表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/48

視界の広がるあの場所で - 23

 どきり、と心臓が跳ね上がる。

 ……同じくらいの歳で、同じように話しあえて、同じように本を読む誰か。

「そ、そうなんですか。どういう子なんです?」

 心の中をがんばって落ち着かせて、話をあわせる。

(そうよ。いったい、誰のことなんだろう)

 頭の中に浮かぶのは、もちろん、一人だけ。

 でも、もしかすると、違う子かもしれない。

 学校の知り合いも、女友達も、たくさんここに来ているんだし。


 ――必死にわたしは、浮かぶ一人の顔を、違うって想おうとした。

 なぜか、わからなかったけれど。

 お姉さんに、彼の名前を、言ってほしくなかったから。


「不思議な縁、なんです」

「不思議な、縁……」

「ええ。すごく小さい頃から、知っている子なんですよ」

 ……でも、その一言で、誰を指しているのかわかってしまう。

 そんなに昔から、この本屋さんへ通って。

 そして、わたしが見ていたような笑みを、浮かべさせる人。

(やっぱり、覚えているよね)


 ――彼にとって、特別であるように。

 ――お姉さんにとっても、彼は特別なのか。


「小さいって、今は、わたしと同じくらいなのに?」

「この書店が出来て、すぐの頃ですから……十年近く、経つでしょうか。ご両親と一緒に、よくここへ来られていたんです」

「……女の子、なんですか」

 わかっているのに、わたしは、問いかけずにはいられなかった。

 変わらないお姉さんの笑顔が、この時は、なぜか胸の奥を締めつける。

「男の子ですよ。今も、いろいろな本を探しに、ここへ来られるんです」


 ……やっぱりその子は、(まなぶ)なんだろう。


「その子は、他の子と違うんですか」

 抑えて、おさえて……。

 そう想いながら話す、自分の声。

 なぜか、他人の声を聞くみたいに、遠く硬く聞こえてくる。

「違う、ということはないんですけれど」

 お姉さんの表情に、少し困ったような様子が見えた。

 ……そんな気がした。

「ずっと、成長しながら、一緒に見つけてきましたから」


 ――ずっと、一緒に。

 その言葉は、わたしにも、当てはまるはずなのに。


「違わない、のに。……その子は、ちょっと、特別なんですか」

 同じ意味だとわかっていても、わたしは、聞かずにいられなかった。

 だって、今、わたしに見せたお姉さんの表情。

 ……いつも、お店で浮かべているものと、違うように感じてしまったから。

(もっと読んでいれば、調べていれば、聞いていれば。……もっと、わかったのかな)

 手元の本を握りながら、そんな、もしものことを考えてしまう。

 ……知っていたとしても、むしろ、気持ちが暗くなるだけだってわかっているのに。

(どうして、そんなに言葉を、探しているんですか)

 言葉に迷う姿を、始めて見た気がする。

 どんな相談にも、どんな本でも、お姉さんは優しい返答をしてくれた。

 わたしの耳と心に、心地よい言葉を、返してくれた。

 ……なのに、今のお姉さんは、すぐに言葉を選ばない。

 視線は、何かを考えるように、本の間を行き来して。

 手元は、なにかを探るように、もう一方の手を撫でている。


 ――言いよどんでいるお姉さんは、新鮮で。

 でも、その新鮮さが、胸の奥を暗くさせる。


 ゆっくり、お姉さんは口を開く。

 少しだけ、困ったような笑顔を、造りながら。


「……そうですね。少し、違うのかもしれません」


「そう、なんですか」

 答えを聞いて、ふっと、ある考えが浮かぶ。

 お客さんたちのいる手前、『違います』と認めるのが、いけないことだったのかもしれない。

 無理に、そうした答えを聞いてしまったんだろうか。

 そう考え、わたしの気持ちが、また少し重くなる。

 代わりに、認めたお姉さんの顔は、どこか晴れやかなものに変わっていた。

「そう、やっぱり違うのかもしれません。彼の成長を見つめるのは……私にとっても、とても大切な時間だったんですよ」

 ゆっくりと熱が漏れ出るような、お姉さんの色づいた言葉。

「……そう、なんですね」

 わたしは、無感情に、受け答えて。

(やっぱり、そう、なんですよね)


