視界の広がるあの場所で - 13
※※※
――今日も、この間のようにいい天気。
入口の自動ドアが開ききる前に、店の中へ。
こんなにも、ゆっくり開くのがもどかしいのは、始めてかも。
(そうだ。始めて、ちゃんとお店に入った気がする)
サングラスがないと、こんなにも、キレイなお店なんだって気づく。
黒や白に、緑や赤や青と、数えきれないくらいの彩り。
たくさんの色がわたしの眼に、ばっとたくさん入ってくる。
――ここには、こんなに知らない色が、もっといっぱいあるんだ。
よく見渡せる店内へ、顔と眼を動かす。
いるかどうかわからなかったけれど、あの人を、探してしまう。
焦るわたしの耳に、その声は、届いてきた。
「いらっしゃいませ」
夏の風鈴が鳴るみたいに、わたしの心へ、その声は気持ちよく響きわたる。
丁寧で穏やかなのに、しっかりと相手へ伝わっていく、包まれるような声。
(どこだろう……)
首を回すと、近くにはいないから、少し離れたコーナーなのかも。
わたしへ向けられた言葉、というわけじゃなくて、誰か別の人へかけた声みたい。
(いてくれた……!)
声を聞けたことが、嬉しい。
――だって今日は、あいつが来る時間より、ずっと前に来ているから。
聞こえた方向へ、足を向ける。
気持ちばかりが焦るけれど、店内で走るわけにも行かず、早歩きみたいに進んでいくと。
(いた……!)
想わず声が出そうになるのを、ぐっとこらえる。
今は、本の整理をしたり、いろいろな人の対応をしていたみたい。
それが仕事なんだから、当たり前なんだけれど。
「……?」
その人は手を止めて、眼だけで、こちらを見てくる。
「いらっしゃい、ませ……?」
挨拶をしながら、少し意外そうな顔をするお姉さん。
……後になって想えば、あんまりにも必死そうな気持ちが、顔に出ていたのかもしれない。
そのままぎゅっと顔を見ながら、手で触れられるくらいまで近づいていく。
眼の前で足を止めたわたしは、一息してから。
「あ、あの!」
ちょっと声を張りながら、声をかけた。
「は、はい。なにかご用……」
お姉さんが言い終わる前に、持ってきたカバンの中から二冊の本を取りだして、言っていた。
「この漫画の続き、教えてください」
――そう。
わたしは、お姉さんのすすめてくれた漫画に、すっかり惹かれていた。
「続きを、知りたいんです。この後、どうなるのかを」
言いながら、手元の表紙を見返す。
そして、想いだす。
買ってから今まで、ずっと惹かれている、その本の中身を。
「ずっと、考えちゃって。だから、教えてください!」
書かれていたのは、わたしと同じように、コンマ一秒を縮めようとがんばる登場人物達の姿。
ひどく地味で、練習ばかりで、つらさや苦しさもあって。
……でも、同じくらい、楽しさも描かれていた。
そこでがんばる登場人物達は、もちろん、現実にはいない。
今までわたしが好きで読んでいた、選手のインタビューとは違って、彼らの言葉は本当じゃない。
(でも。……すごく、共感できる。本当みたいに、想えてくる)
描かれている気持ちや笑顔は、本当にあるものより、本物みたいに感じられた。
誇張された動きやできすぎな場面は、もちろんあったけれど……嫌な風景かといえば、そうじゃなかった。
それも含めて、わたしは、漫画の世界にすっかり惹かれてしまった。
だから、読み進めて、共感もしてしまった。
何度も何度も、同じページを広げて、読んでしまった場面もある。
主人公が、なんのための練習なのか分からず、逃げ出して……。
(でも、その意味が分かるところなんかは……あぁ、そうだったかもって、想いだしちゃった)
わたしがかつて味わった、つらさや苦しみ、喜び。
彼らも、その言葉にしづらい想いを、知っていた。
まるで、一緒に走った友達のように、登場人物達の言葉に惹かれた。
(……わたしにも、あった、んだよね)
――時にはぶつかりながらも、お互いにわかりあう、漫画の世界の彼ら。
――わたしもあの頃は、ちゃんとそんなふうに話せて、横も見れていたのかもしれない。
フィクションを読みながら、今の自分を、ふりかえる。
日々繰り返す練習や、突然のトラブル。
