぶしさを隠すように、どこか暗さを感じる。
「おい、これって」
「昔は柵もなくて、迷っちゃう人も出たから、隠しているようにしたんだって」
教えてくれた先輩からは、そう聞いている。
こんなに暗い道、独りで迷っちゃったら、泣いちゃう子とかもいるよね。
(だから、早く来たかったんだ)
目的のものを見るのに、今日という日は、最高だと想うから。
「暗いな……」
足元に気をつけながら、学の速度にあわせる。
小さな小道は、木々のせいで先がよく見えないけれど、それは曲がりくねった道のせい。
「進入禁止……」
眼に映った看板の文字を、学が呟く。
気になったけれど、足は止めない。
聞かれれば、答えるつもりだったけれど。
(あの場所は、危ないところ。でも……それと同じくらい、きれいなところ)
そう、答えられる気持ちはあった。
学は、けれど、特になにも言わずに後をついてきてくれた。
進入禁止の看板の、少し先。
木々で進めなくなった道を、一度回りこんでから、また進む。
それから、少し先に。
――紅い、出口の光が見えた。