 ――手元の恋愛小説を、強く、握りしめてしまう。


 この本の中に、どんな物語が書かれていたとしても。

 ……それは、今のわたしを、助けてくれるものなんだろうか。

 わたしが今、感じている以上のざわめきを、越えるものがあるんだろうか。

 八つ当たりなのは、わかっていた。

 本に罪はない。

 でも、そんな不安を感じてしまったわたしは、お姉さんから眼を離せない。


 ――彼女も、彼のことが、気になっている。

 その、事実に。


「……あの」

「はい?」

「年下の男の子に……興味は、あるんですか」

「……えっ?」

 戸惑うようなお姉さんの顔を見て、わたしは、ようやく冷静になった。

 そして、自分がなにを言ったのかを、ちゃんと理解してしまう。

「……っ!」

 顔を下げて、唇を強く閉じてしまう。

 熱くなった頬に、顔がどうなっているのかわかったけれど、どうにもならない。

 ……初めて、お姉さんと会った時と同じだ。

 ちゃんと顔をあわせて、向き合えない。

 そんな、恥ずかしさでいっぱいの、感覚。

(なにを、言っているのよ)

 ……聞くべきなら、もっと、良い言葉があったはずなのに。

 顔が見えなくなっても、お姉さんが、そこにいるのはわかった。

 なかなか答えが返ってこなくて、それに違う話題も出てこないのは、困っているからなんだろうか。

「……どう応えればいいのか、困る質問ではありますね」

 少しだけ、困ったように笑いながら、お姉さんはそう言った。

 わたしは、頭を上げる。

 ずっと頭を下げているのも失礼だから、ちゃんと、眼を見て謝る。

「そう、ですよね……。ごめんなさい」

 わたしの言葉を聞いて、お姉さんの口元の笑みが、薄くなった。

 それから、唇に指をよせて、考え込むように視線をそらす。

 色づきのよい唇に、細くきれいな指先が、触れる。

 その姿が、いつもよりもっと大人に見えて、どきっとする。

「……気になりますか」

 その仕草のまま、眼だけを、わたしの瞳にあわせてくる。

 いつもの優しい微笑みとは違う、面接のような、どこか怖い感じ。

 でもなぜか、誘われているような、変な気分にもさせられる。

 ……そんなこと、ありえないのに。

(気になる、けど……なにが、気になる?)

 心臓がどきっとして、落ち着かないのが、はっきりとわかった。

 驚きすぎて、わたしの眼と頭のなかは、お姉さんの顔しか見えていない。

 そこには、しっかりとこっちを見る、二つの瞳。

 それは、本をすすめてくれたり、楽しそうに話をする時とは、違う輝き。

 黒くて、考え深くて、惹きこまれる。


 ――お姉さんの見せる別の表情に、わたしは、不思議な魅力を感じていた。


(……今、気になるのは、どっち?)


 自分に問いかけて、でも、答えは知っている。

 二度、驚いたからだろうか。

 わたしの顔からは、もう赤みも引いて、考えもすっきりとしたものになっていた。

 だから、さっきは変だと想っていた質問も、今ならちゃんと言える。

「はい、すみません。どうしても、聞かせてほしいんです」

 一度、深呼吸をして。

 今、聞きたいことを、ちゃんと伝える。


 ――新しいページを、開くために。


「……彼のことを、どう想っていますか」


 嘘のない、答えの欲しい、お願いを口にする。

 ……それは、今にして想えば、最初から持っていた疑問と不安。

 お姉さんに、本当は、ずっと聞きたかったことなのかもしれない。

(いろいろ、お話しできること。……本当に、楽しかった、けれど)

 もう、ここで見てはいない、二人の時間。

 見なくても、お姉さんと話せれば楽しい。

 ……そう、自分をごまかして。

 二人の時間を見るのを、避けていたのかもしれない。

 想像でも、現実でも。

 そんな考えも、頭に浮かぶけれど。

 自分の本当が、わからない部分も、あるけれど。


 ――わたしは、二人が笑いあう姿に、苦味を感じていたのかもしれない。


(お姉さんの、彼への想い。……答えて、もらえるんだろうか)

 ……答えられたら、どうすればいいんだろう。

 もし、「興味、ありますよ」って、答えられでもしてしまったら。

(珍しいことじゃ、ないもんね)

 テレビや新聞でも、歳の差カップルの報道はたまに見かける。

 お姉さんと私達が、どれだけ離れているのか、知らないと今気づいたけれど。


(わたしより、ずっと、彼のことを理解しているんだよね……?)


 ……わたしは、いろいろなことを、想像してしまっていた。

 もし、こうなってしまったら、っていう妄想みたいなものだけれど。


 その間も、お姉さんは、じっと立っていた。

 いつもよりも、なにか言いたげに、口元を揺れ動かしながら。

 ……あぁ、そうか。

 憂いを帯びた顔って、こんな顔を、言うんだろうか。


「……私ね」


 しっとりと、まるで梅雨の時期を感じさせる息づかいで、お姉さんは言った。

 わたしの想像できない、ある事実を、告げるために。


「――今度、結婚するんです」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