三十一節 わかった。嫌わない
机が真っ二つに折れ、ララが背中から叩きつけられた。
痛みに呻き声を上げながら、呆然とした表情で俺を見ている。「いきなり人を投げ飛ばすとかどういうことですか!?」とララの目が訴えていた。
ララを見下ろし、俺はため息をついてみせた。
「十点だな。あ、百点満点中な」
「な、なにが……ですか?」
ララが俺を見上げ尋ねた。顔には明らかな困惑と、俺への批難めいた感情が浮かんでいる。
「受け身を一応取ろうとした形跡があるから十点。ちゃんと取れてたらもう少し加点してたかな」
言いながらララを引き上げる。残っていた紅茶が零れたのか、背中や腕がやや濡れていた。
「これ……どうするんですか」ララが割れた机を見て言った。
尋ねる……というよりかは、怒りを発散させるために呟いたように聞こえた。とりあえずスルーしておく。
「お前、油断してただろ」
「だって、こんなことされるなんて……」
ララは突然の暴力に対する理不尽さを覚えたのか、俺を見上げて、反抗的な目をしていた。
前から思ってたけど、コイツ先輩に対してもあんまり気負わないというか、遠慮ないよね。口調は丁寧だけど。同年代の普通の隊員なら、もっと萎縮してると思うのだが。
「いつでも対処しろって訳じゃない。この間のプールを思い出してみ。俺も油断してたから落とされた」
「……そうですね」
俺の間抜け面を思い出したのか、少しだけララの表情が柔らかくなった。
「だがそうなった時に、適切な対処を瞬時に取れるようになってもらわないといけない。今の状況なら……そうだな、投げ飛ばされそうな気配を感じたらすぐに抜ける、のがベストか」
ついでに言えばそこから相手をぶちのめす、が本当は最善策なんだが、まあそれは言わないでおこう。
「最低ラインが受け身を取る。お前はその最低ラインにギリギリ届かなかった。俺達のとこで働くなら、その最低ラインはクリアしてもらわないと困るな」
脅しをかけると、ララは力不足を感じたのか僅かに表情を歪めた。
「早まんな。お前は結構良い筋してたぞ」
「……なんでですか?」ララが打ち付けた背中を擦って言った。
「これな、今までスカウトした奴全員にやってるんだけど、初見で受け身を取ろうとした奴はほんの一握りだけなんだ。大概は何があったか理解できず、しこたま身体を打ち付けてから、『あ、投げられたんだ』って気づく。要するに、ほとんどの奴らは〇点スタートってことだな。お前は十点リードしてる」
イマイチ納得がいっていないような表情をララは浮かべていたが、気にしないでおこう。コイツができるできないってのは、教える立場の人間が知っていればいいことだ。
「――よし、じゃあ荷物纏めろ」
「えっと……?」
「だから荷物だって。服とか、そういうの。引っ越すぞ」
「いやいやいや、ちょっと待って。意味がわからないです。仕事だってまだ残ってますし」
手を高速で左右に振りながら、ララが声を上げた。まあ突拍子もないし理解はできる。でもやめる気はない。伝統行事なのだ、これは。
「一人でやれる仕事なんてろくなもんないだろ。俺が適当に言っておいてやる。いいから荷物纏めろ。俺が戻ってくるまでに纏めた分だけを持っていっていいことにするから」
俺はそれだけ告げ、片手で手を振りながら部屋を出た。後ろから「そんなぁ……」と泣き崩れるような声が聞こえた気がしたが、気のせいだとしておこう。
ささっと支部の方へ戻り、支部長にお宅のお嬢さん貰いますと告げる。支部長のおっさんはにこやかな笑顔で「どうぞどうぞ」と返してきた。なんと軽い扱いか! 楽でよかったけど。
事務処理的なことはやっておくと快く言って下すった――ついでにぶっ壊した机の処分も――ので、俺は礼を告げララの元へ戻っていった。
ララに無理やり荷物を纏めさせると、俺は彼女を連れて自宅へ戻った。ちなみにトラムを乗り継いでの徒歩だ。荷物が無駄に多いのでしんどかったが、車を借りても結局返しに戻ってと手間なので、節約である。
ララが荷物を家の前で一度置いて、俺に尋ねた。
「なんで、先輩の、家なんですか?」
「今日からお前が暮らすからだ」
「はぁ……」ララが呟き沈黙した。「……はぁ!?」
なんだよそのリアクション。どう反応していいのかわからねぇよ。
「ほれ行くぞ」
「ち、ちょっと待って下さいよ。というか、アシュリーちゃんも一緒にいるんですよね? もう知ってるんですか?」
「んにゃ、今から。まあ大丈夫だろう」
正直嫌がられそうな気もするけど。だが仕方がないのだ。
戸を開け「ただいま」と声をかけると、幾ばくかの間を置いて、二階からアシュリーが降りてきた。俺に飛びつきキスの雨を降らせる。
「えええええええっ!? ちょっ、ええッ!?」
それを見て、ララが叫び声を上げた。
俺に抱っこされたままだったアシュリーも目を丸くし、赤くなりながら「ちょっ! なんでララがいるの!?」と叫んでいた。耳元で怒鳴るの止めて欲しい。痛い。
俺の首元に手を回しながらアシュリーが威嚇するようにララを睨んだ。ララはどこか達観したような目で、首を横に振っていた。
アシュリーを抱えたまま、俺はトランクケースを一つ持ち上げ居間へ向かって歩こうと――したけどララに襟元を掴まれ止められた。
