四十四節 はい、パーシヴァル先生
安定した生活というのは素晴らしいと思いませんか? 俺は思います。
こういう風に思ってしまうのは、少なくとも数ヶ月前までは安定していたからだろう。
アシュリーと再会し、アイツの仕事仲間――ヘイデン=アストリーという男らしい――への恩赦もどうにかオスニエルのジジイに頼み込んでから、もう三年近くが経ってしまった。正確には二年と七ヶ月だが、まあ概ね三年だ。
この三年間でアシュリーと会ったのはギリギリ二桁いかないくらいの回数だ。平均して四ヶ月に一回程度会ってることになる。
アシュリーと会ったと言っても家で密会してるだけだから、デートやなんかには行けない。それでもこの時間は最高に楽しかった。
一緒にお喋りをして、料理を作って、風呂に入り、一緒に寝る。肉体的な絡みももちろん呆れるほどしているが、それ以外の時間もかけがえのない時間だった。
まあとにかく憂いも減って、後はアシュリーがどうにか裏社会から戻る手助けをできればなと思っていた訳だ。
それ以外の生活に関してはそれなりに色々あったが順調だったし、そんなに言うことでもない。
あえて言うとすれば、昔気まぐれで助けた女がいつの間にか『死者の手』になってて、いつの間にかアルバサイド学院の教師になってたのは驚いたが、まあそれぐらいだ。まとわりついてきて若干ウザいのは余談。
さて年が変わって数ヶ月。夏に入る少し前。ある種ルーティンになっていた俺の生活が激変してしまった。安定が欲しい。
きっかけは学院に入学してきた新一年生だった。新入生の内六人が、入学した時点で魔法が使えるからってんで実習生に選ばれたのだ。
実習生ってのは簡単に言えば飛び級制度だ。現役の隊員と遜色なく既に動けるんだから、先に仕事させちまおーぜという制度。いわゆるエリート様ですね。
そのエリート新入生達が巡回警備中に銀行強盗をとっ捕まえた。
その捕まえた強盗が、『死者の手』と敵対している宗教団体『神の子』に献金してる犯罪組織と繋がってることが発覚。あれよこれよという間に、そのデカイ犯罪組織を潰す作戦が立案されてしまった。
そしてなぜだか知らないが例のエリート新入生達も作戦への参加が決まってしまった。
実習生のガキ共が本隊の作戦に参加することは別にそこまで珍しいことじゃない。俺もやったことがある。
だが任務地が問題だ。強盗達が所属していた組織が根城にしているのは、どうも下層らしいってことがわかってきた。
下層にぶち込まれる任務なんざ、大概人数減らしのための特攻作戦だ。新入生のガキどもは運悪くそれに参加することになってしまった訳だ。
その新入生共には別に思い入れはない。だからいつ死のうが正直興味はなかった。だが興味はなくとも、俺の仕事上アイツらが死ぬのは困ってしまう事情が出来てしまった。
その新入生の中の一人、リムとかいう名前のチビ野郎は俺が目をつけた人材だったのだ。
つまり、オスニエル学長に言われてやっていたスカウト業で、まさしく誘おうかなと思っていた奴だったのだ。
暗殺部隊に入れたい人材が教育する間もなく死んじまうってのは、ちょっと色々と納得がいかない。
だから俺は決めたのだ。任務が始まる前に最低限の指導をして生存率を上げてやろうと。
「――シッ!」
リムが口の端から息を漏らし、手に持っていた木製ダガーを突き出した。
ふむ……いい狙いだ。ちゃんと教えたことを守っている。ノロくて余裕で躱せちまうが、それはまた別問題。
突き出された手を叩き、リムの手からダガーを奪って地面に押し倒す。そのままのしかかり首にダガーを突きつけた。
「はい、お前死亡」
リムの上から退きダガーをポイッと投げ捨てる。
いやぁやっぱり男相手は気兼ねなくできて楽ですね。
ララの指導をした時はちょっとだけ遠慮というか、あんまりくっつかないようにした方がいいかな? って配慮? したことがなかったこともないので、男相手だと楽。もうガンガン投げ飛ばして組み敷いちゃう!
リムは肩で息をしながらゆっくり立ち上が……ろうとしてそのまま倒れた。限界らしい。
「もう無理か?」
「まだ……やれます……っ」
リムは死にそうな顔でそう言い、プルプルと震える腕で身体を持ち上げた。汗を滝のようにかいて潰れた髪の毛を払い、息を吐く。
凄い根性。俺がコイツの立場なら、諦めて寝てただろうに。だって疲れるもの。
「……少し休憩にしよう。座って待ってろ、飲み物持ってきてやる」
リムに言いつけ、訓練場の隅っこに置いておいた水筒を取りに行く。コップに冷たい水を注ぎリムに渡すと、リムは受けとった水を一気に飲み干してしまった。
もう一杯注いでやり、自分も水筒に口を付け水を呷る。ンマイ。
リムは二杯目の水はゆっくりと飲んでいた。一杯目のアレで多少落ち着いたらしい。
なんとなく手持ち無沙汰なのでリムを観察する。
身長は大きくない。百六十六センチとか、そのくらい? 小柄だ。体格も身長に見合った感じで、決して細い訳じゃないが、デカイ人間に比べれば見劣りする。
純粋な格闘でコイツが大成することはないだろう。魔法を使えばまた別の話だが、魔法使い同士の戦いになった時は、やっぱり上手くいかないだろう。
だからこそ、コイツとコイツの班員の生存率を上げるには俺達の技が役に立つ。
リムの班は、近接戦闘を得意とする奴が二人いる。ライフルがそれなりに得意な運動音痴が一人、格闘は微妙だけど魔法を得意とする奴が一人。そんでリムは、魔法が苦手で格闘も微妙、という立場だ。
コイツの心境で考えれば、内心面白くないだろう。接近戦でバンバン犯罪者を狩れる訳でもなく、ライフルや魔法で前衛の支援もできない。本当に微妙な立ち位置だ。
だがそれならそれで、別のやり方がある。
影になればいい。気配を殺し、その場から消えるのだ。チャンスを窺い、一撃で仕留め離脱する。
俺達の、技だ。
一息付いたタイミングを見計らい、俺は水筒を脇に置いて立ち上がった。
リムも立ち上がり、肩を回す。
「よし、やるぞ」
「はい、パーシヴァル先生」
リムが返事をし、構える。
先生、ね。もう何年もそうやって呼ばれているはずなのに、やっぱり慣れない。
だがまあ、先生らしくはやれてるんじゃないだろうか。殺すための技術と、死なないための技術を教え、送り出す。うん、先生っぽい。
先生らしく、コイツも投げ飛ばしてやろうじゃないか。
「いつでも来い。そしてどうして投げ返されるのか考えろ。身体で覚えるんだ。そうでもしなきゃ、到底間に合わん。仲間を守りてぇだろ?」
「はい!」
「よし。やれ」
俺が手招きをするのと同時にリムが飛び出した。
ダガーを振るい、首を狙う。……風に装い足を刈ろうとしていた。
ノロいのとは別に、狙いが透けて見えてしまっていた。まだまだ教えることは多い。
リムの足払いをいなし、逆に転ばせる。首に手を置き、床に押し付ける。
リムは自分の状況を理解し、悔しそうに眉を歪めた。
作戦が始まるまでのひと月。俺はどこまでコイツを鍛えられるだろうか。




