四十節 おかえりなさい、先輩
あれから二日が過ぎた。
自宅謹慎を言い渡された通り、俺は文字通り一歩も家から出ずに過ごしていた。
ぶっちゃければ、買い物に出かける気力すらわかなかったのだ。アシュリーがいた形跡を見ては泣いてしまっていた。家の至る所に残った彼女の芳香が、悲しみを否応なく現実のものだと認識させた。
……ここまで自分が弱い……違うな、アシュリーがいないことに対してショックを受けるとは思っていなかった。アイツと会う前の俺に言っても、絶対に信じないだろう。
アシュリーの荷物は少なかった。愛用のライフルに、服をいくつか鞄に詰めただけ。餞別代わりに金はそこそこ持たせてやったが、何かしらで稼がなくてはすぐに立ち行かなくなるだろう。
でも俺は知っている。アイツが、いつも出かける時は持つよう言っておいた俺の識別タグと家の鍵を持っていったことを。
アシュリーはちゃんとここに帰るつもりなのだ。なら、俺もちゃんとしなくちゃいけない。
情けない姿は見せられない。
「…………ふぅー……よし……」
大きく深呼吸し、立ち上がる。偶然洗面台の鏡に自分の姿が映った。
髪の毛はボサボサだし、ヒゲもいつものチクチク状態じゃない。目元がなんだか暗いし、いつもより疲れた表情をしているように見える。
頬を思いっきり叩くと、幾分かマシな顔つきになった気がした。
風呂場に直行し、熱い湯を頭から思いっきり被る。ヒゲをアシュリー好みのナイスチクチク程度に整え、『死者の手』の制服を着た。
鏡の前には、やはり元気のなさそうな中年が立っていた。それでも、さっきの死にそうな顔のおっさんよりはマシだった。
アシュリーのケジメがいつ終わるのかはわからないが、いつ帰ってきてもいいように準備をしておかないといけない。
そのためには、オスニエルのジジイに会いに行くのがいいだろう。
あのジジイは何が目的か知らねぇが裏で色々動いている。借りを――更に――作るのは面倒なことになりそうだが、アシュリーのことを想えば大したことじゃない。
俺は家を出ると、一直線にシャフトまで向かい、上層へ上がった。
カウンターで同僚に迷惑をかけて済まないというようなお決まりの社交辞令をし、オスニエル学長がいるであろうアルバサイド学院へ移動した。
学長室の扉をノックすると、中から「どうぞ」と声が返ってきた。扉を開き、大股でオスニエル学長に近づく。
「――おや、自宅謹慎を言い渡していたと思いましたが? パーシヴァル君」
「ちょっとばかしアンタに用がありましてね。座っても?」
「ええ、構いませんよ。丁度一息つこうと思っていたところです、お茶を淹れましょう」
オスニエル学長はそう言って立ち上がり、奥の部屋へと消えた。椅子に座って数分待つと、ティーセットをトレイに載せオスニエル学長が戻ってきた。紅茶をカップに注ぎ、俺の前に置く。
俺は紅茶には手を付けず、執務机の上に山積みになった書類を見て尋ねた。
「まだ忙しいんですか?」
「お恥ずかしながら。引き継ぎが終わったばかりなので、仕事が多いんですよね。まあ無駄も多いので、もうしばらく我慢したら改善できますけど」
オスニエル学長は言い終えると、カップを小さく傾けた。優しい表情を浮かべている。
その裏に、どういう感情や考えが潜んでいるのか、俺にはわからなかった。
「――それで、今日はどのような要件で?」オスニエル学長が切り出した。
「ちょっと……ややこしいんですよね」膝の上で、手を動かす。ややあって、俺はオスニエル学長の目を見つめた。「結論だけ言います。アシュリーを助けて欲しい」
目を見る方が、話すより得意だ。目にはどうしてもソイツの感情が出る。どんなに卓越した技術の持ち主でも、ここだけは誤魔化せない。
オスニエル学長もそれは先刻承知だろう。俺の目を見て、俺の熱意が伝わるはずだ。
「事情を、聞かせてくれますか?」
