六節 ひゃああっ
「だ、大丈夫……?」
階段の途中でへばった俺を見て、アシュリーが心配するように声をかけてきた。薄暗くてよく見えねぇが、俺の隣に屈み込んでいるのがわかる。
傷が痛い。鼓動に合わせて血が流れていっている感覚がある。急がねぇと、結構やばいかもしれん。致命傷じゃない分、じわじわ弱っている感じが辛い。
「……くそっ」思わず小さく呟いた。慌てて取り繕うように、元気な声を意識して出す。「心配すんな、大丈夫だ」
壁から身体を離し、階段を登り始める。元気な風を装っとかねぇと、色々マズイ。
アシュリーが俺の腰に手を回し、階段を登る補助をしてくれた。少しだけ体重を預けながら、ゆっくりと階段を登っていく。日が落ちちまったせいか、中層に近づいているはずなのに暗いままだった。下層とは天と地程に様変わりするが、外縁部の辺りは少し治安も悪いし、街灯も少ない。明かりが入ってこないのも当然だろう。
だが風は感じる。もう出口が近いことを、頬を撫でる風の勢いと音が俺達に伝えていた。傾斜の奥から、明かりが見えた。街灯じゃない。店の看板だ。夜になって市街地に回ってきた電気を贅沢に使っている。電気なんか下層にゃないから、これだけでも中層に戻ったという実感が湧く。
階段を登りきるとアシュリーと並んで歩き、俺にとっては懐かしい、アシュリーにとっては初めて見る、中層へと足を踏み入れた。
「……ん~……?」
アシュリーが首を傾げた。中層入って第一声がそれか。
「どうした……?」
「いや、思ったよりくらいなぁって」アシュリーが辺りを見ながら話す。
「……そりゃ、夜だからな。夜はどこも暗い。でも、店や家の中は明るいだろ。光が漏れてる。看板だって光ってる。街灯もあるぞ」もしやと思い付け足す。「……お前、もしかして夜でも昼間みたいに明るい、みたいなのを想像してたんじゃねぇだろうな?」
ニヤつきながら尋ねてみると、アシュリーは口笛を吹きながら明後日の方向を見た。合ってたらしい。そんな馬鹿な光景があってたまるか。
アシュリーは誤魔化すように俺の腰を支え直し、俺に話しかけた。
「どこ行くの? ケガ、どうにかしないと」
「少し行ったとこに、『死者の手』の支部がある。……そこで見てもらえるはずだ」
ああ、くそっ。歩く度に響く。明らかに息が荒い。身体が悲鳴を上げている。耐えろ。他人の手は借りれない。自分の足で歩くしかない。
一歩一歩確実に、着実に、ゆっくりでいい。進み続けろ。休んだっていい。体力は十分にある。痛いだけだ。泣き言を言うな。
心の中でキツツキのように高速で文句を言いながら、身体は亀のようにノロノロと歩き、月が空高く登った頃、俺達はようやく『死者の手』の支部に到着した。二十四時間フル稼働しているおかげで、支部の前にはいつでも隊員が待機している。
俺はアシュリーに支えてもらいながら、入口前で警備をしている隊員に手を振った。隊員が俺に気づき、慌てて駆け寄る。
若い隊員だ。髑髏の仮面を付けていない。後輩か。
「ど、どうした!? 大丈夫か!?」
「……うるせぇ、怪我してんだよ。入れろ」
「み、身分証を」
融通利かねぇな。そんなもんねぇよ。……いや、あるか。
「……アシュリー、首にタグ掛かってるから……出してくれ」
即座にアシュリーが俺の胸元に手を突っ込んだ。ちょっとくすぐったい。でもあったけぇ気もする。
アシュリーが識別用のタグを取り出し、隊員に見せた。それを確認した隊員は慌てて入り口を開けると、俺の脇に入り肩を貸した。
三人で並んで支部に入る。電灯で明るい。アシュリーが目を細めながら、辺りをキョロキョロし始めた。
