第2話 エイダ=ウィンチェスター
エイダ=ウィンチェスターを一言で表すなら、妖艶な美女と言ったところだろう。
南方の出身なのか肌は色黒で短めの髪の毛は、見た目の快活さを演出している。しかし、スラッと長い手足と泣き黒子のある目元の所為か、健康的な印象以上に何処となく影を背負ったミステリアスな雰囲気を纏っていた。
「エイダ=ウィンチェスターよ。よろしくお願いするわね」
かざはな亭でアルトの対面に座るエイダは、微笑と共に右手を伸ばした。
「アルトだ。こっちこそ、よろしく頼む」
手の脂をコートで拭ってから握手に応える。
ジュゼッペに連絡を取って貰い依頼人であるエイダがかざはな亭を訪れたのは、夕方近くになってから。この時間帯はかざはな亭も準備中なので店内に客の姿は無く、夜の支度に追われるカトレアが時折、睨むような視線を此方に送ってくるくらいだ。
握手した手は直ぐに離れず、エイダは握った手を軽く数回揉み込む。
「いい手をしているわね。戦う男の人の手」
「そうか? 毎日剣を振ってりゃ、嫌でもこんな手になる」
「その毎日を続けられる人はそう多くは無いわ。どうやら、ジュゼッペさんが言っていた通り、信頼できる人のようね」
そう言ってエイダは微笑みを深くする。
「野良犬騎士なんて呼ばれ方をしているから、どんな人かと疑問に思っていたけれどいい人そうで安心したわ」
「俺は俺をいい人って判断するアンタの感覚に疑問だけどな」
「そう? だって子供に好かれる人が悪い人のわけがないじゃない。ねぇ?」
「……ぬっ」
「むむっ」
エイダが微笑みかけたのは、アルトの左右に居座る二人の少女。
ロザリンとプリシアだ。
学校から帰ってきたばかりの二人は着替える間もなく同じ制服を着て、まるで子猫が所有権を主張するよう左右に腕に抱き付き、威嚇するような視線をエイダに送っていた。
「可愛らしいお嬢さん方ね」
それを大人の余裕か、微笑ましげにエイダは瞳を細めた。
「あちらのお嬢さんも、ね」
「――ッ!?」
掃除をしながら此方を伺っていたカトレアが、ワザとらしく顔を逸らした。
「モテるのね、野良犬騎士さん」
「女の数を自慢するのは生活に余裕がある奴と、性欲を制御できないガキだけだ。同じモテるなら、俺は金銀財宝の方が嬉しいねぇ」
「むっ」
「……兄様っ」
肩を竦めての軽口の、左右から少女達の恨みがましい視線が突き刺さる。
短い沈黙が流れる中、それを破ったのはカトレアによって乱暴に提供された、ケーキの盛られた皿と人数分のティーカップだ。
「はい。紅茶とチョコレートケーキ。自分で切り分けて食べなさいな」
大方、厨房にいるランドルフが気を利かせたのだろう。「ありがとう」と礼を述べるエイダに営業スマイルを向けてから、カトレアは此方を一瞥してふん! と不機嫌そうに鼻を鳴らしカウンターの方へと戻って行く。
アルトは抱き付かれた両腕を引き抜くと、右腕をテーブルの上に置いた。
「美女との歓談も悪くは無いが、のんびり語らってると日が暮れちまう。早速だが、話を聞かせて貰えるか?」
「ええ、構わないわ」
お茶を一口含んで喉を潤してから、エイダは口火を切った。
「単刀直入に言えば人を探して欲しいの」
「人を?」
人探しという聞き覚えのある言葉に、チラッと右隣に座るロザリンを見てしまう。
「探して欲しい人の名はサイモン=ウィンチェスター」
「ウィンチェスター? ……ってことは」
「そう。サイモンは私の兄よ」
肉親を探すというのも、また既視感を覚える。
彼女の口から語られる事情は、そう複雑なモノでは無かった。
ウィンチェスター家は貴族ではなく、南方の小国を拠点とする行商人の家系。昔は大勢の商人達を束ね、当主の統括の下、大陸の様々な場所に商隊を派遣するのが主な役割であったが、度重なる戦争による国交の封鎖などの煽りを受け、現在は規模を大きく縮小、家族のみで細々と行商を営んでいるそうだ。
エイダの兄であるサイモンが現在のウィンチェスター家の当主だったのだが、エンフィール王国に行商に出ていったっ切り音信不通に陥ってしまった。
連絡が途切れて半年。
