十三節 ……アタシ、ここにいていいのかな?
微妙な店から出発し、『死者の手』の支部へ戻った。
一般人が入れないエリアに入ると、すぐに仮面を外しウエストバッグに引っ掛ける。ああスッキリ。束縛感が嫌いなのだ。
「おー、久々におっさんの顔見た。やっぱおっさんだね」
アシュリーが俺を見上げて言った。首が辛そう。何センチくらい差があるんだろう? 俺は……百八十センチ丁度くらいだったはず。アシュリーは百四十か五十くらいか。まだまだ身長も伸びるとは思うが、三十センチ以上の差は結構デカイ。
「おっさんなのはわかってるんだけどさぁ……」
そんなにおっさん連呼しなくてもいいじゃない? そりゃ子供から見たらくたびれた顔してんだろうけどさ。
「アシュリーちゃん、あんまり先輩のこと『おっさん』って言っちゃ駄目よ。気にしてるみたいだから」
ララがアシュリーに顔を近づけて、小声で言った。
「聞こえてんぞ」
「あゃっ! すみません、その……悪気があった訳じゃなくて……」
ララは慌てたように顔を赤くし、すぐに肩を縮こまらせて小さくなってしまった。
「や、別に悪いとは言ってねぇよ。――なんだ?」
アシュリーに裾を引っ張られた。
「ねぇねぇおっさん」早速おっさん呼びですか。「これからどーするの?」
「とりあえず支部長……ここで一番偉い奴とちょっと話してくる。その後は家に帰る」
「下層?」アシュリーが尋ねた。
「そっちの家じゃねぇよ」第一あの家はもう粉砕されて粉々だ。「俺の家。下層に来る前に住んでた場所」
「先輩の家って、どちらにあるんですか?」
話の流れで気になったのか、ララが尋ねてきた。
「東区にあるよ」
「え? おっさんこの……シブ? でくらしてるの?」
アシュリーがキョロキョロしながら尋ねてきた。なぜそういう発想に……?
「ちげーよ。お前、東区とか、知らない?」
尋ねると、アシュリーは「んーん」と言いながら首を横に振った。知らんのかい。まあでも知らなければ東区っていい方は紛らわしかったかもしれない。
待ってましたとばかりに、ララが身を乗り出した。やっぱ解説好きだろこいつ。
「ロズメリアは、東西南北四つの方角で区分けされてるのよ。今私達がいるのが東区。先輩は、自分の家は東区にあるって言ったの」
「ほほー?」
アシュリーが頷きながら声を上げた。わかっているのか、それ? っていうか、下層も一応区分けされていた気がするのだが、なぜ知らない。『オヤジ』とかに教わんなかったのだろうか。
ララが俺の方を向き直した。
「ご自宅、ここから遠いのですか? もしそうでしたら車を出しますけど」
「あー……ちょっと遠いけど、遠慮しとく。せっかくなんで、コイツをトラムに乗せてやりたい」
「ああ、なるほど」ララがチラッとアシュリーを見る。「きっと驚きますね」
アシュリーが「ん?」と喉を震わせ首を傾げた。ララは解説欲が疼いたのか口を半開きにしたが、手を握りぐっと堪えた。俺の意を汲んでくれたらしい。よく我慢した。
「んじゃ、ちょっとお偉いさんと話してくるから、待っててくれ。ララ、頼むよ」
「はい。こちらで待ってますね」
ララはアシュリーの肩に手を載せ微笑んだ。アシュリーはまたしても若干不機嫌そうな顔になっていた。……あれですか? 実はララのこと嫌いとか、そういう感じですか? ……考えないでおこう。
支部長の部屋に入ると、俺はささっと事務的な処理やらお礼やらを伝えた。特に語るようなことでもない。お決まりの「この度はお世話になりました」的なことを交互に言ってヘコヘコしてただけだ。
再びアシュリーとララと合流し、支部の出口へ。
「先輩。もしよかったら、またこちらまで遊びに来てくれませんか?」
ララが手元を弄りながらそう言った。
「ん? まあ構わねぇけど。休暇なのを置いておいても、俺普段からお前らみたいな仕事してないから、仕事教えんのは無理だぞ」
「そうなんですか?」
「班員がいないんでな、巡回だなんだってのはずっとやってない。もっぱら汚い仕事専門だ。ジジイから依頼がない時は部下育成してる」
