不思議な猫――作 黄色い金糸雀
「こんにちはー、お手紙でーす」
老婦人に手紙を渡すと、タック素早くその場を後にした。今日は配達物が多い。あまりにのんびりしていると全部配りきれない。
タックは手早く配達のリストを確認すると、近くの路地裏に飛び込んだ。
この街は小路地で複雑に入り組んでいる。複雑な小道はそれを知る青年にとっては、大きな助けとなっている。通りを利用するより人が少ないく、早く移動できるのだ。タックは路地裏を駆けた。
路地裏には人の姿はない。野良猫や野良犬などの動物や、カラスがゴミや食べ残しをつついている。
同じ配達屋でも路地裏を使うものはそこまで多くない。ほかから来てこの街に詳しくないもの、醜悪な環境を嫌って利用しないものもいる。
慣れた道を進んでいると、ふとタックは何かの違和感の感じて足を止めた。その正体を探ろうと、周りを見渡すと、その原因がわかった。
(いつもより猫が多い?)
このあたりでは、猫は少ない。見つけても一匹、二匹が限度だが今日はなぜか猫が道のあちこちに、たむろしていた。
その光景がタックには奇妙なものに見えた。まるで何かが起こることの予兆のように。
その時、猫が一匹タックの元に来た。そして無知をあざ笑うように彼を見つめた。恐怖で後ずさりそうになるのをタックはなんとかこらえた。
(考え過ぎか……)
タックは一つ頭を振ってその考えを払拭した。そして猫たちを見ずに一気に路地を駆け抜けた。
「ただいまー」
夜遅く、タックが仕事を終えて帰ると、猫一匹だけが迎えた。一人暮らしの小さなマンションの一室、そこに置かれた小さなソファーを陣取っていつものように寝ている。変わらない灰色の猫――ウィーネを見てタックは内心ほっとした。
(あの集団は偶然だな)
タックはそう結論づけ昼間の光景を考えないことにした。
遅めの夕食の用意をし、タックが食べていると、何やらごそごそと音が聞こえた。その方向を見ると、ウィーネがごそごそと起き出しているところだった。ウィーネはソファーから下りて、タックの隣りに来ると、ニーニー、と可愛らしい鳴き声でご飯を要求してきた。いつもウィーネはご飯の匂いに惹きつけられて起きてくるのだ。タックは食べていた魚を少し分けてやった。
翌日起きると、ウィーネがいなくなっていた。
だいたいは外に出ない、インドア派の猫だ。それなのに今日は、その姿が見えない。
タックの頭に昨日の路地裏の猫が浮かんできた。彼らが今のウィーネ失踪を伝えていたのだろうか、と思った。
タックは外に飛び出した。そして街中を走り回ってウィーネを探した。猫は多く見かけるも、ウィーネを見つけることはできない。
ヘトヘトになって諦めかけていると、見慣れた灰色の毛並みが目に入ってきた。あっという間もなく、その毛玉は路地裏へ入ってしまった。
タックは慌てて路地裏に入ると、そこで先ほどの物を探した。しかしそこにはウィーネの姿はおろか、猫一匹として見つけることはなかった。
路地はこの先も続いている。少し薄暗くなった道を前に、タックは立ち尽くしていた。
(これ以上はだめだ……)
いくらこの街で生まれ、育ったと言っても全ての路地裏を把握できていない。タックのような人物でも奥の方に行き過ぎると、わからなくなって迷ってしまう。
だが、この先にウィーネがいるかもしれない。もしかしたら帰れずに迷っていて――。
タックは一つ覚悟を決めると奥へと一歩踏み出した。
路地裏の奥には魔女が住んでいて入ってきたものを迷わせている、など迷信が昔から言われている。タックは奥に進みながらあながち間違いでもないのではないか、と思い始めていた。
この街は建物を建てることによって発展していった。
古くなった建物を放置し、その外側に新たな建物を建てていった。それが何度も繰り返され、今の街の形になっている。大通りを外れた小さな入り組んだ路地を正しく辿っていくと、奥に近づくほど建物が古くなる。
進み始めてすぐにはちらほらと生活感が見られたが、どんどんそれは少なくなっていき、今や辺りは古くなった家の亡骸が見られるだけだ。周囲の空気に思わず顔をしかめた。
と、その時薄闇のなかで何かが動いた。ウィーネかもしれない――タックは急いでそこに行くと突然若い男の声が聞こえてきた。
「ここまで来てしまったか、マスター」
しかしそこには人間はいなかった。いたのはタックの飼い猫――ウィーネだった。彼は周りを見回した。そしてウィーネに視線を戻した。
灰色の見知ったその猫は後ろ足だけで立っていた。そして、
「ここまでご苦労でした。しかし私はケット・シーになる。もう貴方のもとへは帰れない」
その猫は人の言葉を話していた。タックは驚いて目の前の猫をまじまじと見つめていた。知ってか知らずか、灰色の猫は続ける。
「先代ケット・シーが死んでしまったのだ。そしてここ数日ケット・シーの使いの猫達が次代にふさわしい猫を探していた。そして私が選ばれたのだ」
ウィーネはそこで一旦言葉を切った。
「ケット・シーとなればこの奥に住み、もう貴方に会うこともできません。これでお別れです。さようなら、マスター」
そこからどう帰ったかをタックは覚えていなかった。ただ目の前で起こったことを受けいられずに、ふらふらと歩いているといつの間にか家の前に着いていた。だが、家に入っても彼を迎えてくれる者はなかった。
そしてそれ以降、彼の灰色の猫は一度も帰ってこなかった。




