一節 おっさんが、アタシを頼ったから
足が重い。明らかに血を流し過ぎている。
歩くだけで痛い。体重がかかる度に、足の怪我が最高の痛みを返してくれる。糞いてぇ。でもまだ生きてるってことだ。色々考える余裕も……あっやばい。
コケた。盛大にコケた。額に雨が降り注いでいる。寒い。寒いし、いてぇ。つーか、マスクがねぇ。どこいった? まあどうでもいいか、もう。
「あぁ……うぁ……」
なんだこれ? 俺が言ってんのか? 勝手に声が出ちまう。気持ち悪い声だ。まるで今すぐ死にそうな。
視界が霞んできた。やべぇ。マジで、死ぬのか……? 嘘だろ。まだ四つの乳にズラれる夢も叶ってないのに。いや、そんなに我儘は言わねぇ。だがせめて二つの乳でズラれたい。あー……糞、変な人生だったな。なんだってこんな目に……。
俺は薄れ行く意識の中、女神様にすがるためか、それともただ筋肉が無意識に動いたのかわからないが、何かを掴むように最後の力を振り絞って手を伸ばした。
俺の手に温かいものが触れた。それが何かを知覚する前に、俺の意識は途絶えた。
気づけば知らない場所に居た。目の前では天井のように見える、ツギハギだらけの板切れが俺を見下ろしていた。
身体を動かすのがダルくて堪らなかったので、目だけで辺りを見回す。
暗い。よく見えないが、少なくとも雨露は凌げる程度にしっかりしている建物らしい。雨も降り続いているようだ。あまり時間は経っていないのか? それとも雨が長いだけか?
くだらないことを考えられるってことは、とりあえずは命はあるらしい。だが全身ボロボロだ。見えないけど、多分。俺の身体、どうなってんだ? なんか、スースーする。服……着てない。でも何かが肌に触れている。
ダルい……。しっかりしないと……、何で生きてんのかわからんが、生きてるなら任務を投げ出す訳にゃいかねぇ。帰らねぇと。糞っ。ダメだ、また……瞼が糞重い。ちくしょう……。
次に気づいた時も、俺は同じ場所に横たわっていた。雨は止んだらしい。音が聞こえない。それに明るい。太陽の光が差し込んでいる。改めて見るまでもなく、俺がいる場所は突貫工事もいいところのボロ屋のようだった。
腹に力を入れてみた。同じように、足と腕、首と順番に力を入れて確認を始める。
前よりも身体の調子は良いようだ。身体を起こす程度ならなんとか出来そう……かな。わからん。とりあえず痛くない範囲で動いてみよう。
身体の上に掛けられたシーツをどかし、俺はゆっくりと息を吐きながら起き上がった。
重い。前よりかは調子が良いが、元気ではないな。
辺りを見渡す。家だ。多分家。多分ってのは、俺の住んでた家や部屋とは大分見た目が違くて、断定出来ないからだ。隙間風がピューピュー吹いてるし、建材に統一感が一切ない。ありあわせの木やブロックを適当に積んでくっつけたみたいな感じだ。
自分の身体を見てみる。素っ裸に剥かれていたが、服の代わりに包帯のようなものが巻かれていた。真っ赤だ。俺の血らしい。腕と脇腹、それにふくらはぎ。
ああ、あれは痛かったな。思い出したら傷口が傷んできた気がする。考えないようにしよう。怪我も見ない。見てると意識がそっちにいって気になっちまう。つーかこんなに汚れてんだから包帯変えたい。血は止まってるんだよな?
