四十二節 パーシヴァルの匂い……
空いた口が塞がらない。
何がどうしてそうなったのかよくわからん。
丁度口が開いたままだったので紅茶を飲む。味がよくわからなかった。だが、口を塞ぐことはできた。
突然目の前に現れたアシュリーは、笑みを浮かべてジッと待っている。
何か……話さないと。
「……久しぶり、アシュリー。スマン、ちょっと……驚いたというか、上手く飲み込めてねぇっていうか」
「いいよいいよ。驚かせようと思ってやったことだし」
笑顔を崩さず、アシュリーは再びコーヒーに口を付けた。「んんー!」と漏らしながら美味しそうにしている。
「あー……なんだ、その……終わったのか? ケジメ」
尋ねると、アシュリーはカップを置いて、少しだけ真面目な顔つきになった。
「終わったよ。アタシを狙ってた奴らは、全員とっ捕まえて憲兵に突き出してやったわ。もちろんちゃんと証拠付きで」
「なら――」
もう帰れるのかと聞こうとしたら、アシュリーが手を前に出して遮った。思わず黙ってしまう。
「まだ、帰れないの。パーシヴァルとは、一緒に過ごせない。今日はそれを伝えようと思って、待ってたの。パーシヴァル、よくここに来るようだったから」
「……どうしてまだ戻れないんだ?」
佇まいを正し、俺は少しだけ身を乗り出した。机の上に置いた俺の手を、アシュリーが握る。俺よりも小さく、細い。懐かしい手触りだ。
「家を出る時に、言った通りのことになっちゃったの。……まるで沼みたい。深みにハマって、抜けれなく……なっちゃった」
アシュリーは少しだけ俯き、自嘲するかのようにか細く笑った。
「それは……犯罪って意味か?」念のため声のトーンを落とし尋ねる。
「うん……そんな感じ。ケジメをつけるために必要だったの。でも裏の世界に入ったら、抜けられなくなっちゃった。恨まれてはいない……と思うけど、下っ端だから、仕事を依頼されたら断れなくて」
裏稼業ってのは大体が信用商売だし、下っ端ならなおさらだ。自分に舞い込んできた依頼を蹴ることは許されない。
蹴れば信用を失い、また恨まれ、追い詰められ、死ぬよりも辛い制裁が待っているだろう。
アシュリーは息を吐き、続けた。
「それにね、ちょっと……それ以外の事情というか……仲間が出来ちゃって」
「仲間?」
「うん。アタシとは事情も違うけど、色々間違って中層から降りてきた奴でね。今は二人で、仕方なく何でも屋みたいなことをしてる」アシュリーは顔を上げた。「中層にアタシだけ戻るなんてできない。アイツを……見捨てるのは、なんか……嫌なの」
「お前は相変わらずだな。俺を助けてくれた時を思い出すよ」
何の義理もないのに、コイツは俺の世話をずっとしてくれていた。アシュリーは……優しい子なのだ。犯罪や暴力なんか、似合わない。
「だから、しばらくはまだ戻れないの。……ごめんね。アタシなんかに……パーシヴァルは――」
「そういう風に言うのは止めろ。お前のことだから『アタシのことは忘れて別の彼女でもー』とか言いそうだけどな、絶対にお断りだからな。俺はお前以外いらない。この三年な、俺は一度も女を抱いてないぞ。娼館に誘われたこともあるが、断った。お前じゃなきゃ、嫌なんだ」
アシュリーの手をしっかりと握ってやる。
「約束、しただろ? だからなるべく早く戻ってきて、俺の嫁になれ」
「時間……かかるかもしれないよ?」
アシュリーはそう言いながらも、俺の手をギュッと握り締めていた。
離す気なんか、やっぱりないんじゃないか。……お互い不器用だな。
「待つのは得意だ。お前も待つのは得意だろ?」
「ふふっ、そうだね」アシュリーは手を撫でながら笑った。「アタシも待つのは得意よ」
「いつまでも待ってるから、遠慮すんな」良いタイミングだし、話しておくか。「こっちはこっちで、お前が安心して戻れるように色々動いてる。戻るきっかけさえ作れれば、今までに犯した犯罪のことは気にしないで平気なはずだ」
「そう……なの?」
「ああ。お前のその友達のことも相談してみる。ソイツも、悪い奴じゃないんだろ?」
じゃなきゃアシュリーが助けたいなんて思う訳がない。
「うん。いい人だよ。望んでやってる訳じゃない。下層で生活するために、仕方なくやってる」
「ならきっと大丈夫だ。二人揃って戻ってこい」
まあ俺の仕事はバカみたいに増えるかもしれないけど、わざわざ言うことでもあるまい。チクショウ……またあのジジイに弱みを握られるのか。
「ありがとう、パーシヴァル」
