視界の広がるあの場所で - 22
「読んでみます」
表紙の茜色に胸をときめかせながら、わたしは、力強くそう言った。
お姉さんがすすめてくれた本なら、大丈夫だって、想えるから。
「本当ですか?」
「はい。あまり、読んだことがないので……チャレンジです!」
走り出さないと、結果や記録は出てこない。
だからこれも、一つの変化になるのかも、と想えるから。
「もしかすると……走り方がわかる、キッカケになるかもしれないですし」
……暗い部分のわたしが、そんなことを、気弱に言う。
あれこれ考えたり、教えてもらったり、本を読むのも大事だとわかったり。
少しずつでも進めば、いつかはなにかのゴールに着くんだって、本の世界は教えてくれる。
――でも、学との関係は、現実で走り出してしまっていることで。
――わたしは、ゴールにたどり着くのが怖くて、コースのなかをぐるぐる回っているんだ。
(そのゴールは、わたしが、自分で見つけなきゃいけないのに)
子供の頃と同じ心地の、学との日々。
楽しくて、安心して、このままが続けばいいって。
そう、想ったりもするけれど。
(……本当にわたしは、そのゴールで、いいの?)
自分の気持ちに、そう、問いかけなきゃダメだ。
そう感じて、本をぎゅっと握る。
ゴールにたどり着きたくないのが、わたしの問題なんだと、わかってもいるから。
「また、新しい本を読んで、考えてみます。……今まで、見ないようにしてたことを」
この本の中の彼らは、教えてくれるのだろうか。
わたしがこれから、どんなゴールを目指せばいいのかを。
答えを聞いて、お姉さんも嬉しそうに頷いてくれる。
「こうして話せる方が増えるのは、やはり、嬉しいものですね」
微笑みながらそう言うお姉さんの雰囲気は、いつもの優しいものに戻っていた。
ただ、ちょっと気になって、聞いてしまう。
「話せる人……って、たくさん、お客さんと話してますよね」
お姉さんのお客さんは、もちろん、わたしだけじゃない。
よく見かける顔だけでも、数十人、よくお姉さんと話し合ったりしていると想う。
(そんなにたくさんの人と話すの、大変じゃないのかな)
そう想って、わたしはつい聞いてしまった。
少し考えてから、お姉さんは答えてくれる。
「お一人お一人、考え方や読まれるものは、様々ですから」
「一人一人、ですか」
そう言われてみれば、確かにそうなのかも。
学校の友達でも、細かい趣味や好みなんかは、みんなバラバラだもんね。
(練習方法の好みや、メニューの組み方なんかも、そうだよね)
納得しているわたしに、お姉さんは、本棚を見つめながら言った。
「――まるで、この本達のようですね」
「本、のよう?」
「はい。開けば開くほど、新しい世界と楽しさに満ちている。……本も人も、知れば知るほど、その魅力にひかれてしまうものです」
「本も人も、一緒……」
お姉さんの言葉に、わたしは、学のことを想った。
――彼との新しい、一ページを。
わたしは、ちゃんと見つめようと、していたんだろうかと。
「ですので、一人でも多くの方と話せるのは、新鮮で楽しいんですよ」
「……すごいなぁ」
そこまで、いろいろな人と話せる自信は、わたしにはない。
学校では、学年やクラスを気にせず、話している方だと想うけれど。
(お店になると、年齢とか好みも、ぜんぜん違うもんね)
さっき想い出したお客さんも、いろいろな人達ばかり。
だから、すなおにすごいなって、想えてしまう。
お姉さんのように、わたしはできないだろうから。
どんな人が来るかもわからないのに、いつも、こんなすてきな大人の笑顔を浮かべられる気がしない。
(本と人が、一緒。……すごいな、やっぱり)
わたしは、まだ少し、人と触れあうことが怖いのかもしれない。
……ちょっと前まで、抜け出せない迷路みたいな気持ちに、ずっとはまっていたから。
ただ、だからかな。
人と話せるありがたさ、みたいなものは、とても良くわかる。
それは、むしろ今だからこそ、わかるのかも。
話せないより、少しでも触れあえる時間は、大切なこと。
「そうですね。人と話せるのは、楽しいですよね」
ふりかえっても、あの時の自分は、なぜあんなにイライラしていたんだろう。
部活のことで無理を言って、学に突っかかって、友達と話す時間も減っていた自分。
あの時期に比べれば、今、いろいろな人とまた話せるようになっている。
「……独りだと、新しいことを見つけるのは、大変です」
そんな自分を見つめなおさせてくれた、お姉さんと、たくさんの本。
……確かに、本と人は、出会いによって誰かを変えてしまうのかもしれない。
それが、今のわたしには、すなおに嬉しい。
「そうですね。だから私は、こうして本を読み、誰かとお話したいのかもしれません」
すてきなことだな、って、お姉さんの言葉に感心していたら。
「……ふふっ」
「?」
お姉さんは、小さく笑った。
ほんの少し、だけど想わず出てしまったような、とっても嬉しそうな声だった。
「あの、どうかされたんですか」
気になって聞いてみると、お姉さんは眼を細める。
見つめる先は、わたしの顔。
……でも、不思議だった。
なにかを探すような眼は、わたし以外のなにかを、見つめているみたいだったから。
「そういえば、同じ歳くらいでしょうか」
「同じ、歳……」
歳、だなんて言葉が出てきたのが意外。
続くお姉さんの言葉は、その意味を教えてくれる。
「お客様みたいに、よく、いらっしゃるんですよ」
「わたし、みたいに?」
「――私の紹介した本を、嬉しそうに、読んでくれる子が」




