八節 なんか……自分じゃないみたい。かみとか、においとか
シャワーから出て、乾いたタオルで湿った肌と髪から水分を飛ばす。ちょっと包帯が濡れてしまっていたが、まあいいだろう。大した問題じゃない。……多分。
更衣室で用意されていた寝間着に着替えると、俺はひょこひょこと杖をつきながら外へ出た。アシュリーはまだ入ってる途中だろう。俺よりも年季の入った汚れっぷりだろうし、今頃ララが必死になって身体を洗ってやっているはずだ。
……床が濡れている。アシュリーが走った跡だろう。二人が戻るまで待っておくべきだろうか。待つもクソも、寝床の場所がわからんけど。どこで待てばいいかもわからん。ここでじっとしてればいいだろうか。
壁に背を預けボーっとすること十五分、廊下の奥から二人の女が現れた。一人は女性というより少女だが。アシュリーは俺が着ているのと同じグレーの寝間着姿だったが、ズボンがでかくて入らなかったらしく上しか着ていない。ダボダボの余った裾が、膝のちょっと上くらいまでを隠している。
アシュリーが俺を見つけ、歯を見せながら笑って手を振った。袖をはためかせながら走り、俺の側で停止、そのまま俺を見上げてもう一度笑った。
「気持ちよかったか?」
アシュリーの頭を軽く二三度叩く。ボサボサだった赤い髪の毛は綺麗に撫で付けられ、艶めいていた。風呂上がり特有の、石鹸の香りが混ざったいい匂いが立ち上ってきて、アシュリーも女なんだなぁと実感する。悪臭は一切しなかった。
髪の毛を少し手先で弄った後、アシュリーはこくんと頷いた。
「……よかったな」
「……うん、よかった。なんか……自分じゃないみたい。かみとか、においとか」アシュリーが手ぐしで髪を触る。
「汚かったからな。お前と初めて会った時、ぶっちゃけ臭かった」
笑いながら言うと、アシュリーは唇を尖らせた。
「えぇー、そんな風に思ったの? っていうか、おっさんだってひどかったじゃん。アタシと同じ」アシュリーが俺を見上げた。「かみのけ、べつじんみたい」
「俺?」なんとなく髪の毛を触る。「まあ……ちゃんと洗ったのは久しぶりだからな。俺も臭かった。な、ララ?」
少し離れた所で俺達を見ていたララが、急に話を振られて飛び跳ねるように踵を僅かに上げた。
「く、臭くなんて!」慌てて手を振りながらララが否定する。
「嘘吐くんじゃねぇよ。お前、俺らの近くに寄った時表情歪んでたぞ」
俺の言葉に、アシュリーが頷き返した。
「つーか、入り口にいた奴に臭いって言われたしな?」
あの失礼な若造、どうしてくれようか。……まあ臭かったのは事実だろうし、ついでにどうもしないけど。
「入口……。ああ、すみません、あれ、私と同じ班員です……」
ララが思い当たったのか、眉を結んで頭を下げた。同じ班の人間が失礼をしたせいか、若干恥ずかしそうにも見える。胸の前で手元を少し動かしながら口を緩く開き、笑い声とも取れない音を漏らした。
「アイツお前の班か。後でよーく言っとけ。先輩は敬えってな。俺はあんまり気にしねぇけど、ここの上司とか、他の先輩達に同じような態度取ったらどうなるか知らんぞ」
「よく言い聞かせておきます……!」
ララが申し訳なさそうに、肩を縮こまらせて言った。ララの様子がおかしかったのか、アシュリーが俺に尋ねた。
「なんで、ララはこんなにごめんなさいって感じなの?」
「『死者の手』は年功序列なんだ」
「ネンコージョレツ?」アシュリーが首を傾げる。
伝わんねぇか。まあちょっと特殊な言い回しだし、ガキには難しいかもしれない。
「簡単に言えば、年上の方が偉いってことだ。お前が知っての通り俺らは不死じゃないから、単純に長生きした奴の方が大概強いんだ。生き残るために必要なことを知ってる。だから後輩……年下の奴や新人は、俺みたいなおっさんを尊敬するって感じだな」
「ほほー」
わかってんのかわかってないのか判断のつかない微妙なニュアンスで、アシュリーが声を上げた。
「さっき俺らのことくせぇつった奴は、新人のララと同い年。俺の方が年上。俺の方が偉い……って訳じゃねぇけど、まあ普通はもうちょっと丁寧に話す。ララはパーフェクト」