「どういうことか、説明してくれるんですよね、先輩?」
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ざっと状況を説明すると、アシュリーとララが同時にため息をついた。
ララが確認するように俺に尋ねてくる。
「えっと…………、とりあえず、先輩とアシュリーちゃんは……その、お付き合いを始めたんですよね?」
「そうなるね」
「い、いつからなんですか?」
「プールに行った日の後だな。つーか昨日」
またしてもララはため息をついた。俺の隣に座ったアシュリーが少しだけ身を乗り出し、ララに指を差した。
「そーいうことだから、ララはもうちょっかい出さないでよね!」
アシュリーがそう宣言をすると――そもそもちょっかい出された記憶もないけど――ララが三度目のため息をついた。
「まず私がいつ先輩にちょっかい出したのか訊きたいけど、ありえませんよ」
「それはそれでちょっと傷つくけど」
なんとなく、男として。あ太ももつねるの止めてくださいアシュリーさん。
アシュリーの手を太ももからどうにか取り払い、俺はアシュリーとララに尋ねた。
「丁度いいから訊きたいんだけど、お前らって仲悪いの? イマイチ判断つかないんだけど」
「アシュリーちゃんが勝手に嫌ってただけじゃないんですか?」
ララが肩をすくめて言うと、アシュリーが視線を逸らしながら頬を膨らませた。
俺は膨らませた頬に手を当て、空気を押し出した。プスーっと音を立てて空気が抜けると、アシュリーがポソポソと話し始めた。
「だって……ララ、パーシヴァルのこと好きなのかなって思ってたんだもん」
「ないですよ。掠りもしてないです」
ララが笑って一蹴した。あ、はいそうですか。掠りもしないですか。……なんか……ね? アシュリーが好きとかそういうの置いておいて、なんか悲しくなるよね。
俺のしょぼくれた顔を見たのか、ララがフォローなのか言い訳なのかわからないことを言い始めた。
「先輩は……色々お世話にもなりましたし、恋愛対象っていうよりかは、やっぱり尊敬する相手って感じなんですよね。っていうかぶっちゃけ、最初の頃は……その……」
「なんだ? もう遠慮なんかいらんから言ってみろよ」
「き、気持ち悪いなって……」
モテるどころか嫌悪感を示されてしまった。しまいにゃ泣くぞ。
流石に哀れに思ったのか、アシュリーが俺の頭を撫でてきた。癒やしか。女神か。
「今もちょっとだけ思うんですけどね」ララがアシュリーと俺を見て言った。「恋愛は人の自由ですし、不死同士なら年齢差もあまり気にしないのが普通です。でも、事情を知ってる上で、親子のような年齢の男女がこう……ベタベタしてると、ちょっと?」
「まあ……それは俺も悩んだけどね。特に不死じゃないってところは」
なんせどう頑張ってもあと数十年で俺は死んでしまうのだ。一人残されるアシュリーのことを考えれば、二の足を踏むのは当然だろう。
「それに……アシュリーちゃんには悪いですけど、中層で生まれて二つ名も持ってる先輩が、下層出身の子と対等な関係っていうのも、やっぱり不自然に感じましたし」
「二つ名って?」
アシュリーが尋ねてきた。久々に解説欲が刺激されたのか、ララが不敵な笑みを浮かべる。
「大きな活躍をした隊員に与えられる称号……通り名とか、別名のようなものですね。ちなみに先輩の二つ名は『見る者』です」
「凄い人ってこと? パーシヴァルが?」
信じられないというような目でアシュリーは俺を見てきた。失礼な奴め。
「俺はこれでもそこそこ偉いんだぞ」
「へー」アシュリーがどうでもよさそうに声を上げた。
興味なしですかそうですか。男の自慢話はつまらないですよね。
「とにかくそんな感じなので、恋愛とか、そういう感情は一切ないです。だから……アシュリーちゃんも、私とは仲良くしてくれると嬉しい……ですね」
ララは少しだけはにかみ、アシュリーを見つめた。
「う、うん。わかった。嫌わない」
そう言ってアシュリーは手を伸ばした。仲直りの握手的なつもりらしい。俺の恋人いい子だなぁと脳内で惚気けてみる。嫉妬深いのも意外と嬉しいっすよね。
ララも手を伸ばしたが、アシュリーの手を握る直前でハッとなり、俺を見た。
「アシュリーちゃんに投げ飛ばされるってオチはないですよね!?」
「ねぇからはよ握れ」
そう言って、俺は無理やりアシュリーとララの手を繋いだ。無駄に警戒してんじゃねぇよ。
この日から、アシュリーとの甘い生活とララの訓練という二重生活が始まった。
用語解説
二つ名(称号):ロズメリアに王国騎士団が存在していた頃に存在した慣習で、『死者の手』に引き継がれたもの。国へ大きな貢献をした隊員に対して、その者の特色などを考慮し名付けられる。
公的な身分としても使用でき(爵位を授かったのと同程度の効力がある)、一部の限られた隊員にしか与えられない。また、一般人には授かったことを知らされないので、誰がどの名前を持っているかなどは公には不明。
パーシヴァルの二つ名『見る者』は、彼の《意思感知》を使った暗殺技能を称えたもの。




