視界の広がるあの場所で - 03
※※※
(あっ……)
晴れない気持ちのまま、登校した翌日。
朝のホームルーム前に見かけた、その姿。
――ずっと見慣れているのに、すなおに、話しかけることができない。
窓際の席へ近寄って、わたしは想わず言っていた。
「また、本ばかり読んでるのね」
言ってから、嫌みっぽいのに気づいて、少し顔を下げる。
けれど、独りでも問題ないようなその姿が、気にいらないのも事実だった。
わたしの視線に、気づいたのか。
それとも、このままだと本をとりあげられると、知っているからか。
ぱたん、という音で、本が閉じる。
困ったような眼と、やせた身体。
細かいことを気にしそうな雰囲気が、見た目からわかる、男の子。
一目で運動が苦手そうな彼は、わたしを見上げながら、言った。
「今は自由時間だろ。なにをしてても、いいんじゃないか」
「いつ見ても本を読んでいるから、あんまり良くないんじゃないかって想うだけよ」
「それこそ、俺の勝手だろう」
確かに、とは想うけれど。
でも、わたしはいつも想っていることを、また口にする。
「少しは、運動くらいしなさいよ。いくら頭が良くても、身体が悪くちゃおしまいでしょ」
見た目通り、こいつは頭がいい。
でも、弱々しく見える身体は、見た目もそのまま。
幼なじみとして、子供の頃から知っている。
だから、心配なのが理由だった。
……別に、倒れたとか、そういうことも聞いてはいないけれど。
「これから暑くなるし。身体が大切よね、やっぱり」
頭の中に、初心者用の練習メニューが、いくつか想い浮かぶ。
……それを横で教える、自分の姿も。
だから、一緒にやらない……? と、そう言おうとしたら。
眼の前のこいつは、片手をひらひらさせて、とってもイヤそう。
「いいんだよ、体育で動いてるだろ」
むっとして、言い返す。
「習慣化しておかないと、大人になってから大変だっていうじゃない」
「そういうお前こそ、次の試験は大丈夫なのか」
「うっ……」
変な声を出して、眼をそらしてしまう。
いつもそう返されているのに、またやられた。
で、言いかえされてから、失敗したとわかる。
……だって、仕方ないよ。
わたしががんばっているのは、それじゃないんだから。
「この前も、先生が苦い顔してたじゃないか」
「わたしはいいのよ! 次の大会に出られるような結果を出すのが、一番望まれてることなんだから」
スカートの上から右足を軽く叩く。
そう、わたしが望まれているのは、学力じゃなくて脚力なんだ。
この間参加した地区予選だって、いい結果を出せていたし。
それが、わたしのためでも、部活のためでも、みんなのためにもなる。
……ために、なるはずなんだ。
自分では、そう、想っているんだけれど。
「最低限の知識はないと、生きていくのはつらいぞ」
「大丈夫よ、体力には自信があるから」
「今の消費税が何パーセントで、千円でいくらになるか言ってみろ」
「……百円以下」
わたしの言葉に、まるで苦いものを食べたような顔をされる。
ま、間違ってはいないよね?
そんなにおまけで払ったら、みんなツラいもんね!?
「こうして一人の少女の未来は、暗闇に閉ざされていくのであった」
「なっ……! 失礼なヤツね!」
ちょっと怒ったように言うけど、ぜんぜん怖がったりされない。
……怖がられても、いや、なんだけど。
「でも事実だろ。練習もわかるけど、試験を突破しないと、うちの学校はまずいだろ」
「それは、そうだけれど……」
間違ってはいないけれど、ってことばかり言う、眼の前のこいつ。
――名前は、伊佐木 学。
わたしの、幼なじみ。
子供の頃から本ばかり読んで、あまり、自分から周りに話しかけたりしない。
自分の考えを言うことも少なくて、ちょっと地味なところもある。
その上、運動とか外出をするのが苦手なのか、こうして教室にいたりすることが多い。
放課後も、とくに部活とかはしてないようで、すぐ帰宅したりするときも多いみたい。
なのに……不思議と、周囲を見てるのか。
イジメられたりもなく、グループ活動の時でも独りになっている様子はない。
それに、その落ち着いた雰囲気が、クラスの一部の女子には受けがよかったりするみたい。
(大人びているっていうか、ぼうっとしてるっていうか)
幼なじみとしては、落ち着いているというか、たんに本とかのことを考えてるだけじゃないのかって気がするけれど。
……なんとなく、そう想われるのが、複雑。
「柔、お前……」
突然、名字を呼ばれて驚く。
――昔は、名前で『さきちゃん』、って呼ばれていたけれど。
「な、なによ」
「勉強すれば、良い線いけると想うんだけれどなぁ」
「いい線って、わたしが?」
その言葉が、ぜんぜん想像もしてなかったから、想わず声を高くして聞き返す。
「ほ、本当!?」
「――と、言って上げていこうかなって」
「……ふん、信用してないんだ」
からかわれたことが、想った以上にむかっとくる。
なにより――今日は、機嫌があまり良くない。
「いろいろ勉強しろとは、言わないけどな。……少しは、本でも読んだらどうだ?」
「あんたまで、お母さんみたいなことを言うのね」
「あぁ、本を読むのは良いぞ。知らない知識が増えていくのは、嬉しいものだからな」
本の表紙を見ながらそう言う、こいつの顔。
違うなにかを考えている時、ふわっとした顔に、いつもなる。
……わたしにとっては、よく知っていて、見慣れてしまったもの。
こうして、たまに夢見がちになるクセが、学にはある。
わたしといるのに、ここじゃないどこかを、見ているような顔つきになる。
――だからわたしは、本を読まない。
ただでさえ、違う世界を、本で見ているのに。
わたしまで読んでしまったら、こっちを見てくれなくなるんじゃないかって、想っちゃうから。