想いがけない人間関係や、授業や友達との兼ね合い。
たくさんの出来事にあいながら、自分の身体がつらくなっても、信じて続けていく日々。
……すごく似ているけれど、もちろん、全部に共感できたわけじゃなかった。
読み返しても、違うかも……と想う部分は、やっぱりある。
特に、主人公。
すごくガンコなところは、まっすぐでいいところって、わかるんだけど。
(周りの人の優しさに、もう少し、気づけばいいのに)
自分の考えを曲げないままなのに、周囲もあわせて、変わっていってくれる。
もちろん、主人公の努力あってこそだって、想えるんだけど。
(……わたしは、この子じゃ、ないもんね)
一緒に、成長するなんて。
……夢みたいな話だと、今のわたしには、想えてしまう。
(それでも、気になる)
でも、だからといって、終わりにしたくは想わなかった。
むしろ、この後で彼らがどうなるのか、頭の中はそれでいっぱい。
――こんなに、走ること以外で気になったのは、あいつのこと以来かも。
(お互いがぶつかっても、わかりあっていくのが……どうして、なのか)
読んだなかで、主人公に与えられた課題。
わたしの与えられたものより、ずっと重かったものもあった。
自分だったら、主人公のように、ただ受け入れることができたのかな。
……ううん。
心のなかで、左右に首をふってしまう。
(言い返して、自分のペースでって……言っちゃう、かも)
それは、自分勝手な話なのかもしれない。
でも、主人公は協力しながら、その課題を乗り越えていく。
(わたし……本当に、ちゃんと伝えようと、していたのかな)
だから、この子達がどうなるのか知りたかった。
自分に重なる部分が、どうなってしまうのか、知らずにはいられなかった。
寝る間も惜しんで、ページをめくっていた。
何度も、何度も。
でも、その答えがでる前に。
……物語は、途中で終わっていた。
続きがあることを、最後のページに、残しながら。
――先を、教えてほしい。
なにか、あるような気がする。
わかるような、気がするから。
だからわたしは、今、ここにいる。
「あの、お姉さんの言ったこと……本当でした」
「私の、言ったことですか?」
はい、とうなずいて、わたしは必死で想いを伝える。
「ある意味で、本当の世界だって言うことです」
「確かに、そうお話しましたね。……私も、そう想っています」
「読んでいると、わたし、自分のことみたいにのめりこんでました」
そこまで言って、ぐっと、こらえようとしたけど。
「それに……自分のことにも、ちょっと想ったりしてました」
この間は、言えなかった想い。
それも、口から出てきた。
(今までも、つい読んじゃうものは、あったけど)
雑誌の選手インタビューや、特集記事。
効果的な練習メニューや食事の方法なんかを読んで、そうした感情になることはあった。
(憧れたから、まねすれば、同じになれるって想ってた)
自分に、活かせる部分はないだろうか。
そんなことを想いながら、読んで、そうなる姿を想像したりもした。
……実在の人は、でも。
わたしよりずっと、先にいて。
焦って、想いこみだって、わからされて。
「だから、もっと知りたいなって。今のわたしが、すごく共感できる、この子達のことを」
空想のキャラクター達は、今のわたしよりも伸び伸びと、走ることを楽しんでいた。
その姿や言葉は、実在の言葉とは違う、不思議な気持ちをわたしに与えてくれた。
「続き、ありますか」
――この子達と一緒に走って、想い出したかった。
自分にも、こうして楽しみながら走った時間が、必ずあったはずだから。
わたしの願いに、お姉さんは、二冊の本を買った時と同じ笑みを浮かべてくれた。
「はい。もちろんです」
……この笑みは、やっぱりずるい。
この人のすすめる本を、話を、読みたくなってしまう。
わたしの心は、お姉さんのふわりとした微笑みで、同じように軽くなる。
(うん。やっぱり、本屋さんには本を探しに来ないとね)
……この間までの不審者行為が、まだちょっと、胸の片隅に残っていたりもする。
だから、ちゃんと本のことを話せるのが、後ろめたくなくてよかった。