「おう、崇め奉れ。――今日はどうすんだ? すぐに降りるのか?」
できればもっと話したい。
だって三年振りなのだ。話したいことは山程あるし、アシュリーに触れたい。
「ううん、今日はこっちに泊まるつもり。最近やっと仕事に余裕というか、多少は動ける隙間ができてきたの」
そこまで言ってアシュリーは「じゃなきゃ来れてないんだけどね」と付け足した。
俺の手に触れたままアシュリーが笑う。凄く自然な笑みだった。
「じゃあ……久しぶりに家に帰ろう。一緒に」
「うん。パーシヴァルの顔も見たいし」
アシュリーに言われ、俺は思わず仮面を手で触った。紅茶を飲むために下半分は外しているが、目元はレンズに覆われ視線やなんかはアシュリーからは見えない。
あまり老け顔を晒すのも気持ちの良いものじゃないが、アシュリーだけは別だ。
「あ、でも一緒には無理」アシュリーは俺の手を離し、申し訳なさそうに眉を下げた。
「は? なんでだよ」
すっごい肩透かし感。
「今は店の中だし、席が奥の方だから大丈夫だけど、外に出て見られたらヤバいの」
「ああ、なるほど」
裏世界の住人がその天敵の『死者の手』と仲良く歩いてたら大問題か。アシュリー――とその相棒――が作った信用が壊れちまう。そうなったら、帰ってくるどころかまた恨まれ追いかけられる生活になってしまうだろう。
「なら……対外的には、俺とお前は仲良しどころか嫌い合ってるくらいの方がいいのか。まあ『死者の手』と仲良くしてる一般人なんかおかしいからな」
「そういうこと。だからアタシがこっちに戻るまでに仕事でバッティングしちゃったら、因縁でもあるように振る舞っとかないとマズイかも」
「んなことないと思うけどな。俺は普通の隊員じゃない」
ああでも、暗殺任務でもしかしたらという可能性はあるのか。俺じゃなくても、他の奴らが出会う可能性もある。確率としては高くないだろうが、絶対にないとは言い切れない。
正直なところ、俺の部下のほとんどはアシュリーに勝てないと思う。俺がアシュリーを仕込んだんだ。それくらいはわかる。だから大丈夫だ。
じゃあ俺が任務でアシュリーと会ったら?
俺は彼女を殺せるだろうか?
……無理だな。その時は、それこそ上手く逃げられた風に演技をしてやろう。俺とアシュリーなら、造作もなくできるはずだ。
「――先に家に帰って待ってて。テキトーに時間潰してから行くから」
アシュリーは俺から手を離し、コーヒーを飲んでウィンクをした。
時間差で入って、万が一関係者に見られたとしても平気なように誤魔化す訳か。なら俺は俺で人に見られないよう帰った方がいいかもしれない。
「了解。鍵も閉めとく。まだ持ってるだろ?」
「うん、大丈夫」
アシュリーは自分の胸を軽く叩いた。その露出でどこにしまってるのかと思ったが、もしかして首から下げて胸に入れてんのか……? ……まあいいか。
俺は残っていた紅茶を一気に飲み干し、仮面の下半分を元に戻した。仮面は好きじゃないが、まだこっちのがマシだ。ホント見た目間抜けで嫌になる。
アシュリーを置いて立ち上がり、カウンターで店主に勘定を頼むと、店主が代金を言い渡しながら尋ねた。
「彼女さんですか?」
「いや、ちょっとした知り合い」代金を渡す。アシュリーの分は出さない。アイツとは親しい仲じゃない風を装わなくはいけないからだ。「じゃあな、また来るよ」
「はい、どうぞまた」
店主に見送られ、俺は店を出た。アシュリーと会話なんかしてないので、軽く伸びをしてひょこひょこと歩き始める。
《意思感知》を発動させ、網を広げていく。周囲に、俺に対して怪しむような感情は見つけられなかった。
取り越し苦労ならそれでいいが、アシュリーと接触した後はこうやってチェックをした方がいいだろう。
俺との関係を疑われたら、被害に遭うのはアシュリーだ。しかも俺には関われないような場所で、きっとそれは行われる。そうならないためにも、万全を尽くさなくては。
周囲を警戒しながら歩き続け、俺は自宅へ戻っていった。人通りが途切れたタイミングを見計らい、滑るように家の中に入り鍵をかける。
よし、誰にも見られていない。『見る者』の二つ名は伊達じゃない。
《意思感知》を使えば、誰がどこで何をしてるのかなんとなくわかる。逆に言えば、俺を見ているかどうかくらいなら一瞬で判断できるのだ。
家中のカーテンを閉じ窓から中が見られないようにした上で、俺は着替えだけ済ませリビングのソファに腰掛けた。
身動きを取らず、《意思感知》は発動させたままで、じっと待ち続ける。