「気になんのはわかるけど、後にしてくれ」肩に乗せてた手を使って、アシュリーの首を前に向けさせる。
エントランスのソファに連れて行ってもらい、腰を下ろした。足で体重支えなくていいって最高だな。気持ちに余裕が出来る。
肩を貸してくれていた隊員が奥へ走っていった。多分、医療班の奴を呼ぶか、いないなら救護キットでも取りに行ったのだろう。
「だいじょーぶ?」アシュリーが俺の前で屈み込んで言った。
「問題ねぇって言ったろ? 傷が開いただけだ」言いながらコートを脱ぎ、ベルトを外す。「おっさんの裸を見る趣味でもあんのか?」
アシュリーは少しだけ顔を赤くして、壁の方へ視線を動かした。一応自分が女であることは自覚しているらしい。俺はどうにか尻を浮かしてズボンを脱ぎ、右足の傷の具合を見た。
……あーらら。結構ヤバいかも。縫ったはずの傷がパックリ割れてる。血だかなんだかよくわからないが、ヌルっとしている。やっぱり派手に跳び回ったのがよろしくなかったらしい。むしろよく頑張った俺。
先程の隊員が戻ってきた。別の隊員も一緒だ。医療班らしく、普通のものよりも白の割合が増えた制服を着ていた。今じゃほとんど見ないが、医者ってのは白い服をよく着ているらしい。その影響で、医療班は若干白めの制服になっているのだとか。
「何だこれ……」医療班の男が足の傷を診ながら言った。メガネを指で持ち上げる。「あんた、まさか自分でやったのか?」
多分、自分で縫ったことを言っている。仕方ないだろ。誰もいなかったんだから。
「イデデ。そうだよ、自分でやったよ。治りかけてたんだぜ? 開いちゃったけど」
「化膿してないのが奇跡だ。――染みるぞ」
医療班の男が鞄から瓶を取り出し、消毒液を俺の足にぶっかけた。歯を食いしばり、声を上げねぇよう我慢する。ガキの前でみっともなくピーピー騒ぐのだけは俺のプライドが許さない。アシュリーがいなかったら? 泣き喚いてただろう。
傷口周辺の消毒が終わったのか、今度は麻酔薬入りの注射器を足に刺した。いてぇ。いてぇよ。もっと細い針とか作れねぇのかよ。
アシュリーは一連の流れが恐ろしかったのか、耳を塞いで壁に顔を押し付けていた。そういう反応を取られるとからかいたくなる。
「痛いよ痛いよー! わああ血がいっぱい出てるよー!!」大声で叫ぶ。
「ひゃああっ」
アシュリーが可愛い悲鳴を上げながら屈んだ。その様子が可笑しく俺は笑ったが、医療班の男に睨まれ真面目な顔に戻した。
「あの子はなんなんだ?」
医療班の男が治療を進めながら尋ねた。若干機嫌が悪そう。俺がフザけたのがイラッとしたのだろう。すんませんね。
上着を脱がされ、今度は腕にも注射をされながら俺は答えた。
「命の恩人さ。良いことじゃねぇが、俺らの秘密を知ってる。だから気にすんな」膝を抱えてこっちを見るまいとしていたアシュリーに向かって話しかける。「アシュリー、スマン。さっきのは冗談だ。痛くねぇよ」
いや、痛いけど。だがすぐにでも痛くなくなるはずだ。
アシュリーが振り向き俺を一度睨む。が、傷口が目に入ってしまったのか、すぐにまた壁に額を擦りつけ始めた。
俺にはよくわからない手順を進め、応急処置が始まった。足の感覚が薄い。麻酔が効いているらしい。医療班の男が古い糸を足から抜き、清潔な糸で傷口の縫合を行った。ガーゼか何かで傷口を覆い、これまた清潔そうな包帯でぐるぐる巻きにする。気づけば、足の治療は完全に終わっていた。
同じようなことを腕や腹の傷口に行い――こっちは傷口が開いてなかったので、幾分かマシだった――きっかり三十分程で処置が完了した。
「何をしたらこんな雑な手当てができるんだ……ったく」医療班の男がズレたメガネを直しながら言った。「それで、何があったんだ?」
