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小さな魔女と野良犬騎士 Act.2  作者: 如月雑賀
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第8話 虚ろなる器を持つ者



 数年前までは爵位持ちの貴族であったカトレアも、今はすっかり家が没落してしまい、家名も財産も全て根こそぎ失ってしまった一家は、父母と兄弟全員で東街にある長屋で一つ屋根の下の貧乏暮らし。

 他人が聞けば涙を浮かべるような不幸の連続があったが、数年立った現在は笑い話の種でしかない。

 衣服の着方、ご近所付き合い、洗濯で使う冷水の冷たさ、以前はゴミとして捨てていた野菜の皮や根っこ、見ず知らずの人間に愛想を振り撒く事、貴族の頃は考えもしなかった衣食住の全てをここで学んだ。当然、プライドが邪魔をして悪態を突いた事は何度もあったし、惨めさで枕を涙で濡らした事も数えきれない。あの頃のカトレアという少女は、自分こそがこの世で一番不幸な人間だという事を信じて疑わなかった。


「阿呆な事ばっか言ってんな。俺はお前を一度として、不幸な奴だなんて思った事はねーよ」


 口を開けば恨み言ばかりの少女に、男は面倒臭げな顔でいつもそう言っていた。

 礼儀知らずの無礼な男。

 初めてあった時は顔も見たくないほど嫌いだった。けれど、いつの頃からだろう? 視線が自然とその人を追うようになったのは。あの人の声が耳にこんなにも心地よいと感じるようになったのは……カトレアは一目惚れなど信じない。だからきっとこの気持ちは、一つ一つの好きが重なって大好きになり、恋心が生まれたのだ。


「……って、何をこっ恥ずかしいこと考えてるんだあたしわぁぁぁああああああ!!!」


★☆★☆★☆


 密かに隠し持つ自作のポエムを自ら音読するような拷問に、羞恥心が限界に達して精神が崩壊する寸前、カトレアは文字通りの意味でベッドから跳ね起きた。


「……あ、れ……?」


 喉が痛くなるほどの絶叫を発してから、カトレアはぼやけた頭で自分が眠っていて、先ほどまでの出来事は夢だったことに気が付く。悪夢と呼ぶには甘ったるい夢の中を思い出し、呼び起された羞恥心が身体の奥から熱を発する。


「……酷い夢だったわ」


 冷や汗交じりにカトレアは呟く。

 何が酷いかと言えば夢の内容というより、朗々と語られたモノローグ的なモノは、実際にカトレアが記した日記帳のポエムから引用されたという事実。夢見がちな乙女が惑った一時の気の迷いとはいえ、黒歴史が呼び起されるのは精神衛生上、大変よろしくない。


「それにしても、ここ、何処よ……? なんだか頭も、痛いし」


 まだ意識がハッキリ覚醒しきって無いまま、カトレアは断続的に訪れる軽い頭痛に顔を歪ませながら自分がいる部屋を見回した。

 古めかしい木製の建物。その一室にあるベッドで、カトレアは眠っていた。

 魔力灯で照らされて室内は明るいが、窓から見える外の風景は真っ暗闇。特に何が置いてあるわけでもなく、飾り気の皆無な室内に見覚えは無いが、ここがかざはな亭や自分の家では無いことは直ぐに理解できた。そして鼻に香るのは微かな消毒液の匂い。これにはちょっとだけ覚えがあった。


「ここ、病院? ……あたし、なん、で……」


 呟いた瞬間、直前の記憶がフラッシュバックで蘇り、カトレアの顔面から血の気が引いた。


「――ロザリン!?」


 サイモン=ウィンチェスターに攫われるロザリンの姿を思い出し、こんなところで寝ている場合じゃないと反射的に身体を捻りベッドから降りようとする。

 瞬間、脇腹に物凄い激痛が走った。


「――痛ッ!? いっ、たぁ――って、わぁっ!?」


 脇腹の痛みに起き上がろうとした身体から力が抜け、ベッドの上に倒れ込むのを右手で支えようとしたが、再び激痛が右手の指全部を駆け巡り、耐え切れなくなったカトレアは肘を折りそのままベッドの下へと落下していった。

 ずでん、と顔から床に落ちたカトレアは、色んな痛みに声も無く悶絶する。

 ちょうど部屋の扉が開き誰かが入室してきたかと思うと、床の上で不格好な姿になっているカトレアを見て呆れたような声を発した。


「……目を覚まして早々、床掃除でも始めたのか?」


 言いながらアルトは倒れるカトレアに近づき、軽々と抱きかかえた。


「――キャッ!? ちょ、ちょっと……!?」

「あん? どうした、顔が赤いぞ」

「ははは、恥ずかしいだけよっ。急に、お姫様抱っこされたら、恥ずかしいに決まってるでしょ!」

「そりゃ悪かったな。次があったら、一声かけてやるよ」


 顔を真っ赤にしながらも大人しく抱かれるカトレアを、傷に響かないようゆっくりとベッドに戻した。

 直前の夢もあってかドキドキが治まらないカトレアは、真っ赤になっている顔を見られたくなくて毛布で覆い隠そうとするが、上手く右手で掴めない。


「あれ、あれ? ……ああ、そういうことか」


 見てみると右手は指の第二関節辺りまで、包帯によってガチガチに固められていた。遅れてそういえば右手の拳は、サイモンとの戦いの最中にかなり深い怪我を負っていた事を思い出す。治療の為なのはわかるが、幾ら何でも巻きすぎだろう。