家に帰ってから一時間程した頃、網にアシュリーが引っ掛かった。落ち着いた感情と一緒に、なんともむず痒くなるような気持ちが漏れていた。一応隠そうとはしているらしいが、俺からはバレバレだった。
アシュリーの周囲には通行人らしき反応はあるが、アシュリーを追いかけ追跡するようなものは見つけられなかった。
今回は杞憂で終わったらしい。よかった。
扉の鍵がカチャカチャと音を立てた。扉が開き、閉ざされる。アシュリーだ。
アシュリーはリビングに入ってくると、俺に飛びつこうと駆け寄りジャンプした。ソファから立ち上がりアシュリーをキャッチする。
「皺が増えたね、パーシヴァル」
アシュリーが俺の顎を撫でながら言った。ヒゲのチクチクを感じて顔を綻ばせる。
ヒゲをアシュリーが好きそうな長さにいつも揃えておいて正解だった。
「もう四十超えたからな。お前は変わらない」
「不死だもん」言いながらアシュリーがキスをする。「――ずっと、逢いたかった」
「俺もだよ。ホントに、ずっと逢いたかった」
ソファにアシュリーと一緒に座る。アシュリーはその間、しきりに口や首筋にキスをし続けていた。
アシュリーを抱きしめ、しばらくじっとしている。お互い黙っていたが、辛い沈黙ではなかった。三年間の空白を互いの熱で埋めるような、そういう儀式めいたことだ。
「沢山ね、話したいこと、あるの」アシュリーが頬と頬を合わせるようにしながら言った。「パーシヴァルがどういう生活してたのか、とか。ララのことだって、聞きたい。友達だもん」
「ああ、俺も沢山話したいし、聞きたい」
「うん。でもその前に、パーシヴァルを、全身で……感じたい。アタシそれしか、わかんないから」
「俺もだよ。小洒落たことは苦手だ」
アシュリーの腰を撫で、そのまま持ち上げる。やっぱり軽かった。
二階の寝室に上り、ベッドの上にアシュリーを投げ落とす。アシュリーは笑いながら服を脱ぎ、俺の枕に顔を押し付けていた。
「パーシヴァルの匂い……」
顔を埋めながら、アシュリーは腰を揺らしていた。お尻の肉がプルッと揺れる。
俺も服を脱ぎながらアシュリーに覆い被さった。湿り気を感じるそれに、怒張を擦り付ける。
「アシュリー。こんな時に聞くのもアレなんだけど、一個気になってたことがあってさ」
喫茶店で話を聞いた時に、気になってしまっていたのだ。
「ん……なあに?」
後ろ手で俺の頭を触りながら、アシュリーが尋ねた。
シーツとアシュリーの身体の間に手を差し込み、お腹と胸の膨らみを撫でながら俺は切り出した。
「――お前の仕事仲間、女だよな?」
結構大事なことだ。男だったら、どうしよう。
「男だよ?」
……心停止するかと思った。だが、アシュリーはすぐに笑って続けた。
「心配しないでよ。別のとこに住んでるし、そういう感情も一切ないから。あくまでも仕事仲間」
「なら……いいんだけど」
股間を擦り付ける動きを再開しつつ、俺はゆっくりと息を吐いた。
心臓に悪い。気が気じゃないってのはこういういことだな。
「アタシの気持ち、これでわかった?」アシュリーがからかうような口調で尋ねた。
「ララのことか……。よくわかったよ、こいつはキツイ」
胸が張り裂けそうというかなんというか。男と二人で仕事をしているというだけでヤキモチを焼くくらいだ。俺は相当らしい。アシュリーもらしいが。
「反省したまえ」アシュリーは俺の頭に置いていた手でポンポンと二三度叩いた。
「ああ。悪かったよ」
アシュリーの首筋に鼻を押し付けながら囁く。勿論両手と腰の動きは忘れない。
「許してあげる。んふ……、ちゃんと安心させてくれたしね」アシュリーはくるっと反転し、俺の首に手を回した。「だから、アタシも安心させてあげる。来て、パーシヴァル」
「ああ。――ちなみに今日は?」
「安全な日。そうじゃなくても、自殺してなかったことにするけどね」
「あんま好きじゃないんだよな、それ。なかったことにしたくない」
なんか、愛した証拠も一緒に消えちゃうような気がして、微妙な気持ちになってしまう。
「アタシも。だから今日を狙ったんだけど」ニヒッと歯を見せてアシュリーが笑った。「逢える時間は少なくても、これから頑張って見つけるから。だからその分一緒にいる時は、いーっぱい、愛してね?」
「ああ、倒れるくらい愛してやる」
腰を押し進め、アシュリーと一つになっていく。
俺は別れた三年で募った思いを、アシュリーに注ぎ続けた。
※追記(1/21):一部表現の修正。




