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ココア勝負

 全速力で普通棟に引き返し、二年生のフロアに向かう。上級生のエリアというのはさすがに緊張したが、そうも言ってられない。

 周囲の怪訝な視線を一身に浴びながら、僕は走った。日頃の運動不足もあり、すぐに汗だくになった。僕は弱音を上げる足腰を叱咤して、ペースを落とさないように努めた。何度も上級生にぶつかりそうになりつつも、一直線に学生ラウンジに駆け込んだ。


 バン、とガラス戸を開けると、二年生たちの視線が一気に僕に集まった。だが、僕が見据えていたのは真正面だけだった。

 野呂は学生ラウンジの最奥で、玉座のような椅子に腰かけていた。おそらく、特別に設えさせたものだろう。あの一角の調度品だけ異彩を放っている。野呂は僕を一瞥すると、興味なさげにミルクティーを啜った。


 「野呂」


 息も切れ切れに相手の名前を呼んで、一歩一歩近づいていく。二年生たちは僕の気迫に呑まれたのか、文句を言うでもなく道を譲ってくれた。ラウンジ内は、不気味なほど静まり返っていた。

 ある程度まで近づいたところで、野呂はミルクティーの入った高級そうなカップを高級そうなテーブルに置き、悠然と立ち上がった。


 「俺の優雅なティータイムを邪魔するなんて、よっぽど重要な用件があるんだろうな? たとえば……部室を明け渡す決意を固めたとか」


 野呂はそう言って、下卑た笑みを浮かべる。殴りつけたい気持ちを、僕はぐっと堪えた。  


 「よくもぬけぬけとそんなことが言えるな。恥ずかしくないのか」

 「ククッ……これは妙なことを言う。まるで俺が悪いことをしてるみたいじゃないか」


 僕たちは睨み合う。まさに一触即発という空気だ。全然関係のない周りの二年生たちがあたふたしていた。


 「貴様がココア部を諦めればいい話だ」

 「お断りだよ。そっちが潰すのを諦めればいい」


 このまま話を続けても平行線になることは明白だった。僕は核心に切り込むことにした。


 「野呂。お前はどうしてそこまでココアを毛嫌いするんだ? ずっと、それが気になってるんだ」


 野呂のココア嫌いには異常なものがある。そこに攻略の鍵が隠されているのではないかと思うのだ。


 「どうして……か。そんなの、マズイからに決まってるだろう」

 「いや、ココアはうまい。ミルクティーが飲めてココアが飲めないなんて、僕には考えられない。事実、僕はココアほどじゃないにしても、ミルクティーは好きだよ。お前のせいで嫌いになりそうだけどね」

