三十四節 落ち着いてください、先輩
世の中ってのは、まあそれなりに犯罪やら事故やらが起きている。
でもその多くは俺とは無関係の場所で起きているから、ぶっちゃければ新聞とかで初めて見て「へぇそうなんだ」と呟くばかりである。
要するに、色々あることはあるんだけど、自分の周囲という小さな範囲に限った話で言えば、概ね特筆すべきこともなく平和に過ごせているということだ。
季節は巡り、気づけば三年が経っていた。
恐ろしい。なんだ三年って。アシュリーと出会ってからで言えば五年以上経っている。恐ろしいことだよホントに。
ララはとっくの昔に俺の家から出ていき、今は東区の少し外れたところに住んでいる。『死者の手』の暗殺部隊の一員として元気にやっているらしい。
らしいっていうのは、かつての部下にそう聞いたからだ。
俺は暗殺部隊を引退した。部隊長の座はアリスターに譲り、上層への通行管理部に異動した。大体一年くらい前の話だ。
まだまだ体力的には余裕があったが、アシュリーとのこともあるし、なるべく安全なところに行きたいと思ったのだ。ここなら、時々発生する人数減らしのための特攻作戦に駆り出されることもなくなる。
オスニエルのジジイも、『死者の手』の隊長を辞めてしまった。前に聞いた通りアルバサイド学院の学長になったらしい。俺も誘われていたが、毎日ガキのために働くのはしんどそうなので遠慮させてもらった。
通行管理部に異動して、暗殺部隊にいた頃よりも働く時間は増えてしまったが、まあどうにかやっている。アシュリーもいい加減子供じゃないし、その辺は了承済みだ。
ちなみにアシュリーは未だに字が読めない。ララとの同居生活をやっていた時はそんな時間が取れなかったし、そもそもアシュリーも積極的に覚えようという気がなかった。同居生活が終わった後は、俺が今の部署に異動してやっぱり時間が取れなくなってしまっていた。
一応貨幣の使い方だけは絶対必要になるから覚えさせている。日々の小遣いから捻出して、時々一人でコーヒーを飲みに行っているようだ。
まあちゃんとした勉強は……今はいいだろう。いずれ必要になったら覚えればいい。
そんな感じで、身の回りで変化はあったが、クーデターとかそういう怖いことも起きていないし、概ね平和、という結論になる訳である。
『死者の手』の隊員や学生以外誰もこない上層の通行管理をするのは退屈でしょうがないが、仕方のないことだ。
そう、椅子に座り続けて腰が痛くなっても仕方がないのだ。
カウンターでうっかり寝ちゃっても誰もこない。生きてるなぁと感じるのが定期的にある訓練の時間だけでも、仕方がないのだ。
…………暇は人を殺すね。もう正直辞めたくてしょうがない。素直に体力がやばくなるまで暗殺部隊で隠居生活しとけばよかったかも。
そんな暇で暇でしょうがない毎日を繰り返していたが、アシュリーとの生活は変わらず楽しかったし、順調だった。
字こそ読めなかったが、アシュリーは料理を見よう見まね――美味いかどうかは別として――で練習してくれたし、毎日が刺激的だ。別に二重の意味はない。
沢山交わりあったし、いつか子供が欲しいというようなこともアシュリーは言っていた。俺の立場上、不死を減らすために『死者の手』にいるし、子供を作ることには諸手を挙げて賛成はできないが……まあでも悪くないかなと思う。
順風満帆だった。
この日までは。
カウンターで突っ伏して早く勤務時間が終わらねぇかなと思っていると、奥の部屋から同僚が現れた。
「パーシヴァルさん、電話ですよ」
仮面で隠れてはいるが、初老の隊員で、俺よりも先輩の人だった。もうずっとここで働いているのだとか。ベテラン管理人ということだ。
「俺にですか?」
「はい。カウンター、代わっておきますのでどうぞ」
「すんません、じゃあ……ちょっとお願いします」
俺に名指しで電話とか、ちょっと普通じゃない。少なくとも、ここで働き出してからは初めてだ――電話がかかってくること自体が。
先輩隊員にその場を任せ、俺はカウンターの奥にある部屋に入っていった。鬱陶しい仮面を外し息を整えると、電話を受け取っていたらしい隊員から受話器をもらい「どうも?」と声をかけた。
「ああ、やっと出てくれましたね」ララの声だった。
「ララ、どうした? 久しぶりじゃないか」
もうずっと会ってなかったから、面食らった。電話越しだからか、声も少し聞き慣れない感じで気持ちが悪い。
「えっと、ちょっと緊急の用事で」お決まりの文言やらは省きたいということか。「その……アシュリーちゃんが…………逮捕されました」
何を言われたのかわからなかった。
たっぷり五秒程フリーズし、ようやく出せた言葉は「……ぅぇ」みたいなよくわからない呻き声だった。
「先輩? 先輩?」
「あ、ああ……スマン」ララに呼ばれようやく我に返った。「ま、間違いじゃ……ないのか? そんなこと、する奴じゃ……」
確かに下層にいた頃は犯罪組織に所属してたけど、別にやりたくてやってる訳じゃないとアシュリーは言っていた。実際暴れるようなこともなかったし、これまでずっと平和に生きてきた。
そんなの……あり得るか?