 そりゃ動かし辛いし、手を突いた時の痛みにも納得ができた。

 だが、カトレアには自分の怪我や何故、ここにいるのか以上に気にかかることがある。

 カトレアをベッドに寝かせ離れようとするアルトの腕を、怪我をしていない左手で掴む。


「アルトっ、ごめん、ロザリンが……ッ!」

「わかってる。サイモンの野郎に、捕まったんだろ」

「えっ、どうしてそれを?」

「うわ言で何度も繰り返してたんだとさ。お前は倒れてるところを、近所の連中が見つけて病院に運んでくれたらしい」


 思考が鮮明になると次第に焦りも浮かび、腕を握るカトレアの手に力が籠る。


「ごめん、アルト、ごめんっ……あたしが不甲斐ないばっかりに」


 後悔の言葉が口を突く。自責の念が胸を焦がし、全身の傷口以上にカトレアの心を苦しませた。


「変な見栄なんかはらずロザリンと協力してれば……いや、そもそも逃げるべきだった。あたしの所為でロザリンが危険な目に……ッ」

「おい、カトレア」

「ごめん、ごめんなさいアルト! ごめんなさいッ!!」

「あ~っ、もうッ! ごちゃごちゃとうるせぇぞッ!」


 謝罪を繰り返すカトレアに苛立ち、アルトは一際大きな声で怒鳴ると両方の頬を手で挟むよう叩き、顔を無理矢理自分の方へ向けさせた。

 息が届く距離まで顔が近づき驚いたカトレアは取り乱すのを止めたが、代わりに顔が真っ赤になって動きを停止してしまう。

 手の平に頬の熱を感じながら、アルトは珍しく真剣な眼差しでカトレアを見据えた。


「落ち着け」


 まずは一言、力強く告げて、カトレアが会話出来る状態になってから言葉を続ける。


「詳しい状況を知ってるのはお前だけだ。わかるな?」

「……うん」

「まずはお前が見た事、聞いた事を俺に教えろ。出来る限るでいいから」

「わかった。うん、大丈夫。もう、大丈夫だから」


 落ち着いた事を示すよう、カトレアはそう言って微笑を見せる。

 平静と呼ぶには口元が引き攣っていてぎこちないが、それでもカトレアは懸命にロザリンが攫われた状況を思い出し口答でアルトに説明した。


 サイモン=ウィンチェスター、通りに張り巡らされた結界、ロザリンを狙っている事、そしてサイモンが恐らくは不死者である事を、一つ一つ丁寧に思い起こしながらアルトに説明していく。時間自体はそれほど経過していないので、思い出す事にそれほど苦労はなかったのだが、ただ一点だけどうしても思い出せない事があった。

 サイモンの詳しい容姿だ。


「あ、あれ? 全然、思い出せない……真正面からやり合ったし、魔力灯もあったから暗くて顔が見えなかったってわけでもなのに……」


 幽霊でも見たような表情で、カトレアは唖然と呟く。


「サイモンって奴の顔や恰好が、霧に包まれてるように全然、思い出せない……」

「思い出せないって……本当に、全く記憶に残ってないのか?」


 問われてカトレアはもう一度考え込むが、やっぱり駄目だと首を左右に振った。


「髪が長い事とか、手のタトゥーとか事前に聞いてた事は思いだせるけど、容姿や声は全然わからない……あたし、怪我で記憶が吹っ飛んじゃったのかな」


 冗談とも本気ともつかない口調で、カトレアは困惑している。

 アルトは今までも話を頭の中で整理してから。


「いや多分、そうじゃないな」


 推測だが、と付け加えてアルトは否定する。


「認識操作の魔術か、それとも不死の代償か……どちらにしてもサイモンを探してた連中が、足取りも掴めなかった理由はそれか」


 そしてサイモンとエイダはグル。最初から彼らの狙いはロザリンであり、罠を仕掛けて障害になるアルトからロザリンを引き離した。何が目的かは知らないが、舐めたマネをしてくれるとアルトは不機嫌に舌を鳴らす。