「はい。……アシュリーは、前に進むために俺の元を離れました。下層に、戻ったんです。彼女はこれから沢山のことを経験する。きっと表沙汰にはならないけど、犯罪も犯すでしょう」
オスニエル学長は黙っていた。だが、しっかりと耳を傾けてくれている。
俺は首を一度揉み、続きを話した。
「アシュリーはいつか、俺の元へ帰ってくると言いました。なら俺も、その時のために、彼女が不自由しないよう準備を整えてやる義務がある。でも現実的な話として、俺にできることは少ない。だから、アンタに頼みに来た」長めに息を吐き、俺はもう一度オスニエル学長の目をしっかりと見つめた。「アシュリーが戻ってきた時に、なんらかの犯罪行為が『死者の手』や憲兵に伝わっても、恩赦を与えて欲しいんです。それができるのは、あなただけだ。俺にはできない」
アシュリーの生活を守るためには、オスニエル学長の影響力が必須だ。一隊員に過ぎない俺には、法を破らずに彼女を守る手立てがない。
「君は自分が何を言っているのか、理解しているのですか?」
「わかってるつもりです。身内びいきの、酷い話です。現実にやるとしても、相当苦労することもわかっています。それでも俺は、あんなに優しい子が、望まぬ犯罪行為で処刑されるのを黙って見たくない」
「望まぬ犯罪行為で処刑される人は、年に何人もいますよ」
オスニエル学長は静かに言った。
「知ってます。だから言ったでしょう? 酷い身内びいきだって。でもそれが何だって言うんです? 大事な人を守りたいのは当然でしょう。俺は神様じゃないんだ。知らねぇ奴や嫌いな奴にまで手を差し伸べるような人間じゃない。ただ……ただ、愛する人を守りたいだけなんです。例えそれが裏切り行為だとしても」
絶対に引かねぇぞ。
正論でかかってこられたら俺に勝ち目はない。それでも、訴えるしかない。今俺にできることはそれだけなのだから。
オスニエル学長は俺の瞳をジッと見ていた。一切視線がブレない。瞳の奥の奥、心の真意を探っている。
なら俺は、ただひたすらひたむきに、心を開くだけだ。俺の嘘偽りない、アシュリーを愛する気持ちを見せればいい。
一分程経っただろうか。しばらくオスニエル学長は俺の目を見ていたが、「ふぅ」と一息つき残っていた紅茶を飲み干した。
「君は私にそれをさせる対価として、何を差し出すのですか?」
「全てを。俺にできることなら何だってします。死ねと言われれば死にます」
即答する。これ以外の答えなんか、思いつかない。
「ははは。そんなことしたら、アシュリーさんに殺されてしまいますよ」オスニエル学長が笑った。「――いいでしょう。アシュリーさんに対して、犯罪等の経歴がつかないよう手を回しておきます」
オスニエル学長がそう言った途端、俺は大きく息を吐き肩の力を抜いた。目元を押さえ、少しの間じっとする。
落ち着いてきたので顔を上げ、頭を下げた。
「ありがとう、ございます」
「どういたしまして」オスニエル学長は柔らかい声色で返した。「君にはこれから忙しくしてもらいますよ。とりあえずこの前の件ですが、せっかくなので両方やってもらいましょうかね」
顔を上げ、俺は少しだけ身を乗り出した。
「この前のって、教師になるか部隊に復帰するかって奴ですか?」
「そうです。部隊長に復帰してもらい部隊の指揮を。並行して、学院で次世代の長を探すのです。以前、君は暗殺部隊にスカウトする人間をもっと早くから鍛えるべきと私に言ったことがありました。それを実践してください」
「……確かにそう思ってましたけど、言ったことありましたっけ?」
記憶にないのだが。
「酒の席で」
「ああ、なるほど」
記憶にない訳だわ。
「通常の教師とは待遇面では同じにしますが、仕事量は減らします。あくまでも君の主な仕事は部隊長としての顔です。部隊の長として、後継を育てなさい」
