ココア部の危機と決意ふたたび
「さぁ、ただちにココア部を解散してもらおうか」
野呂はやけに自信満々な、高圧的な口調で迫ってくる。だが、そんなことを言われて、はいわかりましたと頷くわけにはいかない。
「そんなの、できるわけないだろ!」
「まぁ、そう言うだろうな……」
野呂はせせら笑う。こちらを見下した態度だ。
「手荒な真似はしたくなかったのだが……」
「なんだって?」
「実力行使に出る、と言ってるんだ。わからないか?」
眼鏡の奥の瞳が怪しく光る。僕は背筋がぞっとするのを感じた。野呂にはなにか得体の知れないおそろしさがあった。
「じ、実力行使って、お前にそんな権限はないだろ? 僕たちは先生にも許可をもらってるんだ。だいたい、なんだってそんなにココアを……」
そこまで言いかけたところで、くいと袖を引っ張られた。
「……宮本?」
宮本は、まっすぐに野呂を見つめていた。
「……もしや、とは思うのだけど」
「なんだ? 言ってみろよコーヒー女」
野呂は、ニヤニヤと余裕の表情だ。この状況を楽しんでるふうでさえある。対照的に宮本は、どこまでも感情のない声で、僕に訊いてきた。
「……ねえ、上畑くん。理事長の苗字って、なんだったかしら?」
「なんでここで理事長の話が……?」
僕は疑問に思いながらも、言われた通り理事長の苗字を思い出してみる。
そうして気づく。その奇妙な符号に。
「……あっ!」
「クククッ! ようやく気がついたか。愚かな羊どもめ」
そう、理事長の苗字は――野呂。
野呂理事長だ。
ここまでくれば、いくら鈍い僕でも真相がわかる。
「お前、理事長の……!」
「そうさ、俺は理事長の実の孫。それがどういう意味を示すか、わかるよな……?」
「まさか、ココア学をカリキュラムから外したのも、バン・ホウテン教授を路頭に迷わせたのも、学校の自販機からココアをなくしたのも、ココア部を潰したのも……」
「ああ。全部、俺が望んだからさ。ざまあみろ!」
「くっ……」
僕は悔しさに歯噛みする。宮本も気持ちは同じらしく、大きくため息をついた。
「私としたことが……まさか、野呂家の息がかかった学校に入るなんて」
「クハハハハッ!」
僕たちの落胆ぶりに、野呂は心底愉快そうだ。
「俺がじいちゃんに可愛くお願いすれば、この学校で叶わないことなんてないんだよ!」
「汚いぞ!」
「なんとでも言え! とにかく、覚悟しておけよ! 今日のところはここで退いておくがな。殴られた箇所がずきずきするんだ。眼鏡も買い替えなくてはならん」
クククククククッ、と壊れたゼンマイのような笑い声を響かせて、野呂が去っていく。僕と宮本は、呆然とその背中を見送るしかなかった。
後には、大量のミルクティーだけが残された。
翌日の昼休み、僕と宮本は健二と江田を呼んで学生ラウンジに集まった。
「そうか、そんなことが……」
健二はそう言ったきり暗い顔で黙り込んでしまい、江田は「なんで世界はこんなに理不尽なんだ!」と憤りを露わにしていた。
野呂とのやり取りを一部始終聞かせたのだ。僕たちにはこれからのことを考える時間が必要だった。
一同の間に重たい空気が流れていた。周囲の喧騒の中、このテーブルだけが浮いていた。
「つっても、ただのオドシなんじゃね?」
江田が僕たちを安心させるように言うが、それが楽観的な考えだということは本人もわかっているだろう。
野呂は、必ずや僕たちを邪魔してくる。いや、すでに妨害は始まっているのだ。さっき部室を覗いてみたところ、昨日より多くのミルクティーが山積みにされていた。
「野呂空也……彼は危険よ。なにをしでかすかわからない」
宮本が淡々と警鐘を鳴らす。なにをしでかすかわからないのは宮本も同じだろうと思ったが、なにかしでかされてはたまらないので、黙って頷くにとどめておいた。
