ココア部の再興とミルクティー派の襲来
こうしてココア部は認可された。僕たちは早速その翌日から部室に足を運ぶことにした。
六時間目の専門科目が終わると、僕は教室内の誰よりも早く廊下に飛び出した。部室棟に向かって一路走っていると、前方に宮本の背中が見えた。
「宮本!」
宮本の隣で急ブレーキをかける。宮本は特に驚いた様子もなく、なびく黒髪を手で押さえて僕を見た。
「あら上畑くん。そんなに急いで、どうしたの?」
「部室に決まってるじゃないか。きみだってそうだろう?」
「そうだけれど、なぜ急ぐ必要があるの?」
「はやる気持ちが抑えられないんだよ」
とはいえ、今日参加する部員は僕と宮本だけだ。江田はレモネード部、健二はネイルハンマー部、阿久津たちは四人そろって歯医者の予定があるのだそうだ。
「宮本は、コーヒー部はいいのか?」
「今日は休みよ」
「そっか。宮本が入部してくれてよかった。あらためてお礼を言わせてもらうよ」
「……どういたしまして」
宮本は、そっぽを向いて頷いた。
そうこうしているうちに、部室棟に辿り着いた。僕は自然と早足になってしまい、そのたびに宮本から注意を受けた。
三階の角を曲がると、ココア部の部室が見えた。僕はついに走り出した。部室のドアからは、『廃部』の貼り紙が消えていた。宮本より一足早く到着した僕は、ポケットから鍵を取り出して、鍵穴に差し込んだ。
クルリと右に回したが、手ごたえがない。すでに開いているようだ。誰かが先に来ている?
ノブを握り、そっと手前に引く。
きぃ、と軋んだ音を上げ、ドアが開いた。
「なっ……」
僕がそこで見たのは、驚きの光景だった。
室内は大量のダンボール箱で埋め尽くされていた。どの箱も同一もので、横に『特濃ミルクティー』という青文字が走っていた。300ミリリットル缶が二十本入りのようだ。
箱は天井付近まで堆く積み上げられ、窓から差し込むはずの陽射しを遮っていた。どうりで真っ暗なわけである。
僕は激しい憤りを覚えた。ココア部の部室に、大量のミルクティー。なんたる冒涜だろうか。誰だ、これをやったのは。
そこで気がついた。視線の先、暗闇の中に、人がいることを。
「誰だッ」
箱の一つに腰かけていたのだろう、人影はすっと立ち上がると、こちらに近づいてきた。
「……ふん。貴様がココア部の部長か」
廊下からの光で、人影の姿が露わになる。眼鏡をかけた、痩身の男だった。いかにも陰湿そうな、イヤな目をしている。こんなやつ、僕の知り合いにはいない。
「どうしたの、上畑くん…………え?」
後ろから追いついた宮本が、部室の中を見て素っ頓狂な声を上げる。宮本のこんな反応は新鮮だ。
「あ、あなた……」
ふるふると、目の前の眼鏡男を指さす。宮本が動揺しているのを、僕は初めて見た。
「知ってるのかい?」
「ええ……」
眼鏡男も宮本を知っていたようで、意外そうな顔をした。だが、それは一瞬のことで、すぐに邪悪な笑みを漏らした。
「ククッ……こりゃ傑作だ。貴様とこんなところで再会を果たすとはな。おい、父親は元気にしてるか?」
「……っ!」
瞬間、宮本が地面を蹴り、眼鏡男に襲いかからんとした。僕は慌ててその腕を掴んだ。
「離して!」
「落ち着け! いったいどうしたんだ!」
暴れる宮本を必死に押さえつけ、羽交い絞めにする。しばらくすると、僕の腕の中で宮本はおとなしくなった。
「コイツ……コイツよ……」
宮本の声は震えている。
「宮本、きみらしくないよ。冷静になって。この、眼鏡ゴボウがどうしたんだい?」
「ククッ。ゴボウときたか、ククッ」
しきりに含み笑いを漏らす男。それが癇に障ったのか、宮本は意気を取り戻し、ふたたび暴れ始めた。お腹に肘鉄を食らわされた僕はうっかり拘束を緩めてしまい、自由を得た宮本は男の顔面をグーで殴った。ボクサー顔負けの右ストレートだった。
顔を押さえて倒れ込む男と、腹を押さえてうずくまる僕。先に起き上がったのは眼鏡のフレームが歪んでしまった眼鏡男だった。ふらふらと足下がおぼつかない感じだ。
「ククッ……相変わらずいいモノを持ってるじゃないか。だが、暴力はいかん。痛いからな。俺は痛いのは嫌いだ。痛いと涙が出てくるんだ」
かわいそうに本当に涙目である。
「宮本、いいかげん教えてくれよ。どうしたっていうんだ? そもそも誰なんだコイツは」
僕はエルボーの余韻を引きずりながら立ち上がる。すると宮本は、くるりと僕を振り向いて答えた。いつもの平坦な声だった。
「野呂……野呂空也」
どうやら野呂――というのがコイツの名前らしい。しかしこの野呂という男、いったい何者なのだろう。宮本がここまで感情的になるなんて、ただごとじゃない。
僕が尋ねようとしたとき、機先を制するように、宮本が口を開いた。
それは衝撃の告白だった。
「野呂は、私の父を警察に通報した男よ」
「えっ」
僕は目を剥いて野呂を見つめた。
「それって、以前話してもらったあの……」
「そうよ。私はあの一件の後、その家族……野呂一家に会ってるの。野呂家は十二代も続くミルクティー派の名門。そこの男は、野呂家現当主の実の息子。つまり、次期当主なの」
「そんな……!」
宮本のお父さんは、そんな家に忍び込んでいたのか。いくらなんでも無謀すぎる。
「話を聞いたところによると、通報を断行したのはそこの男だそうよ。周りの反対を押し切って……そのことで当時も、一悶着あったわ」
「あのときのことは思い出したくない。貴様のラリアットの、痛いこと痛いこと」
「私にとっても、胸くそ悪い記憶だわ。だから思い出さないようにしていたのに……まさか、同じ学校だったなんて!」
宮本が、絶望的な叫びを上げる。宮本が絶望的な叫びを上げるなんて、それはもうよっぽど絶望的で叫びたい気分だったんだろう。
対して野呂は、涙目ながらも挑発的な表情を崩さない。
「ククッ……しかしこれも、運命なのかもしれんな」
「運命?」
宮本に代わって僕が聞き返すと、野呂は「ククッ」としつこく笑った。
「そこのコーヒー女の話は、少しだけ説明が不足している」
「なに?」
野呂は無言で、ココア部の隣を顎で示した。そこはミルクティー部の部室だ。
「ま、まさか……!」
僕は嫌な予感に身震いする。はたしてその予感は当たってしまった。
野呂は気障な仕草でくいっと眼鏡を持ち上げると、声高に口を開いた。
「そう! 俺は、現ミルクティー部の部長であり――」
そこでいったん言葉を切ってから、今までで一番邪悪な笑みを浮かべた。
「これから貴様らのココア部を、潰す者だ」