大陸を巡り行商は時間がかかるのが常であるが、連絡が途切れてしまうのは明らかに不自然であると、心配になったエイダが知り合いの伝手を便り、王都までやって来たというのが事のあらましだ。
行方不明事件としては、まぁあるかもしれない事柄だろう。
ただ、話を聞いたアルトは幾つかエイダの説明に引っ掛かりを覚えた。
「話はわかった。だが、それで何でギルドを頼らない?」
「そうですそうです。ギルドかたはねは、王都でも評判の冒険者ギルドですよ」
「人手の効率からいって、人数を割けるギルドに依頼した方が確実だろう。どうしてそうしなかった」
「予算が無いからよ」
エイダは事も無げに言った。
「商人としては名家でもウィンチェスター家に、大金を支払う余裕は無いの」
これには左隣にいるプリシアも、渋い顔で黙り込むしかない。
確かに冒険者ギルドに依頼を出すのは値段的にも簡単な事では無い。安い報酬で依頼を登録する事も可能だが、人探しなどという手間も時間もかかる面倒な仕事、効率を好む冒険者が引き受けたがるわけがないだろう。
互いの腹の内を探るよう、アルトとエイダは無言で視線を交差させた。
「はいはい、シュークリームにロールケーキ、フルーツタルトもおまけにね。お茶のおかわりはポットで持ってきたから、自由に飲んでいいって言ってたわよ」
器用に複数の皿を両手に乗っけて再び現れたカトレアが、追加のデザートをテーブルの上に並べる。
アルトは視線をエイダに向けたまま、シュークリームを掴み口の中へと放り込んだ。
「むぐむぐ、そいつは死活問題だな。気持ちはよくわかるぜ」
「そうは言っても見つからなくてよいわけじゃないわ。だから、知り合いに頼んでお願いしたの。面倒事でもキチンと仕事をしてくれる人はいないかって」
「……それで爺さんは俺を指名したってわけか」
約束している報酬は、ジュゼッペに支払う鍛冶代とそのツケ分、そして手元に残る少々の額だけ。報酬としては決して少ない額では無いが、それでも冒険者ギルドの連中が円満に納得してくれる値段に比べれば、十分に安いと言えるだろう。
「だが、爺さんからはギルドに頼るのは都合が悪いって聞いてる。金が無いって意味あいとは、ニュアンスは同じじゃねぇよな?」
「…………」
追及するとエイダは黙り込む。だが、微笑は消えてはいなかった。
「そう、そうね。無理を聞いて貰うのだから、隠し事はいけないわよね」
そう聞こえるよう呟いて、エイダは短く息を付いた。
「あまり大きな声では言えないのだけれど、ウィンチェスター本家はもしもの場合の事も考慮に入れているの」
「もしもの場合、ですか?」
プリシアが小首を傾げる。
「ウィンチェスター家の不名誉となる行いに手を染めている場合よ」
「そんな……ただ、行方不明ってだけなのに」
「私も兄が単純に、連絡が取れない状況にあるだけの事を祈っているわ。けれど万が一、非合法な組織や職務に従事している事があれば、ウィンチェスター家の名誉は地に落ちてしまうわ。ただでさえ斜陽にあるのにこの上、当主自らがスキャンダルを起こせば、私達家族は首を括る覚悟をしなければならないの」
「だからもしもの場合は殺せってか? 悪いが俺は殺し屋じゃない。んな物騒な依頼ならゴメンだぜ」
手を振るアルトに、エイダはそうじゃないと首を左右に動かす。
「別に暗殺を企てているわけじゃないし、これは最悪の事態を想定した話。要するに私達は身内から出るかもしれない不始末を、内々で解決したいの」
「な、なるほど。そういう訳ですか」
最初に納得したのはプリシア。流石はギルドマスターの孫であり、実務の一旦を担っているだけあって、ギルドの事柄に関しては理解が誰よりも早い。
ギルドを運営するには所属する国家の許可が必要となる。余程の事情が無い限り、国がギルドの運営ややり方に口を挟む事は無いが、組織として国が認可し、そして認可される立場にあるが故、どうしても果たさなければならない義務が生じる。
「関わっている犯罪の規模にもよりますが、クエスト中に法に抵触する組織、存在、出来事に遭遇した場合、ギルドにはそれを国に報告する義務があります。ましてやウィンチェスター家は他国の商家な上、国を行き来する行商ですから最悪の場合、国から国へ注意勧告がされる可能性もあります」