だがララは、俺の僅かな希望を打ち砕いてしまった。
「間違いじゃありません。今、東区の憲兵所に拘束されてます」短く息を吐き、ララが続ける。「とにかく一度様子を見に行った方がいいと思います。直接『死者の手』に現行犯で殺された訳じゃないし、まだなんとかなるかも」
「……ああ、そうしてみる。ありがとう、ララ」
「いえ。私もアシュリーちゃんのところに向かいます。住所は――」ララがアシュリーが拘束されたという憲兵所の場所を言った。「私は先に行って、アシュリーちゃんを動かさないよう働きかけておきます。では、失礼します」
「頼む。また後で」
受話器を置き、俺は深く息を吐いた。足元がなんだかグニャグニャしている気がする。
落ち着け……。落ち着け……。
まずは事実確認。違う、いや、合ってる。でもその前に、仕事を代わってもらわないと。
カウンターに戻り、先輩隊員に声をかける。……ああ、うっかり仮面を付け忘れた。まあいいか、誰も来やしないだろ。
「すんません、ちょっと……家族に問題が起きてしまったらしくて……早退したいんです。このままカウンターを見てもらっても、大丈夫ですか?」
「やはり何かありましたか。電話がかかってくるなんて……普通じゃないですからね。ここはいいから、早く行ってやりなさい」
隊員は労るような声色でそう言った。きっと、仮面の下は優しい表情をしていると思う。見えないからなんとなく、だけど。
「ありがとうございます。失礼します」
礼を言い、俺は元いた部屋に戻った。車の鍵を借り、再びエントランスロビーに戻ると、カウンターを乗り越えエレベーターを呼び出す。
まだ来ないのかよ……長い…………来た。
シャッターが開くのと同時に身体を滑らせる。エレベーターが動き始める直前、代わってくれた隊員が手を振っていたのを見かけ俺は閉まりゆくシャッターの隙間からお辞儀をした。仮面を留め、息を吐く。
中層に降りると、車を走らせ教えてもらった憲兵所へ移動した。到着する頃には、電話がかかってきてから一時間以上が経過していた。
早く早くと足を急かし、俺は憲兵所の扉を乱暴に開いた。
エントランスにいた憲兵や一般人が目を丸くして俺を見た。唯一、その場にいたララだけが安堵したような視線で俺を振り返っていた。
「アシュリーはどこだ!?」ララに詰め寄り尋ねる。
「落ち着いてください、先輩。ちゃんと奥にいます。――こっちです」
ララは俺を連れ、憲兵所の奥へ入っていった。話を通していたらしい憲兵と二三やり取りをし――何を言っていたのかはわからなかった――重い鉄扉を開いた。
狭く暗い部屋。鉄格子に囲われたその場所で、アシュリーは手枷を嵌められ俯いて座っていた。
「……アシュリー」
俺は鉄格子を掴み、その隙間から手を伸ばした。握って欲しかった。嘘だと言って欲しかった。
アシュリーは顔を上げ、長い睫毛を涙で濡らし始めた。大粒の涙が頬を伝い、嗚咽を漏らしながら俺を見る。
だが、アシュリーは俺の手を取らなかった。
用語解説
出産について:『死者の手』の設立目的に人口削減の一面があるように、ロズメリアは百年以上も続く不死のせいで爆発的に人口が増えている。そのためある程度教育が行き届いている中層では可能な限り新しい子供を作らないよう政府指示が出ている。……が、それでも毎年出産数を減らすことはできていない。
下層はその傾向がより強く、数え切れない程の人間が下層で生まれ、まともな教育や保護を受けずに、文字通り未熟な状態の人間が不死の力で無理やり育ってしまっている。




