視界の広がるあの場所で - 27
「彼は、読んでも……」
学の様子を想い返しながら、言いかけるけれど。
(あっ……)
お姉さんの話を混ぜながら、わたしは、口を開く。
少し、らしくない、苦い笑いをしながら。
「違い、ますね。……彼、まだ、読ませてくださいとも……言っていないんですよね」
そう、だ。
……わたしが、学に気持ちを、ちゃんと言えていないように。
彼も、ちゃんと告げていないんだろう。
だって、もし言ったなら、わかるもの。
それくらいには……彼のことを、見ている自信があるもの。
(だから今は。わたしが、お姉さんを困らせているだけ)
ありもしない関係を疑った自分が、本当に、大人から遠いなって想う。
「あの……ごめんなさい」
それに気づいて、わたしの口は自然に開いていた。
「いえ。……お気持ちは、落ち着かれましたか」
ここまで、幼い私の問いかけに付き合ってくれる。
……この人は、だから、勘違いをさせてしまうんだろう。
でもそれは、この人のせいじゃない。
「……私ね、一人っ子なんです」
突然、お姉さんがぽつりと言う。
どういう意味かわからなくて、言葉の続きを待つ。
「だから、楽しくて、嬉しかったんですよ」
「楽しくて、嬉しかった……?」
「彼が成長して、本を探してくれて、自分の考えを持つようになって」
柔らかい眼をもっと細めて、お姉さんは考えるような顔になる。
――想い返しているのかもしれない。
学と会ってから、今、彼と話し合った時間を。
「弟がいれば、こんな感じなのかなって……。おかしい、ですよね」
漏れ出た言葉は、少し揺れているように想えた。
それは、店員としてではない、お姉さんとしての言葉。
きっと、そうなんだって。
わたしは、勝手に想えてしまった。
(だから、それ以上じゃ、ないんだ)
――自分は、店員でしかないんです。
……そういう言葉の、ちょっと裏にある、違うお姉さんとしての想い。
わたしは、触れた想いを感じながら、問いかけた。
「……彼に、いつ、言われるんですか」
結婚、という言葉を、入れられなかったけれど。
お姉さんは、わたしの問いかけに、きっぱりと答えてくれた。
「自分から、言う気はありません」
冷静な顔のまま、お姉さんは続けた。
「わたしは、あくまでこの本屋の店員であり……彼と、本のことで話をする。そういう、ことなんです」
同じ言葉を重ねるように、お姉さんは口にする。
さっき、わたしに聞かせてくれた想いへ、蓋をするかのように。
「もちろん、彼と語るのが、嫌なわけではありませんけれど」
「でも、それは……この場所で、語るから、ですよね」
「そうですね……。それが、私が彼と過ごした、時間ですから」
――それ以上になろうとするには、学は、走る時間が違いすぎたのかもしれない。
開催日の違う、会場のゴール。
届きたくても、その場所には、たどり着きようがない。
「……彼に、読まれたいと……想われますか?」
唐突に言われた言葉に、心臓が、どきりと跳ねる。
「それって、どういう意味、ですか」
見抜かれたような、射抜かれたような、お姉さんの視線。
「お互いに読みあうように、この世界とつなげるには……ご自分で動くしか、ないと想うんです」
「……そう、ですね」
それは、わたしが教えられたこと。
お姉さん――店員さんの薦めで、変わり、受け入れて、わかったこと。
だから、今もそれは……続いているんだと想う。
「動くのは、得意ですからね」
ぎこちない笑みなのは、わかっていたけれど。
わたしは必死にそれを浮かべて、明るそうに見せる。
……でも、わたしへ返される、店員さんの微笑みが。
どうしてか、いつもより暗そうに見えたのは。
はたして、見ているわたしのせいなんだろうか。
「……お帰りに、なられますか」
問いかけに頷いて、小さな声で「そうします」と答える。
「あの……ありがとう、ございました。ハンカチ……」
「大丈夫ですよ」
洗濯して返そうと想っていたのに、すっとわたしの手元から、ハンカチが抜き取られる。
「で、でも、洗濯しなきゃ」
指を差しだすけれど、もうハンカチはしまわれた後。
「また、来ていただければ、それだけで十分ですから」
それ以上、なにも言えないような笑みに、わたしは手を戻してしまう。
「……はい」
頷いて、イスから立ち上がる。
手招きについていって、休憩室を出る。
そのままレジへと向かい、ずっと手に持っていた恋愛小説を差しだして、お金を払った。
(紹介されたの、ほんと、少し前なのに)
握られ続けた恋愛小説は、新品なのに、どこかくたびれたような形をしていた。
「ありがとうございます」
かけられたお礼の言葉に、わたしは、もう一度言った。
「あの……いろいろ、すみませんでした」
レジに戻った店員さんの様子は、もう、いつも通り。
さっき、休憩室で見せてくれたような、不安定な様子はもうなかった。
(大人の人って……そう、割り切れるものなのかな)
割り切れないわたしは、まだ、子供でしかないんだろうか。
「いえ。またのお越しを、お待ちしております」
「はい。……また」
複雑な気持ちを抱えて、わたしは、その日の店内を後にした。
……それが、学のことを想ってなのか。
彼女との距離を、感じてのことなのか。
ごちゃごちゃして、わからなかったけれど。
――昔から、学が大切にしていた、憧れの本。
学はもうすぐ、新しいページをめくるんだろう。
その本が、新しい章へと変わるのを、読むことになるんだろう。
それは、理解できたけれど。
……その部分を読むことで、どんな気持ちに、なるんだろう。
わたしには、全然、想像することもできなかった。
でも、それは。
……彼にとって、読み進めることが、出来ないものなんじゃないのかって。
そればかりを、考えていた。
――恋愛小説は、とてもステキな物語だった。
けれど、そこから受けた苦さと甘さを、あの人に伝えることはなかった。
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