「あー……なんつったもんかね」
アシュリーをチラッと見る。医療班の男と入り口にいた隊員が、揃ってアシュリーを見た。見られたことに気づき、アシュリーがささっと動いて俺の後ろに隠れた。
「そのガキ、格好が酷い。……あんたもだけど」隊員が鼻を摘みながら言った。
「臭くて悪かったね」臭いを振りまくように手をひらひらさせる。「一ヶ月ちょい前に下層に任務で下りてな、この子とはそこで。死にかけて倒れてたところを助けられた」
アシュリーが拉致られ、銃を取られていたのはラッキーかもしれない。銃なんざ持ってたら怪し過ぎた。銃がなければ、この子が犯罪者なんて思う奴はいないだろう。
「一ヶ月ちょっと前……? もしかして『猟犬』の参加者か!? あの作戦は失敗したんじゃないのか?」医療班の男が尋ねた。
『猟犬』……? ああ、そういえば作戦がそんな感じのコードネームだった気がする。すっかり忘れていた。
作戦のことと気づき、俺は医療班の男に頷いてみせた。
「失敗したし成功もした。その場にいた敵は全滅。部隊も俺以外全員死んだ。そんでこの子に助けられたって訳だ」後ろ手でアシュリーの頭をワシワシと撫でる。「つーかこの話今必要か? 俺の愉快な下層生活にそんな興味あんのか?」
「すまん、驚いたもんで」医療班の男が苦笑いを浮かべた。「とりあえず今日はここで安静にしてくれ。明日車を出すから、本部に報告を」
「助かる。アシュ……この子も今日はここで一緒にいさせてやってもいいか?」
俺がそう頼むと、隊員達は露骨に嫌そうな表情を浮かべた。アシュリーがそれに気づき、俺の背中に顔を押し付けた。
……これだから人間ってのは糞だ。生まれた場所や髪の色、肌の色、そんなので偉い偉くないとか決めつけやがる。くだらない。
入り口の隊員が吐き捨てるように言葉を発した。
「字も読めない下層の薄汚いガキをなんで俺らが――」
「それ以上言ったらぶっ殺すぞ」
隊員の言葉を遮り、俺は低い声で言った。隊員の首元にはナイフ。触れるか触れないかのギリギリで一応止めてやっている。糞なことを喋ったら、そのまま突き刺すように動かしても構わない。
ナイフを喉元に突き付けられ、隊員が口を閉じゆっくりと下がった。ナイフを鞘に戻し肩をすくめる。
「ま、いいんじゃないか?」医療班の男が苦笑いしながら言った。「なんにせよとりあえず二人共風呂に入ってくれ。臭くてかなわん」
「服がねぇよ」アシュリーを顎で示して言う。「あと俺怪我してんだけど」
「ああ……」
医療班の男が顎を撫でた。考えるように、少しの間天井辺りに視線を向ける。
「とりあえず今日はデカイだろうけどなんか着せとこう。ちゃんとしたのは明日買いに行けばいい。傷はあれだ、誰かに洗ってもらえ」
「美人のお姉さんで頼む」
できればおっぱい大きい子。
「馬鹿は死なないと治らん」
医療班の男はそう返すと、医療キットを箱に戻し奥へ引っ込んでしまった。ナイフを突き立てられそうになった隊員が気まずそうにしながら、外の警備に戻っていく。
取り残された俺は一度長めに息を吐き、立ち上がろうとした。が、麻酔のせいか力が入らず腰を浮かせるだけで終わってしまった。無理に動けばソファから転げ落ちてしまうだろう。
どうしたもんかね。麻酔が抜けるまでこのままか? つーかどうしたらいいの? 最悪男に洗ってもらうとしてだな、そもそも風呂どこにあるんだっつー。
アシュリーはいつの間にか俺から離れ、辺りをキョロキョロと見回していた。呑気なもんだ。『オヤジ』の言いつけ通り、色々楽しんでいるのかもしれない。