言葉遣いだけじゃなく、見た目もグッドです。アシュリーも年の割には胸が発育しているし、大人になったらこんな感じになるのかもしれない。
「ぱーふぇくと……」アシュリーが呟いて、ララをチラッと見た。続いて自分を見下ろす。「おっぱい?」
「――なっ!?」
ララが胸を押さえつけるように腕をクロスさせた。俺はおっぱいを見つつ「まあそれもパーフェクトに近いな」とニヤニヤしながら言ってみせた。
ララが真っ赤になっていた上に、アシュリーからの視線が痛かったので話を戻しにかかる。
「冗談はさておき、言葉遣いとか、態度の話だ。丁寧に喋るだろ?」
「こういうのがテーネイなの?」アシュリーがララのモノマネをする。「『うれしいです』みたいな?」
似てねぇ。無理してる感じが物凄い。
「一般的にはそうよ、アシュリーちゃん」ララがアシュリーに頷いた。「さ、もう遅くなっちゃったし、そろそろ寝ましょう? 先輩も、怪我に障りますし、お休みになった方が」
「んだな。ぶっちゃけ疲れてる」首を揉みつつ回す。ほぐれる感じが堪らない。「宿舎、どっちだ? ここの支部は入ったことないからわからん」
尋ねると、ララは「案内します」と言い先導を始めた。アシュリーと並んで歩き、ララを追いかける。
のんびり歩いていると、アシュリーが手を伸ばしてきた。俺の腕に触れる。大人に比べれば小さかったが、決して子供のそれではなかった。握ってやるべきなのか、よくわからない。どうも中層に上がってから、アシュリーは……甘えたがりな感じになっている気がする。どういう心境の変化なのだろうか。
俺は一瞬アシュリーを見てから、その手を握り返した。アシュリーが満足したように鼻から息を吐いた。
親もいなかった訳だし、頼れる大人――自分で言うのもこっ恥ずかしいが――に久々に会って、ガキらしい振る舞いになってしまっているのかもしれない。なら、応えてやるべきだろう。これから面倒見るって約束してんだ。俺が親みたいなもんだ。奥さんどころか彼女すらいないけどな!
手を繋いだまましばらく歩くと、ララが立ち止まった。振り返り、俺とアシュリーの手を見て少しだけ目を丸くする。が、すぐに気を取り直したように元の優しそうかつ大人びた表情に戻った。
「今日はこちらでお休みください。一部屋しか用意できなかったんですけど、ベッドはちゃんと二つありますので」
ララが扉を開け明かりをつけると、俺達に部屋の様子を見せた。特に飾りっ気のない、普通の部屋……というか仮眠室だった。俺にとっては少し窮屈そうな二段ベッドが二つ置いてある。
二段ベッドを見て、アシュリーが目を輝かせた。「おおー?」と声を上げながらベッドを覗く。それを見て、ララが小さく笑った。
「色々世話になったな。急に押しかけてすまんかった」アシュリーの様子を眺めつつ、ララに礼を言う。
「とんでもありません。先輩が無事でよかったです。――明日、朝食の時間に一度伺いますので」
「おう、助かる。細かいことはそれからってことで。……ふあっ…………すまん」
大きな欠伸が出てしまい、口を覆いながら謝った。ララはニコニコしながら、手を振り気にしてないと伝える。
「じゃ、また明日な」
「はい、おやすみなさい、パーシヴァル先輩。アシュリーちゃんも、おやすみなさい」ララがアシュリーに手を振る。
「おやすみー」
アシュリーも手を振り返すと、ララは俺に一度お辞儀をし、戸を静かに閉めた。
二段ベッドの上に上がったアシュリーが俺を見下ろしている。ベッドの縁から足を出してゆらゆら前後に動かす。俺の頭の位置的に仕方ないが、もうちょっと自分の格好とかのことを気にして欲しい。股間が見えそう。こういうことは早めに教えておくべきだろう。諸々終わったら伝えなくては。
「アシュリー、ベッドでお楽しみのところ悪いが、明日はそこそこ早起きしないとダメだ。寝るぞ」
「うー、わかった」