 「ククッ……押しつけもいいとこだな。あんなお子様な飲み物、俺は大嫌いなんだよ」


 強情なヤツである。

 野呂の言うことが真実だとしたら、ただ味が好かないというだけでココアにここまでの仕打ちをしていることになる。それはあきらかにおかしい。

 だが、このまま押し問答を続けていても埒が明かない。野呂はいつまでも本当のことを話さないだろう。

 ならば、イチかバチかだ。


 「――野呂。勝負をしないか」


 僕は、挑戦的な目で野呂を睨んだ。


 「なに?」


 野呂が訝しげに眉を寄せる。僕は大きく息を吸ってから、続きを口にした。


 「三日後の木曜日、僕はお前のためにココアを作ってくる。もしもそれを心からおいしいと感じたら、ココア部を認めてくれ。だけど、そうじゃなかった場合は――」

 「貴様は廃部を受け入れる、ということだな?」


 野呂が続く言葉を引き継ぐ。僕は黙って頷いた。脇の下は汗でびっしょりだった。


 「クハハハッ! 面白い! いいだろう、受けて立つ!」


 野呂は高らかに笑いながら僕の提案を承諾した。その声には嘲りの色が濃く滲んでいた。


 「しかし貴様は馬鹿だな! 万が一貴様のココアがうまかったとしても、俺が嘘をつけばいいだけだぞ? 俺が勝負を受けた時点で、もう廃部が決定したようなものだ!」


 確かにその通りだ。だが、このことに関しては大丈夫だろうという目算があった。


 「お前にこの学校の生徒としてのプライドが少しでもあるなら、嘘はつかない……いや、つけないだろう」


 僕が冷静に分析すると、野呂はさっきとは一転、面白くなさそうに鼻を鳴らした。


 「……ふん。まぁ、いずれにせよ関係のないことだ。俺を唸らせるココアなど、作れるはずがないのだからな」


 野呂の口調は確信に満ちていた。そんなにもココアが嫌いなのだろうか。


 「せいぜい足掻くがいい。この三日間、ココア部の部室は明け渡してやる。調理スペースも好きに使わせてやろう。ついでに隣の部屋にいるミルクティー部員たちもいったん引き上げさせる」

 「やけに協力的じゃないか」

 「なあに。あと三日の辛抱だからな。これで貴様らの顔を見ずにすむようになると思うと、最後に仏心も沸くというものだ」


 野呂はククッと笑うと、僕の横を通り過ぎて、学生ラウンジの出口に向かった。僕はその背中が見えなくなるまで、じっと立ち尽くしたまま動かなかった。

 そのとき僕が考えていたことを端的に表すとこうだ。


 「(勝算ゼロだな……)」


 勢いでいろいろ言ったが、僕はココアがうまく作れないのである。一般人どころか自分さえ満足させられない僕が、野呂に「うまい」と言わせることができるのだろうか。

 どうしたものか、と悩んでいると、声をかけられた。


 「あ、あの」


 ぐるりと顔を巡らせてみるが、声の主は見当たらない。空耳かな、と首を傾げていると、また聞こえた。


 「あの!」


 今度はわかった。下から聞こえるのだ。どういうことかというと、小さすぎて僕の視界に入らなかったのである。

 目線を下げてみると、正面に小柄な女の子がいた。気の弱そうな、ショートカットの可憐系美少女だ。オドオドと視線をさまよわせ、不安そうに髪をいじっている。

 それにしても、小さい。このラウンジにいるということは上級生なのだろうが、小学生にしか見えない。制服の袖がぶかぶかである。きっと、そういったファン層をつけてること間違いなしだろう。


 「なにかな、お嬢さん」


 僕が膝を屈め、目線を合わせて優しく尋ねると、少女はモジモジしながら言葉を紡いだ。


 「そ、その、私、空也くんの恋人だったんですけど……」


 『空也くん』とは野呂のことだろう。僕は卒倒しそうになった。


 「ほ、本当かい? それは犯罪なんじゃないのかな」

 「同い年ですよぅ」


 野呂のやつ、ロリコンだったのか。案外これをネタにして脅せば、勝負するまでもなくココア部のことを認めさせられるかもしれない。


 「一つ質問なんだけど、きみは野呂のどこに惚れたんだい?」

 「えっと、財力と権力……ですかね」


 少女はえへへと恥ずかしそうに笑う。前言撤回だ。これをネタに脅すなんてしたら、野呂の心の深い部分にある傷口を抉ってしまいそうである。僕は鬼ではない。そんな非情なことはできない。


 「……それで、野呂の元カノであるきみが、僕になんの用だい?」


 気を取り直して訊くと、少女は自信なさげに口を開いた。


 「あの、私、空也くんのことで知ってることがあるかもしれません……」 

 「それは是非、教えてほしいね。でも、なんで僕の味方をしてくれるんだい?」

 「ココア部の不遇は、結構有名な話ですから……。空也くんに反感を持ってる人も多いですよ。私も、空也くんのあの笑い方にはついていけなくて」


 よもや別れた理由はそれじゃないだろうな、と勘ぐりたくなったが、脱線している場合ではない。僕は早速、野呂の秘密とやらを教えてもらうことにした。

 そうして少女がたどたどしく語った内容は、僕に特大級の衝撃をもたらした。


 「あいつ……そうだったのか!」


 これで謎は解けた。後は、約束の日まで試行錯誤を繰り返すのみだ。

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