「そうなれば当家は終わりよ。だから最悪の事態になる前に、兄の身柄を見つけだしたいの」
「万が一の場合、捕まえてどうする気だ。殺すのか?」
「まさか」
驚くよう目を見開いたが、それが少々ワザとらしく感じ取れた。
「当家はしがない商家、マフィアや犯罪組織とは違うわ。兄がよからぬ事に手を染めていた場合は縁切りした上で、法の名の下、厳粛な処罰を受けて貰う事になるでしょう」
当主の座を剥奪して縁故を切り、無関係な人間として扱えば家名は傷付かず、商家としての信頼は一応保てる。一般的な感覚で言えばどっちでも同じと思えるが、名誉と名声を重んじる上流階級にとっては、その手順こそが最も尊重されるのだろう。
どちらにせよ、アルトには縁遠い話だ。
「ご理解いただけたかしら?」
伝えるべきことは全て伝えたとばかりに、エイダは背もたれに身体を預けてスラリと伸びた足を組む。
この終始余裕を崩さない態度は、どうにも気に入らない。
その思いから素直に頷けず、アルトは睨みつける視線に力を込めた。
「はい、お次は焼き菓子ね。マカロンにワッフルにマドレーヌ、ガトー・バスクなんかもあるわよ」
空気を読まず三度、カトレアが大量の皿を持って現れた。
流石に今度は無視し切れなくなったのか、エイダは微笑を浮かべていた表情を初めて崩して、困り顔でチラッと素知らぬ表情で皿を並べ始めるカトレアを見てから、視線をアルトへと戻す。
「ねぇ。どうして注文もしていないスイーツが、大量に運ばれてくるのかしら?」
「うちの店長が今、スイーツ作りに凝ってるのよ。んで、その試作品を作ってる最中なの」
「試作品……確かに、美味しいけれど」
テーブル一杯に並んだ色鮮やかなスイーツ類は、甘いモノが大好きな人間には天国のような光景だろう。しかし、ある程度の年齢に達した大人は、美味しいや好物というだけで美味しい物を大量に摂取する事が躊躇われる。
特に女性ならば、安易な欲望は醜い脂肪を招く羽目になる。食べても食べても太らないのは若さ故か、それとも大食いの体質からなのか。
「……むぐ?」
先ほどから一心不乱にスイーツを貪り、一言も言葉を発しない頭脳労働担当のロザリンは、口元をクリームで汚しながら、何処か羨ましげな目線を送るエイダを見返した。
★☆★☆★☆
「それで、結局は引き受けちゃったのかい?」
スイーツを大量生産して満足したランドルフは、ちょうどかざはな亭を後にしたエイダと入れ替わるようにアルト達が座るテーブルに腰を下ろす。
依頼の経緯と引き受けた事を告げると、ランドルフは呆れたような顔付きになる。
「どう考えても怪しいじゃないか。絶対に面倒事になると思うけどな、僕は」
「ですです。勤勉な判断なんて兄様らしくないのに、なぜ引き受けちゃったんですか?」
「そうそう。怠惰で怠け者なアルトらしくもない」
「……お前らが普段、俺をどう思ってるのかよく理解できたよ」
一睨みするとランドルフは苦笑し、プリシアはペロッとイタズラっぽく舌を見せた。
「ま、言われても仕方がないんじゃない。探せばマシな仕事は色々あるのに、ジュゼッペさんに頼まれたからってあんな怪しい人の依頼を受けるなんて」
空いた食器を片付けながら、カトレアはアルトにジト目を向ける。
「まさか、あの女の人の色香に惑わされたんじゃないでしょうね?」
「色気、ねぇ」
嫉妬交じりの皮肉に対して、気掛かりがあるアルトはエイダの所作を思い起こす。
「中々に、エキゾチックなお色気の持ち主でしたよね。あれが大人の女の人なんだなぁって、感心してしまいました」
「確かにお行儀は良かったわね。お茶の飲み方も上品だったし、ちゃんと作法を学んだ人の嗜み方ね」
「へぇ、そうなんだ。僕はずっと厨房にいたから遠目からしか見なかったけど、美人で上品な淑女だったんなら、ご挨拶の一つもするべきだったなぁ」
「……おば様に言い付けるわよ」
「そいつは勘弁」
カトレアにツッコまれ、ランドルフは慌てて口を噤む。
