視界の広がるあの場所で - 04
「ただ、本当に少しは勉強しとけよ。運動だけじゃ、なにかあった時に大変だろ」
そうして学がわたしへと向ける視線は、その夢見るようなものとは、逆のもの。
……心配してくれているのは、わかっているけれど。
「大変って、そうかもしれないけれど」
イラッとわいた感情に従って、口が開いてしまう。
「今、できることをしたいの。それって、おかしいかな」
にらみつけるような自分の態度に、気づいていたけれど……その言葉に、納得したくなかった。
――わたしは学と真逆で、動くことが大好き。
特に部活の陸上は、今、すっごく夢中。
どうやったらキレイに、速く走れるか。
そればっかり、考えてる。
……だけれど、勉強は苦手。
試験も近いけれど、次の大会で結果を出すことばっかり、考えている。
(わかってる。それだけじゃだめだっていうのは、そのとおりだけど)
だから、学の言葉に対して、怒っているわけじゃなかった。
でも、気になることがあって……わたしは、ちょっと怒りっぽくなっているのを、わかってもいた。
――わたしには、それしかない。
身体を動かして、記録を伸ばす。
それが、一番大切なこと。
学は、ため息を一つ吐いて、わたしになにかを言いかける。
「なに」
「……いや。なんでもない」
また本を開き、自分の世界に戻ろうとする学。
「ちょっと、戻らないでよ」
「お、おい」
本の中身を手で隠して、学の視線をこっちに向けさせる。
邪魔するのは、確かによくないんだろうけれど、無視されるのもちょっとイヤ。
(そう。わかったように、わたしのことを言うから)
話す話題も合わないし、行く場所や遊ぶ相手も、全然違う。
なのに、いつも心配で、気にしてばっかりだった。
じっと本ばかり読んでいる時や、一人でいる時。
……わたしは、なんとなくこいつに、話しかけてしまう。
学も、積極的ではないけれど、わたしへ声をかけてくる。
……そして、無理してそうな時にまず気づくのは、なぜかこいつ。
友達と気まずくなった時や、先生に怒られたりした時なんか、自然と相談に乗ってくれたりした。
それと、陸上のタイムが伸びなくて悩んでいる時も、ただ黙って聞いてくれたりしたっけ。
……今はちょっと、部活の話はしないように、しているけれど。
(話題、変えなきゃ)
想わず、前のように部活での話をしそうになって、頭のなかをぐるっと変える。
ぐいっと腕を横に伸ばし、ストレッチ運動。
合わせるように、口を開いて誘ってみる。
「ねえ。たまには、一緒に走ってみない?」
「走る? なんで」
「本ばっかり読んでても、しかたないじゃない。今をエンジョイしなきゃ!」
わたしのその言葉に、学の雰囲気が少し変わった。
(あ、あれ……?)
その眼が、いつもの冷めた視線とちょっと違うものだと、わたしにも気づけてしまう。
(怒ってる、のかな)
「本ばっかり、か。確かに、否定できないけどな」
ちょっと笑うような、鼻を鳴らす話し方。
でも、楽しむような笑い方じゃない。
どっちかと言えば、あれは、あんまり機嫌がよくないんだと想う。
学は、自分のすぐ横の窓へ顔を動かして、グラウンドの方を見ながら呟いた。
「……俺だから、まぁ、いいけどな」
「えっ?」
「お前の部活での活躍、聞いてるから」
「そ、そうなの?」
部活の話は、あんまり学の方からふってはこない。
わたしが話題にした時くらいで、しかもうんうんとうなずくばかりだから、こうして言われたのが驚いちゃう。
……今日は、なんだか意外なことがいっぱい。
そういったことには、全然無関心だと想っていたから。
(気にして、くれてたのかな)
正直……嬉しい。
去年よりも、順調に記録を伸ばして、先生からも好タイムを期待されている。
部活の練習も、休日の自主練も、自分を鍛えているみたいで、充実している。
(そう、そうなのよ)
とても……とっても、充実している。
目標もあるし、がんばって、走っている。
――わたしは、まっすぐに、充実しているの。
たとえ、独りだって、目標があるもの。
言い聞かせるわたしに、でも。
グラウンドに眼を向けたまま、学は言った。
「あぁ。だから逆に、不思議なんだよ」
「不思議って、いったいなにが」
「どうして、俺なんかにかまうのかな、って」
「えっ……」
その言葉に、わたしの頭は真っ白になってしまう。
だって今まで、こいつから、そんな言葉を聞いたことはなかったから。
イヤそうにしても、避けるようにしても、困ったような顔をしても。
どこかで、少し、振り返ってくれるのを知っていた。
こんな、本当に、わからないって顔は……。
わたしの方こそ、わからない気分に、なってしまった。
「どうして、かまうかって」
気持ちが落ち着かなくて、言い返すように聞いてしまう。
「……どういう、意味よ」
学は右の頬をかきながら、言いにくそうに口を開く。
「その……俺が言うことじゃ、ないけどな」
はっきりしない声で、眼はこっちを見ずに言う。
その態度が、わたしをもっと、イライラさせる。
――部活のことではっきりされないのは、今は、とてもつらいのに。
「あんたが言うことじゃないのに、どうしてかまうかって、どういう意味!? 話がつながらないじゃない」
「落ち着けよ。……みんな、見てるぞ」
冷静な学の言葉に、はっとなって周りを見る。
クラスメイト達の視線が、わたしと学の二人に向けられている。
どうしたんだろうという顔から、あきれたような顔を浮かべている子もいる。
みんなの顔に――わたしは、部活の先輩に言われた言葉を、想い出してしまう。
『あなたが本当だって言って、考えていること……』
(……また、やっちゃったの?)
周囲の顔を見て、あの日の言葉を想いだす。
つい最近、やってしまったばかり。
しかもそれは、まだ解決していない苦い記憶。
――まっすぐに、走っているつもりだったのに。