まあその部下もそこそこ育って既に独り立ちの頃合いだ。また新しく汚れ仕事をしたい奴が現れるまでは、実質隠居生活である。
『死者の手』の暗殺部門は、表には名前を出していない特殊な部隊だ。俺みたいに、班員全員死んだけど他の班との合流はしたくねぇって奴の中から時々選ばれてやってくる。オスニエル隊長曰く、資質がどーたらこーたら。
「ま、ララと話すのも嫌いじゃないし、世話にもなったからな。どっかのタイミングで遊びに来るよ。――あ、メモ帳とペン借りていいか?」
「あ、はい。どうぞ」
ララがたわわな胸のポケットから、メモ帳とペンを取り出した。
うろちょろしていたアシュリーを捕まえ、アシュリーの頭の上にメモ帳を置く。おお、丁度良い高さ。
「どーも」ささっと目的のものを書いてララに返す。アシュリーが台にされたのを不満に思ったのか俺に腹パンを決めた。「ぅぐっ! ……それ……俺んちの住所。一応念のため渡しとく。何か困ったこととか、用事があったら来てくれて構わないから。――んじゃな」
ララに手を振り別れを告げつつ、アシュリーの背中を押して外へ出た。ララは敬礼をし、「先輩! また今度、会いましょう!」と声を上げていた。ひらひら手を振って応えておく。
さてこれで晴れて休暇である。とりあえず家に帰って、制服を脱ぎたい。制服さえ着てなければ、仮面は概ね外しても問題ない。家に帰るまで我慢すれば、鬱陶しいコイツともオサラバって寸法ってことだ。
「どこ行くの?」アシュリーが俺の手を握りながら尋ねた。
「駅。……ってわかるか?」手を握り返しつつ尋ね返す。
「わかんない」
「んだろうな。とりあえず行ってからのお楽しみってことで。駅から俺の家に向かう」
「ほっほほー?」
またもやわかってんのかわかってないのか判断の付かない声をアシュリーは上げた。
アシュリーを連れ、トラムの駅へ向かう。道中、俺に対して怖がるような視線はしょっちゅう感じたが、アシュリーに対して蔑むような視線は一切なかった。……と思う。服装の力は大きい。キレイな服を着ているだけで、コイツが下層から来たなんて疑う奴はいなくなるのだから。
むしろアシュリーに対しては心配するような視線の方が多かったくらいだ。『死者の手』の中でも特に怖がられる仮面付きと手を繋いで歩いていたら、まあそういう感情が沸き起こっても不思議じゃない。だがアシュリーや俺に話しかける奴は一人もいなかった。皆、俺の機嫌を損ねて殺されたら……と考えたのだろう。知らない子供の命を心配するより、自分の命ってことだ。
少しばかり歩き続け、駅に到着した。アシュリーが「おおー」と声を出しつつそれを見上げた。
大きな建造物が、周囲の家よりも一段高い位置から俺とアシュリーを見下ろしていた。
「ねね、あれがエキ?」
「そうだ」
「あの橋を歩いてくの?」アシュリーは街中を通る高架橋を指差した。
「歩かねぇよ。あの橋をトラムっていう……乗り物が通るんだ。それに乗る」
「とらむ……。さっきの、シブでも聞いたね?」
「そうだな。――ほれ行くぞ」
アシュリーの手を引いて、駅構内に入る。手を繋いだまま、乗車券を買いに窓口へ。キョロキョロして今にも飛び出しそうなアシュリーを押さえ込みつつ、チケットを買った。
トラムの発着場へ移動する。機械が噴き出す蒸気のせいでジメッとしている。暑い。マスクが蒸れる。外したいでも外せない。これだからマスクは嫌いだ。いくら通気性が良かろうが、蒸れるもんは蒸れるんだ。
アシュリーは俺の隣でせわしなく首を動かし、何かを見つける度に「アレなにっ?」と俺に訊いてきた。……が、ぶっちゃけ駅にある機械のことなんざよく知らないので、ほとんど何一つ答えられなかった。
若干不満げというか、がっかりしたような表情を浮かべ、アシュリーは質問することを止めてしまった。俺の胸に頭を寄せて、背中からもたれかかる。重くもないが、軽くもない。