傷を気にしつつも、俺は再び視線をさまよわせた。
棚……のように見える何かの上に、俺の制服が置かれていた。ぐちゃぐちゃに畳まれて皺だらけだ。
心なしか寒くなってきた気がする。早く夏にならないもんかね。……それまで生きてりゃいいけど。とりあえず服着よう。
俺がよれよれの制服に手を伸ばすのと同時に、棚の隣にあった傾いたドアがギギっと音を立てて開いた。続けて何かが折れるような音が鳴り、蝶番ごと扉が外れた。
薄い扉のドアノブを掴んだまま、「おっととと」と声を出して女が現れた。ドアを壁に立てかけ、少しだけ唸り声を上げる。壊れた扉をどうしようか考えているのかもしれない。
女……というよりも少女が正しいかもしれない。多分、十五もいってないだろう。十かそこらだ。少女はボロボロの、服とも言えないような布切れを身に纏っていた。一応形状的にはTシャツとハーフパンツらしい。そこら中破けているし、煤や灰だらけだが。とりあえず、俺の知ってる女って生き物が着る服じゃない。
火のように真っ赤な髪の毛を伸ばしっぱなしにしているのが目を引く。ボサボサだ。ずっと風呂に入っていないのかもしれない。正直ちょっと臭う。
俺はなぜか少女の腰に巻かれた上等なベルト、正確にはそのベルトのホルスターに収められたものを見て目を丸くした。痛む身体を必死に動かしその場を離脱しようとするも、全身が悲鳴を上げ倒れてしまう。
「ダメだよ動いちゃ。まだケガ治ってないんだから」
赤髪の少女が振り向き、俺の身体にシーツらしい薄い布を被せてきた。そのまま俺の隣に座る。
「……誰だ、お前……」
俺は少女のホルスターに刺さっている、不釣り合いな程大きな拳銃を見ながら言った。なんでこいつはこんなもん持ってるんだ。普通のガキが持ってていいシロモンじゃねぇぞ。
「人に名前を聞く時は自分から名乗れって、教わったよ」少女が俺の額に手を乗せる。「……うん、熱は下がったかな?」
「……どうして俺を看病してる? 殺せばいいじゃねぇか」
この国……ロズメリアの人間は一部の例外を除けば皆不死だ。よくわからんが、百年以上前に突然そうなったらしい。
不死の人間は、死ぬと生き返るっていう特性を持っている。時計の針を巻き戻すみたいに、健康だった時まで身体が戻るんだ。
そんな人間になって百年以上が経ったもんで、死にかけの人間を見かけたら、殺してやるのが最大の優しさって具合に定着している。普通の発想なら、俺が怪我してんのを見て助けるつもりなら、一回殺そうとするはずだ。
怪我したら自殺、そうでなくても親しい奴らに殺して貰う、は最早常識だ。俺だって、こうなる前はよく自殺してた。怪我してばっかりの悪ガキだったのだ。
だが俺は大人になった。大人になって、不死殺しの狩人になった。『死者の手』という組織に入ったのだ。不死のせいで増え過ぎた人口を、ある程度間引いてやるための殺人部隊。魔法の力で、不死をホントの意味で殺しちまう、それが俺達だ。
不死殺しの”腕”を手に入れた代償として自分の不死も失っちまったが、まあ些細な問題だ。それに長生きし過ぎるのもつまらん。
「おっさん、不死じゃないんでしょ? アタシ知ってんだぜ」
少女が妙にマセた……というか、男の――しかもガラが悪いタイプの見本のような――口調で言った。
俺は黙って少女の目を見た。……ハッタリって訳でもなさそうだ。なぜそのことを知っている? まあ目の前で死んだ奴を見たとかかもしれんが。
……ほんとガバガバな秘密だ。広まってないからいいものを、何かのはずみで知られたら一気に中層にも伝わっちまうだろう。
「そんで、物知りのガキがどうして俺を看病してる? あとおっさん言うな」
おっさんに突入した年齢ってのはわかってる。だからこそ、そう言われると年齢を意識せざるを得なくてムカつくのだ。
「おっさんが、アタシを頼ったから」