「それで、アルトの方は? あのエイダって女の人、捕まえられたの?」

「いや、情けない事に逃げられちまった」


 言いながらアルトは肩を竦める。

 あの後、エイダを追いかけて宿を出たモノの、サイモンの追っ手らしき連中に、逆に追いかけられてしまい結局は足取りを得る事は出来なかった。


「ジュゼッペの爺さんも、とんだ仕事を回してきやがったぜ。ま、本人も仲介役で事の内容は知らないんだろうが」


 これをネタに鍛冶代を値切ってやろうかと、アルトは気分を紛らわせる為、半分本気の冗談を飛ばした。カトレアも釣られて笑おうとするが、やはり捕まったロザリンが気にかかるらしくその表情は暗い。


「それじゃ、手がかりは無いってわけなんだ」

「いや、そうでもないさ」

「えっ?」


 驚くカトレアは俯いていた顔を此方に向ける。


「話を聞いた限りじゃ、サイモンの野郎を追いかけるのはちょいと難しい」


 サイモンは不死者である以上に、卓越した魔術師でもあるのだろう。優れた魔術師と相対するには相応の準備が必要だし、対策を立てられるのは同じ魔術師しかいない。頼みの綱であるロザリンも、今はサイモンの手中に落ちている。


「もしかして、騎士団の力を借りるの?」

「いや、今回はアイツらの手は借りない」


 思い付く伝手をカトレアは述べるが、すぐさまアルトは否定した。


「新団長の選出やら何やらで、エンフィール騎士団はゴタゴタが続いているからな。共和国との一件もあったから、貴族派の連中の目が厳しいらしい。レムリア教国が関わってんなら尚更だ」


 それでもアルトが頼めばシリウスやシエロは手伝ってくれるだろう。しかし、彼女達も人工天使事件での独自行動を、かなり強く貴族派に突っ込まれたと聞く。これ以上、迷惑をかけるのは流石のアルトも気が引けた。


「じゃあ、どうするのよ?」

「蛇の道は蛇。捕まえられるのがトカゲの尻尾でも、切られる前に頭を叩き潰してやるさ」

「……意味がわからないんだけど」

「怪我人は怪我を直す事だけを考えてろって事だ」


 そう言ってアルトは病室のドアの方へ歩いて行く。

 途端にカトレアは「……えっ」と心細そうな表情をして身体を起こした。


「痛ッ……も、もう行っちゃうの?」

「そりゃもう真夜中だからな。添い寝の一つもしてやりたいが、今日は一日中歩き回ったから汗臭いぞ……お互いにな」

「……うっ」


 言葉を詰まらせたカトレアは、咄嗟に自分の体臭を確認しようとして、止めた。

 我慢し切れず笑いを零すとカトレアに睨まれてしまったので、アルトは「んじゃ、またな」と言って病室を出ようとする。


「――アルト!」


 ドアを開いたところで、カトレアが神妙な声を背中に向けた。


「ロザリンの事、お願い」

「ま、善処するさ」


 振り向かずそう軽い口調で告げて、アルトは病室を後にした。


★☆★☆★☆


 病室から出ると真夜中の誰もいない筈の廊下に、ランドルフが立っていた。

 どうやら話が終わるまで待っていたらしい彼は、静かにドアを閉めたアルトに声をかけようとするが、ギョッと驚いた顔をして言葉を途中で止めてしまう。


「ど、どうしたの、アルト?」


 そう言いながらランドルフは、マジマジと此方を見つめる。


「物凄く、怖い顔してるよ」


 顔を指さされたアルトは、無言のまま手の平で顎のラインを撫でつけた。

 自覚はしている。面倒、ウザったいと思う事は度々あるが、頭に来るのは久しぶりだった。


「カトレアん家の連中は?」

「ん? ……あ、ああ。ご両親が今、医者と話してるところだよ。話し声が聞こえたから、カトレア君は目を覚ましたみたいだけど、大丈夫そうかい?」

「怪我してるって事以外は問題無い」

「怪我してるってのが、一番の問題だと思うんだけど」


 言い方に不機嫌が滲んでいたからか、ランドルフは困り顔で眉を八の字にした。


「あいつだってエンフィールの人間だ。多少、突かれたの斬られたのした程度で死ぬほど、柔な身体しちゃいないだろうよ」


 普段通りの軽口を叩くが、ランドルフは乗るわけでも窘めるわけでもなく、何故かジトっとした目をしてから大きくため息を吐き出した。


「まぁ、いいけどさ。アルトが素直じゃないのは、今更だしね」


 失礼な事を肩を竦めながら言って、ランドルフは改めてアルトの方を見る。


「それで後の事はご両親に任せて僕は帰るけど、君はどうするの?」

「俺は今から少し、北街まで足を延ばすつもりだ」


 時刻は真夜中だ。しかし、ランドルフはその事を追及したりはしなかった。


「僕が出来る事は何かないかい?」

「栄養のあるモンを作って、無理矢理カトレアの口にねじ込んでやってくれ。あの調子じゃ、飯も喉を通らなそうだ」

「そうだね。そうするよ」


 ランドルフが微笑を浮かべ頷くのを確認してから、アルトは速足で廊下を進む。

 目指すは北街、階段通り。





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