「了解です。いつからやりますか?」
「とりあえず、部隊の復帰は今日にでも。招集をかけておきますので、秘密支部に行ってください。学院は次の九月……学年のスタートと同時に」
「仰せのままに。存分にこき使ってください」
その程度でアシュリーの自由が保障されるのだ。俺の時間なんざ、いくら渡しても安いもんだ。
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細かい話やら手続きを終え、俺は再び東区に戻ってきた。自宅謹慎の糞隊員としてではなく、部隊の長としてだ。
林の中に入り、隠された地下通路を通る。重い扉の鍵を開け、押し開いた。
エントランスには既に他の隊員達が集まっていた。総勢二十六人。全員、若干緊張した目をしている。
俺が通れるよう左右に広がり、一斉に敬礼をした。俺も敬礼を返し、”道”を通る。ララと目が合うと、俺にパチっとウィンクをしてきた。ちょっとセクシー。
先頭にいたアリスターとオベールがニッと笑い、俺にスペースを明け渡した。そこへ立ち振り返ると、左右に広がっていた隊員達はいつの間にか横に整列し直していた。
「あー……そうだな……」なんていうか、ちょっと恥ずかしい。「まあ色々あって、この部隊に復帰することになった。しかも部隊長だそうだ。糞生意気でうぜぇと思うが、よろしく頼む」
「せっかく出世したのになー」アリスターがニヤニヤ笑いながら言った。
「すまねぇな。俺が死んだらまた隊長にしてやっから」
「うっす。なるべく長生きで、おなしゃーす」
軽い調子でアリスターが言うと、他の奴らも小さく笑い幾分か緊張感が薄れていった。
こういうところは素直に羨ましい。だからこそ隊長に指名したんだけど。
「先に言っておこう。俺が戻ってきたのは、極めてプライベートなことが理由だ。とあるお願いをオスニエルのジジイにして、その対価としてここにいる。そんな馬鹿の下につくのは、嫌だろう」
一度全員の顔を見渡した。特に嫌な顔はしていなかった。いい子ちゃんが多いねぇ。
「――だがそれでも、俺はここから降りるつもりはない。降りちまったら、『お願い』が叶わなくなっちまうからな。文句がある奴はあとで俺のとこに来い。ボコボコに返り討ちにしてやる。俺に勝てたら、隊長だ」
「誰も勝てないんですから、そういうこと言うの止めません?」
オベールが冷えた目で言うと、他の隊員も同調して頷いた。
「気概のねぇ奴らだな。出世のチャンスじゃないか。アリスターどうだ? 俺をぶちのめしたらまた隊長に戻れるぞ」
「遠慮するっすよ。どーせ勝てないんで」
アリスターは手をヒラヒラ振って拒否の構えを見せた。
「……まあいい。とにかく、また長い付き合いになる。お前たちのこと……頼りにしてる。だから、俺に命を預けてくれ」
隊員達は、再び揃って敬礼をしそれぞれ了承したという意図の声を出した。バラバラ過ぎて何言ってんのか聞き取れないが、気持ちの良い響きだった。
「よっしゃ今日は俺のおごりだ! 酒買ってきて飲むぞ!!」
アリスターに財布を投げて渡す。ずっしりと重い財布を手にし、アリスターが狂喜乱舞しながら他の隊員を連れて外に飛び出していった。
騒いでいる隊員の中からララが出てきて、俺に近づいてきた。
「おかえりなさい、先輩。……アシュリーちゃん、何かあったんですか?」
「鋭いね、君」
「先輩のプライベートなんて、大体アシュリーちゃんが主軸じゃないですか」
ララは笑って言った。ぐうの音も出ないので笑い返してやる。
「ま、いずれ話すよ」
「はい、待ってます」
ララはそれだけ言って、柔和な笑みを浮かべ俺の隣に立っていた。
ホント、いい部下に恵まれた。
ここからもう一度スタートだ。アシュリーがいつでも帰れるよう、俺は俺でなすべきをことをしよう。
目の前の馬鹿騒ぎを眺めながら、俺は決意を固め独り頷いた。