「あ?」俺は驚きからか、それとも年端もいかないガキを頼ったと言われプライドが刺激されたのか、威圧するような声を出した。「俺がいつそんなことしたっつーんだよ」
「五日前に。雨の日で、アンタがたおれてたとこをアタシが通りがかったの。そしたら、おっさんが手を伸ばしてきてね」少女がニッと笑う。「もうすっごい情けない顔でさ。『し、死にたくない……!』ってうるさいから、連れ帰ったんよ」
マジかよ。あれか、あの時触ったの、こいつの手か足か何かってのか。情けねぇ、こんなガキに……。
だが助かったのも事実だ。あのままおっ死ぬことに比べりゃ、俺のプライドなんざ安い。そんなもんはとうの昔に捨てた。
「おっさん、どうして血まみれでたおれてたの? コーソーか?」
『コーソー』……? ああ、抗争? なんでそんな言葉がコイツから出てくるんだ。
「守秘義務だ」
「シュヒギムって何?」
「知らねぇ奴に話したら怒られるから話さねぇよって意味だ」
「なるほどー」少女が笑った。「じゃあじゃあ、知らねぇやつじゃなくなったらいいんだな?」
「はぁ?」
俺は素っ頓狂な声を出して少女を見た。
少女は笑いながら手を差し出してきた。俺に握れと催促しているようにも見える。
少しだけ逡巡していると、少女が勝手に俺の手を持ち上げ握ってきた。上下に振る。痛い。傷に響く。
「はい、あくしゅしたー。あとは……ああ、そうか、名前だ!」少女が手を握ったまま目線を動かし言った。すぐに俺の方を向きもう一度笑みを見せる。「アタシ、アシュリーっていうの。おっさんは?」
アシュリーと少女が名乗る。俺も名前を言わなくちゃいけないのだろうか。
アシュリーは手を離さずに、俺の顔を見ていた。かと思うと、一向に答えない俺に痺れを切らしたのか顎の髭を撫でて遊び始める。でも手は離さなかった。
俺は一度舌打ちをしてから、顎を撫でまくるアシュリーの手をどかした。
「……パーシヴァルだ」
「うん! よろしくねパーシヴァル」
アシュリーが白い歯を見せて笑った。犬歯が尖ってて噛まれたら痛そうだな、とどうでもいいことを俺は考えながら、とりあえず笑ってみせた。多分、上手く笑えてない。
この日から、俺とアシュリーの奇妙な共同生活が始まった。
用語解説
ロズメリア:物語の舞台となる、山に囲まれた小国。メインとなるロズメリアの街は、大きく下層・中層・上層の三層構造になっており、下層はスラム街、中層は一般から貴族までごった煮、上層は一部権力者やその関係者のみが住んでいる場所。
不死:百年以上前に突如として発生、人間は不死になった。所謂超再生能力などではなく、『死んだら健常だった時まで時間が巻き戻る』現象。『健常』と判断されるポイントは基本的には身体に異常がない状態、なので、例えば腕を欠損してすぐ死ねば、巻き戻って腕が生える。ただし、欠損した部分に新たな皮膚が出来て傷が塞がると、『健常』判定がそこで上書きされる。よって、その後死んで巻き戻っても失くした腕は生えてこない。
機械と魔法:ロズメリア国内は以前は有数の魔法国家でもあったが、機械文明の発達と共に廃れ、今では専門家や一部の継承者のみが魔法を扱える状況である。文明レベル的には、19世紀~20世紀初頭くらいのイメージ。『魔石』という特殊な燃料を使った機械も存在するのでその限りではない。
『死者の手』:不死殺しを専門とした警察機関の一種。爆発的に人口が増えたロズメリアで、少しでも人口を減らそうと設立された。不死を殺す魔法《死への誘い》を腕に刻んでいる。しかしその術式の影響によって、術者本人が不死を失ってしまっている。なおこの情報は(一応)機密事項。
『紅茶とコーヒーと不死人』は『死者の手』という作品の十年前のお話になってたりします。ご興味が湧いたらそちらも是非。
設定・用語等は共通するものが出ていますが、こちらから読んでも問題ないようになってます。
※追記(12/11):一部表現の修正。
※追記(12/31):一部表現の修正。加筆。




