視界の広がるあの場所で - 05
苦いコーヒーを飲んでしまったような、そんな気分。
胸が重いわたしに、学は言葉を続ける。
「お前の頑張りも、聞いてるけれど……。やり方は、それぞれあると想う」
「……なに、それ。なにを聞いてる、っていうの」
わたしの胸に広がる、解決できない苦さ。
その理由を、学には、まだ話していない。
話してないのに……まるで、わかったような顔で、こいつは心配する。
(その悩みは……知られたく、なかったのに)
今までみたいに、自分の記録が伸びなかったり、目標が高すぎて悔しい、っていうような悩みじゃなかったから。
だから、その苦みに、触れて欲しくはなかった。
なのに。
こいつから、せっかく、話しかけてくれた話題が。
……わたしが、つまずいていることだなんて。
「いきなり走ろうって言われても、さ。ついていけるやつばかりじゃ、ないんだから」
なにを言われているのか、ちゃんとはわからなかった。
わたしの頭は、よくないから。
消費税だって、わからないんだ。
だから、わかりたく、ない。
……でも直感的に、わたしは、不愉快になった。
そしてそれは、次の一言で、爆発してしまった。
「周りを見て走らないと……ぶつかる、だろ」
――こいつのこういうところが、とっても嫌だ。
「余計なお世話よ! この、お節介!」
「おせっか、って……おい!?」
わたしは怒鳴ってから、背を向けて歩き出す。
顔が、歪んでいるのがわかる。
見える周りと同じくらい、ぐらぐらになっていると想う。
「お、おい!?」
背中越しに学の声が聞こえるけれど、足を止めることはない。
――なにを注意するように言われたか、わかっている。
だから、怒りと悲しさで、ふりかえれない。
近づこうとする足音も聞こえたけれど、途中で止まる。
チャイムの音と、先生がドアを開けて入ってくる音が、同時に響いたからだ。
席へ戻り、黒板を見る。
先生はなにも知らないように、いつもどおりのホームルームを始めた。
教室の後ろの方にあるわたしの席。
少しだけ、黒板から眼を離して周りを見る。
そこには、ちらりとこちらを見る、クラスメイトの視線がわかった。
みんな、すぐに黒板に眼を戻したけれど。
……わかってる。
怒っているわたしの方が、おかしいんだってことは。
『最近の咲希、ちょっとおかしくない?』
『気が立ってるのかなぁ、どうしたんだろ』
『ほら、あの話が本当ならさ……』
『咲希、まじめというか、引かないからね』
ぐっと、右手で、左手を強くつかむ。
声が出ない程度に、息を吐いて、眼を閉じる。
(……妄想よ)
聞こえた気がした声は、ただの自分の想像。
でも、そう言われてても仕方ないかって想う。
それくらい、自分の今の態度がよくないってのも、わかる。
落ち込みもする。
でも……と、強く自分の手を握ってもしまう。
――クラスメイトから向けられる目線は、とてもよく似ていた。
わたしが今、抱えている、悩みの始まりに。
この間、部活のみんなへ自分の意見を言って、否定されてしまった時に。
(わかるけれど……)
今、学へ言ってしまった言葉。
良くないんだろうなってことくらい、そんな眼をされなくても、わかっている。
わかるから……重ならない。
謝りたい自分と、譲れない自分。
二人の自分が、ぶつかって、うまく走ってくれない。
(ぶつかる、か。横に並んで、欲しいだけなのに)
さっきの学の言葉を想い出しながら、そんなことを考える。
……自分のなかでも、周囲との間でも、今、わたしはぶつかってばかりでちゃんと進めていない。
「え~、それでは授業を始める。集中するように……」
のんびりした先生の声が、遠くに聞こえた。
それからは授業が始まり、静かな時間が過ぎていく。
わたしは、見慣れない単語の並ぶ教科書の文字を、ぼんやりと見つめる。
それは、集中するためじゃなかった。
……クラスメイトから向けられる視線も、あいつが浮かべている顔も、すぐに見たいとは想えなかったから。
特に、あいつの顔は、意地でも見ないようにした。
怒っていようが、申し訳なさそうにしていようが、気持ちを抑えきれないから。
――隣に並んでほしいのが誰か、気づいてくれない感情を。
そして、気づいて欲しくない部分までちゃんと見ているのに、その気持ちには気づかない悔しさを。
(なら……さ、って、想っちゃうじゃない)
自分のわがままで、はっきりしないのが悪いとも気づいているけれど。
折れたくは、なかった。
あいつのことも、部活のことも、わたしは自分の目指す目標を叶えたかった。
――折れたくなかったから、どうすればいいのか、わからなかった。