決戦の日
慌しい日々が始まった。
僕たちココア部は、野呂を満足させるココアを作るためにたくさんの実験を重ねた。みんな、他の部活を休んでこちらの活動に専念してくれた。彼らには感謝してもしきれない。
僕のココア下手は深刻だったが、健二や宮本のフォローのおかげでだんだんマシなものが作れるようになってきた。二人ともかなりの腕前だ。正直な話、羨ましい。
日が暮れるまでココア部で研究に没頭し、家に帰ってからも台所で練習をした。人生で一番なにかに打ち込んだ期間だったかもしれない。まさに青春、という感じがした。
余談だが、あの日宮本を取り囲んだ十人のミルクティー部員は全員宮本のファンクラブに入会したらしい。いったいどういう経緯でそうなったのか気になるところだが、健二に訊いても「俺もなにが起きたのかわからないんだ」とのことで、真相は闇の中だった。
あっという間に時は過ぎ、決戦の日がやってきた。
その日の放課後、僕たちココア部は二年生の学生ラウンジまで足を運んだ。野呂が会場にそこを指定したからだ。学生ラウンジなら、一通りの設備も整っている。
「……来たか」
野呂は相変わらず玉座のような椅子に腰かけていた。これから僕たちのココアを飲むというのに、うまそうに持参のミルクティーを啜っていた。
「ではこれから、ココア部の存亡をかけた勝負を始めます」
野呂の側近と思われるミルクティー部員が、僕たちの前に立った。ラウンジにいた二年生たちが、息を呑んでこちらを見た。どうやら勝負の噂は広まっているらしい。
「ルールの確認をします。ココア部は野呂氏を満足させるココアを提供できたら勝利。もしココア部が勝った場合、ミルクティー部はココア部の存続を認めます。しかし負けた場合は、その限りではありません」
周りの二年生たちからブーイングが上がった。それでは不公平すぎる、という内容が主だ。野呂の側近は野次を無視して僕たちに尋ねた。
「今の条件で問題ありませんね?」
有無を言わせぬ口調だった。もとよりごちゃごちゃ言うつもりもない僕は、黙って首を縦に振った。
「ククッ! 馬鹿め! 今ならまだ引き下がれるというのに!」
野呂が嘲笑すると、周りの二年生たちからまたブーイングが上がった。本来ホームであるはずの空間でアウェーな野呂のことが、僕は敵ながら心配になった。
「ココア部のみなさん、準備はいいですね。今から十五分以内に、最高のココアを用意してください。何種類作っても構いません。野呂氏が満足の行く品を一つでも出せたらココア部の勝利とします。なお、作られたココアは野呂氏のみならず我々ミルクティー部やこのラウンジにいる二年生の方々も試飲が可能です。是非是非、ご賞味あれ」
おお、とギャラリーから初めて喜びの声が漏れた。このルールは僕たちが新たに付け加えたものだ。深い意味はないが、せっかく頑張って作ったものなのだから、いろんな人に楽しんでもらいたかった。
「それでは始めてください」
合図とともに、僕たちは動いた。各自、打ち合わせ通りに散開する。作るココアは一種類じゃない。八人のココア部員たちには、それぞれ担当というものがある。
その中で最も重要なのは、僕が担当する、あるココアだ。これが勝負の鍵を握っている。
僕は調理台の前で、ぐっと気合を入れる。
見てろよ、野呂。
必ずお前に、うまいと言わせてやる。
そうして、そのときは来た。
「……完成です」
いくつもの丸テーブルに、たくさんの紙コップが並べられている。中身はそれぞれ、味の違うココアだ。アイスからホットまで、充実したラインナップとなっている。
「ほぉ……」
野呂はテーブルの間を行ったりきたりしながら、ココアの出来栄えを眺めていた。僕も、健二も、宮本も、江田も、阿久津も、固唾を飲んでその様子を見守っていた。
「ずいぶん努力したようだが……駄目そうだな。匂いがすでに受けつけない」
「なんだとぉ?」
野呂の発言に、江田が突っかかる。僕はそれを手を挙げてとどめた。
「飲まないってのだけはナシだぞ、野呂」
「……わかってる」
野呂が舌打ち混じりに答えたのを確認してから、僕は会場全体に告げた。
