視界の広がるあの場所で - 19
学は、「一緒に、か」と呟いて、わたしへ向く。
「一人で行くより、楽しいよな。話し合えるって」
(いつも学校では、独りで本を読んでいるのに……)
ちょっと意地悪なことを考えてしまうけれど、事実だった。
そして、ふっと、違う考えが浮かんでしまう。
また、意地悪な考えが。
――学の考える、話しあえる相手は、誰なのだろう。
(……聞くまでも、ないよね)
だからわたしは、学の顔を見る。
できるだけ真剣に、だけど、いつもより力を抜いたような表情で。
その変化に、気づかれてしまったのか。
不思議そうに、わたしを見つめてくる学。
――今だから、言おう。
前から、お願いしようと想っていたこと。
それを、頼んでみよう。
「ねえ。お願いがあるんだけれど」
「なんだ?」
「勉強、教えてもらいたいんだけれど……いいかな?」
「……」
あ、頭を片手で抑えた。
「いや、そんなに引かれると、ショックはショックなのよね」
「引いてはいないぞ。ただ、ちょっと頭の整理がだな」
混乱する学の姿に、わたしは必死に食い下がる。
――前だったら、怒るか不機嫌になるか、それしかできなかったけれど。
「……わたしに、一緒に、教えてよ」
少しだけ眼をそらしながら、わがままを言うように、わたしはもう一度口にする。
らしくない、と想ってもいたけれど、怒って流れちゃうのは嫌だった。
絶対に、嫌だった。
せっかく、直接的じゃないけれど。
……『横に並びたい』って、少し、言葉にできたから。
困ったような顔をして、学は考えこんでいる。
その様子に、今度は、嫌がられているって怖くなって。
「いや、かな」
不安になって聞くと。
「いや、じゃない」
学は、すぐに答えた。
でも、言ってくれない。
はい、って、言ってくれない。
「じゃあ……」
「正直、さ」
「うん?」
「嬉しいよ。お前と、こうして話が出来るの。落ち着いて、久しぶりだからさ」
想像してなかった学の言葉に、足が少し動いてしまう。
「そ、そう」
ちょっとだけ弾んだ心を落ち着けながら、頷く。
「……そうなんだ」
「あぁ。なんていうか……新鮮で、やりとりできるのが、嬉しいんだな」
柔らかく微笑む、学の顔。
――見覚えのある、わたしには初めて見せる、その顔に。
「……あの人と、どっちが嬉しい?」
わたしは、かすかな声で聞いていた。
「えっ?」
ふっと言ってしまった言葉に、不思議そうな顔を向ける学。
言ってから、わたしも焦ってしまう。
以前なら、そんな言葉を言うことは、なかったのに。
――もし、答えられて、しまったら。
言葉を打ち消すように、ぐいっと上半身だけをストレッチ。
うまく話せなくて身体を動かしちゃうのは、今も変わらない。
「身体、なまっちゃうね! ねぇ、一緒に走りに行かない?」
焦りと恥ずかしさを隠すために言った、その言葉。
昔は、そればかりを先に言って、本心なんか言えないことばかりだったのに。
(……漏れちゃうと、どうしたらいいのか、難しいよね)
自分の気持ちをごまかすために、誘っただけの言葉。
だから、期待していたわけではなかった。
こいつは、身体を動かすより、本の中を歩く方が好きだったのだから。
「そうだな。考えておくよ」
――だから、ちゃんと聞いてなかったんだ。
ちゃんと一緒になって考えてくれた、彼の言葉を。
「そうだよね、やっぱり……」
想わず、えっ、と驚いて固まってしまう。
「考えておくって、なにを?」
「両方、かな。教えるのも、走るのも」
予想外の答えに、わたしは、想わず言ってしまう。
「え、どうしたの急に。悪い本でも読んだの」
学の眉が八の字になる。
あっ、不機嫌そう。
「お前が俺のことをどう想っているのか、よくわかるな」
だって、仕方ないじゃない。
今までどんなに誘っても、本ばかり見ていて。
つきあってくれそうな雰囲気なんて、ぜんぜん、なかったのに。
あっさり、からかうでもなく、そう言われてしまったら。
(逆に、驚いちゃうよ)
理由を知りたい、と想ったから、聞いてみる。
すると学は、少し考えてから、小さな声で言った。
「お前が、本を読むのが楽しくなったんなら……って、想っただけだ」
「本を読むのが……?」
「違うことをするのも、楽しいのかもなって」
学の答えは、まさに、自分が体験したことそのままのこと。
違うことを知ると、今まで知っていたことも、新しい眼で見えるようになる。
わたしは、なるほどなって想ったけれど。
「でも、それと走るのって、関係あるの」
嬉しいけれど、どうしてか不安なわたし。
……まだ、学が身体を動かすってことに、違和感がなくならなくて。
ぎこちなく、なぜか恥ずかしそうに、彼は答える。
「……ぶつからなく、なってくれたんだから、さ」
「ぶつからなく……?」
遠回しな言葉に、はっと気づいてわたしは言う。
――まだ、お姉さんとも出会っていなかった頃。
――怒った学から、言われた言葉。
「気にして、くれてたんだ。あの時のこと」
ずっと心の中で、わたしも、その言葉を覚えていた。
ぶつからないように、触れあうように。
心配して、そう言ってくれたんだと想って。
そしてそれは、言った学自身も、覚えていてくれたんだ……。
(そんなに、気にしてくれてるんだな……)
胸の中が、変な感じ。
想わず身体が動きたくなって、呼吸も少し強くなっちゃう。
そんなふうに、自分を落ち着けなきゃ、って想うわたしに。
「お前の気持ちも考えなくて、悪かったと想ってるよ」
「……!」
――おかしい。今日の学は、すごく優しい。
――それとも、おかしいのは、わたしの方なんだろうか。