動くに動けずボーッとしていると、今度は違う隊員が奥から現れた。女だ。いわゆるセクシー系。大人の色気ってやつを惜しみなく放っている。少しだけ胸が窮屈そう。昼間におっぱいサービスを見たせいか、ちょっと視線が吸い寄せられてしまう。
まさか俺のお願いを聞いて美人の隊員を寄越してくれたのだろうか? おいおいマジかよ。あのメガネやるじゃないか。
俺とアシュリーの方へ真っ直ぐ歩いてくる。笑いながら手を振ったかと思うと、一瞬目を開き眉をピクッと動かした。臭ったのかもしれない。……慣れって怖えな。自分やアシュリーの体臭なんか全く気にならんぞ。
セクシー隊員が気を取り直し俺達の前にやって来た。目線を合わせるように屈み込み、たわわな果実が強調される。
「こんばんは。杖、持ってきました」セクシー隊員が後ろ手に隠していたのか杖を出し、俺に差し出した。「私、ララっていいます。今年から正式な隊員になりました。先輩のお名前は?」
「……パーシヴァルだ」杖を受け取り立ち上がる。意外と力が入る。弱めの麻酔だったのかもしれない。「こいつはアシュリー」
「……こんちは」
アシュリーが小さな声で言った。ララを見上げるその表情は、決して明るいものではなかった。
ララがアシュリーの方を向いて、目線を合わせる。
「うん。でも今は夜だから『こんばんは』よ、アシュリーちゃん」ララが微笑む。「とりあえず、シャワールームに案内します。服もそちらに用意しているので」
「助かる。俺の身体、あんたが洗ってくれんの?」
俺は股間にテントを作らないよう気を静めながら尋ねた。しかし俺の期待を破壊するように、ララが首を傾げた。
「えっと……何のことですか?」
「…………いや、ただの冗談だから気にしないでくれ」危ない。早とちりだったようだ。チ゛ク゛シ゛ョ゛ウ゛……!「あー……アシュリーの風呂、頼んでいいか?」
「はい、勿論です」ララが再びアシュリーに微笑みかけた。「いきましょう、アシュリーちゃん。シャワー使ったことある? 気持ちいいから、きっとすぐに大好きになるわよ」
ララに背中を押され、アシュリーが動き始めた。しかし立ち止まり、俺の方を振り返る。
「おうなんだ寂しいのか?」ニヤニヤと笑ってみせる。「知らねえ大人ばっかりで怖いか? それとも『死者の手』だからか? 大人しいアシュリーは不気味だな」
「……~~~……うるさいっ!」アシュリーはプイッと反転し、通路の奥へ歩き始めた。慌ててララがアシュリーの手を掴み、こちらに首だけ向ける。
「あのっ! 突き当りを右に行って、そのまま奥に行けばシャワールーム、あるのでっ!」
アシュリーの猛烈な勢いに負け、足をもつれさせながらララが言い残した。会釈し、アシュリーと並び曲がり角に入って姿を消す。
んじゃ俺も行きますかね。久々のシャワーだ。楽しまなくては。
俺は杖をついて歩き始め、久々の安全圏の空気に酔いしれた。
用語解説
正式な隊員:
『死者の手』は、正式な隊員になる前に専門の養成学校であるアルバサイド学院に入学することになっている。学院は十五歳の健康な男女を毎年募集しており、学院を卒業すると正式な隊員になれる。
学院は七年生で、通常は三年生までは上層で訓練を行い、四年生からは中層の支部に仮配属され実務を手伝うことになる。ただし隊員の資質や、班の状況などによって変更されるので必ず在学中から配属される訳ではない。
今年から正式配属なので、ララは二十二歳です。
電気:
ロズメリアの中層と上層には電線が通っている。日中は工場に電気を回しているので、特別な申請をしていない限りは一般人には使えないが、夜間は市街地の方に回ってくる。
※追記(1/4):誤字・一部表現の修正。