「いっぱいあるので、みなさん遠慮せずに飲んでください!」
歓声とともに、二年生たちが各テーブルに群がってきた。僕たちは野呂の近くで、彼ら彼女らの感想をドキドキしながら待った。
はたして予想以上の大反響だった。
「……ん、ウマイ! なんだこのココア!」
「キャラメルだ! キャラメルが入ってるんだ! どうりでコクがある!」
「おい! こっちにはイチゴジャムが入ってるぜ! フルーティーな感じがなんとも言えん!」
「ほう……これはコーヒーですな。ココアにコーヒーが入っておる。私はコーヒー科だが……なるほどこういうのもアリですな」
生クリームを乗せたオーソドックスなタイプのココアから始まり、キャラメルやジャム、コーヒー、バター、練乳、シナモンなど、様々なアレンジココアを作った。どれも試行錯誤を重ねて完成させた自信作だ。
うまいうまいと言って飲んでくれている人たちを見ていると、それだけで頬が緩んでくる。僕たちココア部は、顔を見合わせて喜びを分かち合った。
「チッ……」
反対に不機嫌なのは野呂である。野呂はまだ、どのココアにも口をつけていない。そこへ紙コップを持ったミルクティー部員がやってきた。
「部長! 悔しいけど、おいしいですよ! 一杯どうですか? これは練乳入りなんですが、舌がとろける甘さで……」
「いらん」
野呂がぶっきらぼうに言うと、部員は「そうですか……」としょんぼりした顔つきで引っ込んでしまった。笑顔が溢れるラウンジ内で、野呂だけがその輪に溶け込んでいなかった。
「なにも飲まないのは、ルール違反なんじゃないのか?」
健二がネイルハンマーをちらつかせる。
「余裕ぶっこいてんじゃねえぞぉ?」
江田がヘタなメンチを切る。
「飲んだら認めてしまうから、それが怖いのね」
宮本が感情のない声で挑発する。
「そうだ、宮本さんの言う通りだ」
阿久津四人が、声を揃えて同調する。
「うるさいぞ、貴様ら」
野呂は苦々しく呻くと、眼鏡をくいっと持ち上げた。
「一口だけなら飲もう。どれがオススメだ?」
「全種類味見してもらいたいわ」
宮本が意地悪を言う。よく見ると、野呂は額に冷や汗を浮かべていた。さすがにかわいそうになり、僕は助け舟を出してやることにした。
「どれか一つと言うなら、とっておきなのがあるよ」
「とっておき?」
「そう、とっておき」
僕は一度調理スペースに戻り、野呂のために作った特製ココアを陶製のカップに注いだ。それを持っていく。
「ほら、これ」
僕が手渡すと、野呂は素直に受け取った。じっとココアの表面を見つめる。
「……ハッ、飲んだからといって貴様らのココアを認めることは絶対にないぞ」
言葉とは裏腹に、飲む前から喉がごくりと動いていた。本当は飲みたくてたまらないに決まっている。
「無理しないで飲みなよ。おいしいから」
「……気は進まないが、そういう約束だからな」
野呂は大きく深呼吸すると、緩慢な動作でカップを口に持っていった。ズズズと、一口だけ啜る。僕はその一部始終をドキドキしながら見ていた。
――ことん。
カップがテーブルに置かれる。野呂がそのとき見せた幸せそうな表情を、僕は一生忘れないだろう。
「の、野呂……!」
だが、次の瞬間には元のしかめ面に戻ってしまう。野呂はわざとらしくため息をつくと、大仰に首を振った。
「駄目だな、これは」
吐き捨てるように言う。
「てめ……!」
その態度に、またも江田が突っかかった。
「絶対ウソだろ!」
「そんなわけないだろう。だいたいこのココア、なんの工夫もないじゃないか。俺が嫌いな、マズイココアだな」
野呂の口元には失笑が浮かんでいる。対して僕は、頬のニヤけが抑えられなかった。
なんの工夫もない、ただのココア……
それは、この三日間苦心してきた僕にとって、なによりの褒め言葉だった。
「な、なにニヤついてるんだ、貴様」
動揺する野呂に、僕はあらためて微笑みかける。
「もっと飲んでくれよ。たくさんあるからさ」
「い、いらん。マズイと言っただろ」
「野呂、もういいんだよ。無理しなくて」
「は、はぁ?」
困惑を露わにする野呂に、僕は諭すように言った。
「もう、大好きなココアから目を背ける必要はないんだ」