しばらくすると、けたたましい音を響かせながらトラムが駅の中に入って来た。魔石を内蔵した、直径一メートル程のポールが、屋根の上で上下に動いて蒸気を吐き出している。青白く発光するポールが、駅構内の黄色い回転灯に照らされ微妙なグラデーションを生み出していた。
アシュリーは轟音に顔をしかめながら俺にしがみついた。が、特に怖いものではないと察すると、しがみつく手を緩め、少しだけ前に出てトラムを観察し始めた。飛び出さないように手は繋いだままにしておく。ホームから落っこちてトラムの発着を遅れさせたら死刑案件になってしまう。
風船から空気が抜けるような音を立てながら、トラムの扉が開いた。アシュリーが「おおっ」と声を上げる。
アシュリーの手を引いてトラムに乗り込む。ややあって、扉が再び空気の抜けるような音を立てながら閉じた。加速を始め、駅から出発をする。
「すご……」
小さく、アシュリーが呟いた。眼下に広がる中層の街並みに、その目は魅了されているように見える。
俺も窓から外を眺める。下層のごちゃごちゃ入り組みまくった風景とは違い、区画整理がしっかりされ、道幅も広い。瓦が剥がれた家なんかないし、道行く人は皆活発で笑顔を浮かべている。陰鬱な下層とは正反対だ。
「他の客の迷惑になるから、騒ぐなよ?」一応釘を刺しておく。小さいガキじゃないし、一度言っておけば平気なはずだ。
「ねぇパーシヴァル」アシュリーが外を見ながら、小声で俺に話しかけた。「……アタシ、ここにいていいのかな?」
何かしら、思うところがあるのだろう。つい昨日まで下層で暮らしてたんだし、混乱したりも当然だと思う。
アシュリーの頭に手を乗せ、軽く撫でる。昨夜風呂に入ったおかげで、サラサラとしていた。いい匂いもする。嫌いじゃない。
「いいんだよ。お前がやりたくて悪いことしてんだったら別だけど、やりたくねぇんだろ?」
「うん……。しなくていいなら、したくない」
「なら甘えとけ。俺には、この国に住んでる全員を幸せになんかしてやれない。だから……世話になった奴や、近くにいる仲間や家族だけでも幸せにしたい。アシュリー。お前は俺を救ってくれた。今度は、俺にも助けさせてくれ」
窓から外を眺めながら、アシュリーは後頭部を俺の胸に寄せた。小さく「……ありがとう」と答え、グリグリと頭を押し付ける。
ガタガタと揺れながら、トラムは俺達を運んでいった。
用語解説
魔石:ロズメリア国内で近年開発が進んだ新しい燃料。マナが凝縮され結晶化した鉱石の総称。
魔石は与えられたエネルギーをそっくりそのまま返すという性質があり、熱を与えればその熱が魔石全体を伝搬し、マナが尽きるまで熱を放出し続ける。この作用を利用して燃料として利用した機械や乗り物、道具などが新たに開発を進められている。
が、魔石そのままの状態だといくら衝撃を与えても反応を返さないので、特殊な加工をしなくてはならない。そのため開発コストなどが高く、一般にはまだ広まっていない。
魔石の原石を反応させるためには、使用者が魔法を行使しエネルギーを与える必要がある。『死者の手』では魔石の加工で発生したクズ片を利用していたりもする。
トラム:ロズメリアの城塞内を走る乗り物の一種。魔石を燃料として利用した中で、一般に初めて広まった乗り物で、毎日多くの市民を乗せ走っている。
中層の狭い土地を活用するために、トラムのレールのほとんどは高架橋を利用して高所に通されており、中層を象徴するものの一つでもある。
車両の長さは二十メートル程で、一両編成。速度は馬車よりも早いが、馬には負けるぐらい。
シャフトに直結する線と、環状線の二種類が中層を走っている。
また、上層には最新鋭の無人式トラムも走っており、主に『死者の手』養成学校の学生がこれを利用して移動している。が、こちらは人間が走る程度の速度しか出ないので、急いでる人は普通に走っていくらしい。
中層と開拓地を繋ぐ特急トラムも存在する。このトラムを通すために造られた巨大な橋は、下層に影を落としている原因の一つでもある。
※追記(1/8):一部表現の修正。加筆。