皆の意見はエイダに対して否定的なモノが多い。アルトは顎を一撫でしてから、ここまで一言も発さず目の前のスイーツを無心で食べ続けるロザリンに視線を移した。
「んで、うちの頭脳労働担当のご意見は?」
「あやしい」
間を空けず答えてから、ロザリンは大きく口を空けてシュークリームを丸ごと放り込む。
むしゃむしゃと咀嚼し温くなった紅茶で、胃の中に流し込んでからようやく、ロザリンは満足げな息を吐いた。
「あの人は嘘をついてる」
迷いなくそう指摘するが、口元には生クリームがべっとりとついている。
花も恥じらう女の子にあるまじき姿に、プリシアはハンカチを取り出して立ち上がった。
「ああ、もう。だらしない……ほら、ロザリン。こっちを向きなさい」
「むぐ」
「嘘ってのは何処から何処までだ?」
ハンカチで口元の生クリームを拭って貰ってから。
「全部が嘘、とは、言わないけど、少なくとも、本音は一つも、無いと、思う」
「そいつの根拠はなんだ?」
「答えが、流暢すぎる。多分、問答を想定、してた」
「それは、まぁ……でも、穿ち過ぎじゃないかしら?」
ロザリンの推測に、プリシアが疑問を投げかける。
「あの人が怪しいのは同意。でも、あくまでそれは推測よ。ギルドに頼りたくない理由、ご家族を探している理由共に、疑問と呼べるほどの辻褄の合わなさは無いわ」
「話の筋が、通ってるか、通ってないかじゃ、無く、直観的な問題。会話や説明が、流暢でも、話の区切りがつくまで、大量のスイーツに、説明を求めなかったり、それまで、行儀が良かったのに、最後の瞬間だけ、足を組んだり、その所作に、内面の不安や、焦りが滲み出ていた」
「ナンセンスだわ」
尚も推測に基づく推理を続けるロザリンに、負けじとプリシアも言い返す。
「心理は動作に現れると言うけど、それはあくまで参考レベルの話。行動の指針にするには根拠薄弱と言わざる得ないわ」
「限られた材料で、判断していかなきゃ、いけないなら、相手の心理状況にも、視野を広げるべき。行動の指針に、明確さを求めるのは、動きの愚鈍さを招く」
「それは否定しないけど、勘や直感を重視しすぎる傾向がロザリンにはあると思うの」
「勘や直感は、人の経験によって、養われる。思い付きや、あてずっぽうとは違う」
互いに向かい合うロザリンとプリシアは、徐々にヒートアップしていく。
「違うとか違わないの話なんてしてません!」
「私も、してない。変に、突っかかってるのは、プリシアの方」
「ロザリンがいちいち言い返してくるからでしょ! 大体、貴女は学校でもそう。空気を読まない態度の所為で、私がどれだけ苦労しているか……!」
「プリシアは、委員長気質。悪いとは、言わないけど、一から十まで、指図されるのは、正直面倒」
「誰の為を思って言ってると思うのよ!」
「別に、頼んでない」
言い合いは話題が逸れ、普通に口喧嘩が始まってしまう。
大人組はぎゃーぎゃーと賑やかな少女達の喧嘩に、苦笑しながらも何処か微笑ましそうに目を細めた。
「若いって、いいわね」
「いや、お前もそう変わらんだろ」
枠組み的には同じ十代のカトレアにツッコミを入れてから、テーブルを拳でコンコンと叩いて注意をこっちに向かせる。
「話はわかった。あの女が怪しいのも、何かを隠してるのも同感だ。だがしかし、俺には避けようの無い一つの重大な問題がある」
「何が問題なのよ?」
「金が無い」
皆のため息が重なる。
「剣はジュゼッペの爺さんに預けちまったしな、どちらにしろ俺に選択権はない」
「あの、兄様。差し出がましいですが、どうしても気が乗らないのなら、ギルドの方でお金の御用立ても出来ますが……」
「んなおっかないマネできるか。ま、天使騒動から戻ってきて以来、ちょうとばかり俺も怠けすぎた。ちょっとは気合、入れ直さないとな」
「アル。依頼、受けるの?」
小首を傾げるロザリンに、「ああ」と肯定して頷く。
「人間ってのは毎日毎日、甘いモノばかりを食ってられないしな」
「おや、僕のスイーツはご不満かい?」
「肉が一番って話だよ」
やはり男子ならば糖より脂の方が好ましい。
明日の食卓を少し豪勢にする為、アルトはエイダからの依頼を受ける事に決めた。