だが、確かに野呂には危うい感じがあった。そもそも、なぜココアだけをそこまで敵視するのだろうか。
宮本の父親を通報したという話は、まあ理解できる。誰だって、好きじゃないものを頼んでもないのに飲まされそうになったら「なんだコイツ」と思ってしまうだろう。ともすれば口に出してしまうかもしれない。
他の派を基本的に認めないのが野呂家の方針だとする。だがそうすると、なぜココア部だけが廃部にされたのだろうか。コーヒー部はその存在が大きすぎるから、抑え込もうとしても無理なのはわかる。しかし、ココア部と同格、またはそれよりマイナーな部活はいくらでもある。コーヒーやミルクティーの影に隠れてしまっているが、ココアだって人々から愛されてきた飲み物なのだ。
野呂自身、ココアが特別嫌いなのだろうか。しかしココアが嫌いだなんてこと、ありえるのか……? 僕には到底信じられる話じゃない。
「それで、どうするんだ爽一? まさか、諦めるんじゃないだろうな?」
健二が釘を刺すように尋ねてくる。僕はしばらく考えてから答えた。
「僕は……こんなことで諦めたくないと思ってる。でも、この戦いは、きっとみんなを巻き込んでしまう」
なにせ、この学園の理事長が相手である。下手に抵抗すれば、退学させられてしまうかもしれない。ここの理事長はすぐに生徒を退学をさせることで有名らしいのだ。
「だから、きみたちに協力を無理強いすることはできない」
僕は、苦渋の思いでその言葉を吐き出す。友達のことが大切だからこそ、出てきた言葉だった。一緒に戦ってほしい気持ちはやまやまだったが、そのために彼らに傷ついてほしくはない。ここからは僕一人の戦いでもいいと思うのだ。
ぽん、と肩に手が置かれた。
「なに言ってんのさ」
振り向くと、そこにはココア部であり宮本ファンクラブの会員、阿久津がいた。四人全員だ。
「話は聞かせてもらったよ」
「水臭いこと言うなよ爽一くん。俺たち、友達だろう?」
へへっと笑う阿久津四人衆。兄弟でもないのに、なぜここまで似通っているのだろうと、僕は場違いなことを考えた。
「阿久津……なんでここに」
僕は驚きとともにそう漏らす。
「尾けてきたのさ。おっと、きみじゃないよ。宮本さんをだよ」
阿久津その1が、宮本にパチンとウィンクを送る。宮本は「そう」と言うだけで眉一つ動かさない。
「そうしたら、話が聞こえるじゃないか。ココア部存亡の危機だとか。どうして俺たちに相談してくれなかったんだい?」
「そうだそうだ」と残りの阿久津三人が、声を揃えて同意する。
「いいかい爽一くん。俺たちはきみの力になりたいんだ。それなのに退学なんて、おそれると思うかい? 俺たちは宮本さんのファンである前に、きみの仲間なんだよ!」
「阿久津……」
僕は目頭が熱くなるのを感じた。僕は、正直阿久津のことをまったく友達としてカウントしてなかったのだが、そのことが恥ずかしくなった。肩を叩かれて振り向いたとき、なんだお前らかよ、と思ってしまったことを謝りたい。
「阿久津……ありがとう」
僕は涙声で、阿久津に頭を下げる。
「礼はいらないよ、爽一くん。もし礼をくれるっていうなら、宮本さんの私物を頂きたいところだけどね」
阿久津1が、肩をすくめてニヤリと笑う。そうすると周りの阿久津たちも「そりゃあいい」と相好を崩した。僕も頬を緩めた。健二も、江田も。一同に笑顔が広がった瞬間だった。
「阿久津の言う通りだぞ、爽一」
「フゥ! サイコーにロックな展開じゃねえか!」
「そうね。私物はあげられないけれど」
僕はごつん、とテーブルに額を叩きつけて、さっきまで以上に感謝の気持ちを示した。
「みんな、ありがとう! 僕、負けないよ!」
僕の心はあたたかいものでいっぱいだった。負けない。負けるわけにはいかない。僕は僕の仲間たちとともに、夢を叶えるんだ。