視界の広がるあの場所で - 08
※※※
道路沿いの立て看板が、目立つお店。
何度か店の名前を確認してから、わたしは、入口の前でぐっと手を握る。
「よ、よし……っ」
小さく声をあげて、自動ドアに向かおうとする。
と、ちょっとだけの出っ張りで足が引っかかり、転びそうになる。
「う、わっと……!」
倒れるほどの引っかかりじゃないけれど、焦る。
そのせいで、顔にかけたものがずるっとズレてしまった。
慣れないそれをあわててかけ直すと、眼の前が真っ暗になってしまう。
……足が引っかかったのは、顔にかけたサングラスのせい。
いつもより視界が暗くて、歩きにくいからよね。
外した方がいいのはわかっているけれど、そうもいかない事情もあって。
(ゆっくり、ゆっくりで)
ぎこちない動きで自動ドアをくぐりながら、深呼吸。
(……わたしは、あくまで本を買いに来ただけ。そうよ、人もちょっと見たいけれど、ここは本を買う場所だし)
自分に言い聞かせながら、わたしは、めったに入らない本屋へと入っていく。
くいっと眼にかけたサングラスを調整する。
あまり意味はないけれど、イジっていると気持ちが落ち着く。
本屋の中へ入っても、見える景色は、やっぱり暗い。
(見にくくてしょうがないのに、どうしてかけるんだろ……)
今度、お父さんに聞いてみようかな。
そんなことを想いながら、店内に眼を向ける。
(すっごい、本の量。誰が、どれだけ読むんだろう)
眼の前に並ぶ、たくさんの本棚。
びっしりと、キレイに本が詰められたそれらを見ながら、びっくりしてしまう。
(何回見ても、すごいよね)
――実はここ最近、この店には何度か来ている。
同じ曜日の同じような時間に来ているから、すっかりこの本棚も見慣れてしまった。
でも、何度も見ているのに、置かれている本の違いなんて全然わからない。
……見る目的が違うから、あまり、本を覚える気がないっていうのもあるんだけれど。
(あいつ、いるかな)
わたしが、ここへ来る時間。
――それは、学がいる時間でもある。
彼がよく来る時間に合わせ、わたしは、こっそりと本屋へ来るようになっていた。
ただし、あいつには見つからないように、だけど。
(学に見つかると、買っている本になにか言われそうだし!)
そう、自分に言い聞かせているけれど。
……ただ自分でも、ちょっと変質者ってやつっぽいな、って自覚もある。
(……はぁ)
自分が変だってことには気づいているけれど、足は、帰る方向じゃなくていつもの場所へ。
雑誌を見るフリをして、こそこそと、学の背中が見える位置へと移動する。
いつもどおりの時間に、店へとやってくるその背中を。
(聞いてたはいたけれど……学校でもないのに、本当に同じなんだね)
学はよく本屋に行くけれど、時間が決まっている。
そう、本人から聞いていた。
休日の三時から四時くらい。
その時間に行くのが、一番多いんだって。
他の時間にも行くことはあるみたいだけれど、その時間がほとんどだって聞いていた。
なぜなら……理由は、簡単。
「――っ!」
本を買うっていう以外に。
その時間でないと会えない相手が、いるからだ。
「あの人が……そうなんだよね」
暗い画面越しに、二人の姿を見てぽつりと呟く。
学が、嬉しそうに話しかけている相手。
木組みの棚の隙間から、気づかれないよう、そっと遠目に見つめる。
――それは、白いブラウスをきっちりと着こなした、清潔そうな店員さん。
遠目から見ても、落ち着いていて大人っぽい、静かな雰囲気を感じちゃう。言うなれば、
知的な大人の女性って感じ、そのままの人だ。
(……わたしと全然、逆なんだよね)
何度見ても、それを想い知らされる。
活発に動いて、想いこみで話して、気分で怒ったりする。
――そんなことは、なさそうな人。
学の話しかけている様子も、自分の時と全然違う。
その姿も、気分を重くさせる。
……それは、暗い景色のせいじゃ、ないと想う。
ため息をついて、手元の雑誌を手にとる。
ただ立ち尽くして見続けていると、怪しまれそうだからっていうのがその理由。
……ぜんぜん、記事の内容なんて、眼にも頭にも入らないけど。
読むフリをして、二人の様子をこっそり見る。
(やっぱり、この本屋がいいんだね)
――学がいつも、学校で読む本を買っているのは、この本屋。
違う学校の生徒や、うちの生徒もよく活用している、大きめの本屋さん。
できたのはもう十年近く前だから、地元ではよく知られた本屋さん。
安定した品ぞろえと、安心する接客で、評判は良いみたい。
……みたい、っていうのは、聞いた話。
だってわたし、本屋にはほとんど来ないから、実感がないのだ。
行ったとしても、雑誌コーナー以外に行くことも少ないし。
(でも、昔からこの本屋のことは、よく知っているんだよね)
それに、会ったことはないけど、あの店員さんのことも知っていた。
話を、よく聞いていたからだ。
――誰に?
もちろん本が好きで、空想も大好きな、ある男の子にだ。
(……あぁ。あの時と、そっくりな顔)
子供の頃、よく一緒に遊んでいて、誘われたこともある。
本を買えるようなお金はなかっただろうに、あいつは、その本屋がとてもお気に入りだった。
結局、学と一緒にこの本屋へ来たことは、なかったと想う。
別に本が嫌いだとか、そういうわけじゃないんだけれど。
(ちょっと、遠かったのもあるかな)
家の親は、どちらかと言えば違う本屋へ行くことが多かった。
だからわたしも、あえてこの本屋へ来ることはなかったんだと想う。
それに、好みもあったんだと想う。
子供の頃は、もう少し絵本や漫画は読んでいた。
けれど、成長すると身体を動かすのが好きになっちゃったから、あまり本を読まなくなってしまった。
部活用に、フォームや練習の参考になる教本なんかは、持っているけれどね。
(小さい四角の……ブンコの、小説っていうんだっけ?)
学が好きな、小説とか字がびっしりな本は特に苦手で、すすめられても避けていた。
だって、雑誌を立ち読みしたり、友達の貸し借りなんかで十分だったのだ。
周囲でそんなに本を読んでいるのは、学だけだったから。
(不思議だね……)
――本当、共通点は、もうあんまりない。幼なじみ、っていうくらいか。
改めて、どうして学が気になるのか、自分に問いかけたくなってきた。
ただ、それはずっと、考えてきてもモヤモヤすることだから。
(とりあえず、置いておくとして)
だからわたしは、この本屋へ来るということは、あまり気分的にもなかったのだ。
(……あ。来なかった理由、想いだしたかも)
来なかった理由を、もう一つ想い出した。
本は、嫌いじゃなかったけれど。
……嬉しそうに話すあいつの顔が、気に入らなかったから。
いつも遠くを見るように、冷めた眼で周囲を見ていた、学の姿。
あいつは子供の頃からも、そういうところがあった。
保育園などでも、ちょっと周囲から浮いているくらい。
なのに、本のことを話す時や、この本屋での話をする時だけ、少し違う。
ちょっと顔をゆるめて、嬉しそうに、本のことや内容について話すんだ。
……あの人のことが教えてくれたんだよ、って、少しだけ違う顔をして。
会ってもいない、知ってもいない。
わたしの知らない、そんな相手のことを……楽しそうに。