アシュリーが言いながらベッドから飛び降りた。ストンと小さな音を立てて着地し、そのまま下のベッドにダイブする。シーツがグチャグチャだ。明日直せばまあ許してもらえる……よな? ガキのやったことだし、多少は大目に見てもらえるだろ。
俺は部屋の電気を消すと、アシュリーの向かいのベッドに潜り込んだ。やっべぇ超柔けぇ。ベッドってこんなだったっけ!? 感動するわ。シーツも柔らかいし暖かい。下層で使ってた地べたにうっすいシーツ引いただけのアレとは雲泥の差だ。身体の疲れとか一瞬で吹き飛びそうな気がする。怪我だって、もう明日にゃ治ってるんじゃないだろうか? ……ないな、それは流石に。
馬鹿なことを考えていると、俺のベッドがなぜか少しだけ沈み込んだ。目を開け、暗闇の中でその正体を探る。
「……アシュリー? どうした?」
部屋にいるのが俺とアシュリーの二人だけという時点でほぼわかっていたことだったが、ベッドの上に乗っていたのはアシュリーだった。なんとなく、暗闇の中でも火のような赤毛は認識できた気がする。
「いっしょにねていい?」
アシュリーが言いながら、シーツをめくって中に入ってきた。
「答え聞いてねぇのに入るなよ」嫌がるような台詞を発しつつ、シーツを直してアシュリーの上に被せた。「一人で入った方が広いし快適だぞ? 下層にいた時みたいに、シーツが一枚しかない訳じゃない」
「おちつかなくて……。いいじゃん、一ヶ月ずっといっしょにねてたんだし」
そうである。あの家シーツになるような大きな布が一組しかなかったので、ずっと一緒に寝ていたのだ。別にやましいアレがあったとかは一切ない。ただ、寒かったので抱き合うようにして寝ることは何度かあったけど。
しかし中層となると話はちょっと変わってくる。別に誰に見られるって訳じゃないが、社会的な常識やモラルってのが存在する。親子でもない男女――歳は親子程離れているけど――が一緒のベッドに寝るってのは、まああまりいいことではない。
「ん……、ふみゅ……」
どうしたものか考えていると、胸元から小さな寝息が聞こえてきた。もう寝てしまったらしい。
俺の胸に頭を擦りつけながら寝ている姿は、なんというか……ちょっと猫とかそういう感じっぽい。小動物? そんな感じ。普段は態度がデカイしガラの悪い男の影響を受けたような言葉を喋っていた分、こうやって寝ている時は大人しく、年相応な感じになる。
最初からあまりそういう気はなかったが、追い出すこともできないので、俺は小声で「おやすみ」と言って目を瞑った。声に反応したのか、アシュリーが少しだけ身じろぎをし密着してきた。身体の柔らかさと暖かさが、俺にとっても落ち着くものになっていたことに気づき、俺は少しだけ笑った。
翌朝、アシュリーに枕にされていた腕が死ぬ程痺れていた。
用語解説
年功序列:
『死者の手』の組織内では、基本的に年上程偉く尊敬される立場です。これは、国民全員が不死であるロズメリアでは少しだけ特殊だったりもします。
第一世代を除き、ロズメリア人は見た目年齢が十八歳くらいで固定されてしまうので、誰がどれだけの年数を生きているのかわからないことが多いです。
そのため、年齢を訊かない限りは基本的に対等に接するという習慣があります。逆に第一世代は見た目で第一世代だとわかることが多いので、最初からある程度敬意を持って接するような感じです。
ちなみに、インターナルと呼ばれる第一世代の不死達もいます。彼らは不死になった時点で十八歳以下だったため、第二世代以降と見た目の区別がつかない第一世代のことを言います(見た目でわかる第一世代はエルダー)。
『死者の手』の隊員達は不死を消した存在なので、年齢を重ねるごとに見た目も老けていきます。死と隣り合わせの状態で活動するが故に、年上には敬意をしっかり払おうという雰囲気が強い感じです。
ちなみにおっさんになると任務などに出る際は仮面の着用が義務付けられます。老けていっている=不死じゃないということを悟られないための措置ですが、効果がちゃんとあるのかは不明。モチーフは制服と同じく、あえて怖い印象を与えるために髑髏を象ったものになっています。