探したのはこの場所で - 10(完)
「わたしは、そう想っています」
なにかが溢れるような、震える声。
耳に響く淡い声から想い出す、彼女とともに本を探した、かつての日々。
掘り起こされた記憶から、私は、ある作品のタイトルを想い出す。
それは、学生時代によく読んだ、伝奇小説シリーズのタイトルだ。
何十冊も刊行が続いていたけれど、多忙で、いつの間にか読まなくなっていた物語。
一つを想い出せば、それに関連するタイトルや作家も、芋蔓式に出てくる。
小説から、学術書、漫画や雑誌まで。
……かつての自分が、少しずつ、引き出されてくる。
そんな私の内心を、知っているのか。
それとも、わかっているのか。
彼女は、静かに微笑みながら、言った。
「もう、ここに全部があるかはわからないけれど……お探しに、なりますか」
どこか申し訳なさそうな、やや低い声。
かつて、一緒に本を探してくれた彼女からは、聞くことのできなかった声。
――ずっと、待っていた。
それは、一緒に本を見つけなくなった、私への不安と願いだったのだろうか。
ここへ来なくなってからの時間に生み出された、数えきれないだけの本達。
それらの中から想い当たる本を、今のこの本屋にカバーすることは、もうできないのかもしれない。
彼女は、それが不安なのかもしれない。
(いつも彼女は、私の願いに、応えてくれたから)
でも……それらの本は、その時代の、新しい本だった。
偶然の出会いもあれば、期待しながら買った出会いもあった。
一緒に出会った本は、なにも、今も記憶に残る本ばかりではない。
だから、決して、過去の続きだけを探す必要はない。
欠けた時代のなか、この場所を守るために、新たに生まれた作品もあるはずなのだ。
だから私は、彼女にだけ聞こえる声で、願いを呟く。
「もちろんです。今の私が読みたい本も、必ずあるはずですから」
それに、と、私は言葉を続けた。
――青春の日に憧れた、本をこよなく愛する彼女の想い。
その憧れが、今もまだ変わらぬことを、伝えるために。
「それと、よければ……今のあなたのオススメも、教えてもらえますか」
私の言葉に、彼女はやや細くなった身体を曲げて、嬉しそうに微笑んだ。
「ええ、もちろんです。……楽しんでもらえれば、とても、嬉しいです」
それから私は、彼女と一緒に少しだけ、本を探して店内を歩いた。
懐かしい感触と、購入する期待。
途中、私と同じように閉店を惜しんだ客達の対応で、彼女が離れることは多かったけれど。
私は、じっくりと、懐かしいその本屋を堪能することができた。
……いつしか時間は過ぎ去り、店内閉店の案内がスピーカーから流れ始めるようになった。
忙しそうな彼女とはすでに別れ、何冊かの本が手元にある。
大急ぎでカウンターへ行き、手に持った本を購入する。
「ありがとうございました」
見知らぬ店員の声を背に、入り口の扉をくぐる。
気の向くままに買った本や、彼女のお勧めと聞いた本が、ずしりと腕にくる。
(……本当に、これで最後なのか)
振り返り、片づけが始まった店内を、ガラス越しに見る。
かつて、日々を過ごした店内。
だが、その灯も、今日で終わる。
――もう一度、踏み込めば。
――あの灯の感触を、まだ、想い出せるのだろうか。
そう考えもするが、店内にはすでに客の姿はなく、灯を落とす準備にとりかかっていた。
それを見つめるのは、自分だけではない。
名残惜しそうな人々が、玄関前に集まってくる。
その誰もが複雑な表情で、片付けの音を聞いている。
どこか遠くを見つめるようなその表情は、かつてここで過ごした時間を、想い出しているかのようだった。
私もまた、手元の本を握り締めながら、その光景を見つめ続ける。
……消えてしまった、とは、考えたくなかった。
両手の本の重みが、自分だけで選んだものだと考えるのは、あまりにも寂しいと感じるからだ。
(この本が、また、新たな興味へと導いてくれるだろうから)
多忙な中、これらの本が読めるか、私にもわからないけれど。
ただ、少しずつでも、読んでいきたいと想う。
――彼女が選んでくれた本のおかげで、今の私があるのだから。
本屋の灯が消え、年老いた店長が現れる。
夜の静けさの中、多数の客に囲まれながら、店長は感謝の言葉を述べる。
そして、穏やかに……閉店の言葉を、私達へと伝えてくれた。
彼女も横に付き添い、長年の感謝と別れを、同じように告げていく。
たくさんの人々が、悲しみの声を上げる。
その中で、私もただ独り……彼女との別れを、胸の中で想っていた。