33話 落涙
「その子を離せ! 関係ないだろ!」
僕が血相を変えて叫ぶと逆にボルゾフは意地汚く笑った。
「はははっ! こいつは貴様のガキか!ならば言う通りにしろ! お前達全員武器を置くんだ」
その声を聞いたトゥーパイ村の面々に緊張が走った。
「おい、あの娘は確か客人の」
「確かそうだ、ファラちゃんって言ったか」
「恩人の娘さんが捕らわれておるんだ、ここは言う通りにする他あるまい」
「村長……」
鶴の一声で村の男達は、各々手にしていた獲物を手放した。
「へっへっへ、それでいいんだ。アニキが死んだ時はヤベェと思ったが、こうなりゃこっちのもんだ」
「さっきまでの礼をしなきゃなぁ!」
くそっ状況は最悪だ! このままでは確実に犠牲が出る。僕が、僕が何とかしないと。
でもどうすればいい? スキル効果はもう切れた。あいつの前には3人の護衛が立ちはだかっている。これを突破して逆転するにはどうすればいいんだ。
悩める時間は僅かも残されていない。しかし下手には動けない。僕は冷や汗を流しながら立ち尽くす事しか出来なかった。
「お兄ちゃん、こいつらって悪いやつ?」
思い惑い、奥歯を噛みしめている時、ふとそんな声が聞こえた。
「あ……あぁ、そうだね」
「ふ~ん分かった」
ファラのこぼした何気ないその一言が、ひどく僕の心を騒がせた。
「いてて! 噛みつきやがった!」
「げぇ、マズい血。吸うんじゃなかった」
「こらガキ! 大人しくしてろ!」
「ヤダ」
ボルゾフの手から逃れたファラを捕まえようとした3人は、慌てて手を伸ばしたが虚しく空を切り、逆に彼女からの蹴りを膝や脛に受けて苦しそうに顔を歪めた。
「あ、あれ? 攻撃が効いてるぞ」
『ファーラの血統スキル魔王の血の効果により、脆弱な魔法障壁を貫通します』
バングルを付けていてもスキル効果は生きてるのか! それでもレベルに差があるはずなんだけど、生まれ持っての格闘センスなんだろうか、匠に攻撃を躱して、あっという間に無力化してしまった。
その場に居た者達は皆、信じられないと言った面持ちで呆然と立ち尽くしていた。全員が目の前で行われた現象を受け入れるのには、時間がかかりそうだ。
そんな僕等を尻目にやがてファラは奴の落とした短剣を拾うと、尻餅をついて慌てふためいているボルゾフ自身に突き付けた。
「ひ、ひぃぃぃ! 頼む、助けてくれ! わ、私が悪かった。かかかっ金なら」
「うるさい」
「ギャァアアアアアアア!」
ファラは突き出された商人の右手を浅く切った。大した傷ではないはずだが、大げさに痛がる太った男の絶叫を聞いて、やっと僕の思考が戻ってきた。
「お前汚い。見た目も、声も、血も、みんな汚い。気持ち悪い」
「な、何を言って!」
「だから死ね」
迷いなくファラは煌めく太陽の下、その白刃を高々と振り上げた。獰猛な虎の様に立て細くなった瞳は真紅に輝き、視線は標的を射抜く。最早ボルゾフは蛇に睨まれたカエルだ。動こうにも身動ぎ一つ出来ないに違いない。
やがて必殺の刃が醜い商人の身体に突き立てられようとしたその時。
短刀は途中で止まった。
僕が走り寄って、その小さな身体を後ろから抱きしめたからだ。
「駄目だよファラ。子どもがそんな、死ねとか言っちゃ駄目だよ。君はまだ小さいんだから、友達と遊んだりとか……もっと楽しい思い出を一杯作るべきなんだ。だからこんな事は大人に任せておけば良いんだ。人殺しなんて、知らなくて良いんだよファラ」
言葉が喉につかえ涙が独りでに頬を伝う。僕はいつの間にか泣いていた。みんなの前で恥ずかしいとか、そんなのは全然関係なかった。ただファラの事だけを考えていた。
「な、なんだ?」
「旦那! よく分からねぇが、今の内ですぜ!」
「お、おお!」
へたり込んでいるボルゾフの脇を抱える様にして、生き残った来訪者達は村から逃げ去った。後の報復を考えて追撃するべきだと主張する人も居たけれど、その案は見送られた。奴らが逃げた先はあの森だ。恐らく誰も生きては出られないだろう。暫く経った後、遠くから断末魔の悲鳴が聞こえて来た。
周りがそんな風になっている事も気付かずに僕は、今もってファラを抱きしめて震えていた。でも頬に冷たい感触を感じて、目を開いたんだ。
するとファラは、僕の流す涙を小さな舌を動かしてすくい取り、嘗めてくれていた。多分彼女なりの慰めなんだろう。
「泣かないでお兄ちゃん。ファラは人間がキライ。魔族もキライ。みんなキライ。でも兄ちゃんは好き」
「お兄ちゃんだけ。家族になろうって言ってくれたのは。だから泣かないで。お兄ちゃんが悲しいとファラも悲しい……にゃかないで」
僕を励ます少女の瞳に大粒の涙が浮かんだ。もう一度彼女の身体を強く抱きしめる。
「分かったよ、もう泣かないから。大丈夫だからファラも泣かないで」
「ファラは泣いてないよ?」
「ふふふ、泣いてるよ。ほら、涙」
僕が透き通った頬に流れる小さな滴を拭ってあげると、うちの子は少々ムキになったようで。
「泣いてないの!」
ぷいっと向こうを向いてご機嫌斜めになってしまわれた。でも僕の側を離れようとしない所がいじましい。
「善宏殿」
呼びかけられて気が付くと、僕等の周りにトゥーパイ村の皆さんが集まっていた。
「この村を2度も救って頂き、誠にありがとうござった」
粛々と頭を下げる村長さんに続いて、ジョーさんやリンス。村のみんなが口を開いた。
「お陰で助かったぜ客人!」
「ありがとうございます、お兄さん!」
「お前さんが居てくれて本当に良かった!」
「ありがとう!」
みんな口々にお礼を言ってくれた。僕達だけかと思ってたらなんだ、みんな泣いてる。
「そうだファラ、こんな時なんて言えば良いか知ってる?」
「うぅん」
ふるふると頭を振るうちの子。微かに揺れるピンクの髪が陽光を照り返して綺麗だ。
「どう致しましてって言うんだよ」
「どう、いたしまして?」
「うん、そうそう。みんなに言ってごらん」
「ん。どーいたまして!」
自信満々に言い放つファラの頭を、ちょっと違うんだよなぁと思いながらも撫でてあげた。でもそのお陰で村のみんなに笑顔が戻ってきたから良しとしよう。方々から笑い声が聞こえて来る。
「さぁ皆さん、まずは急いで薬を配って下さい。怪我をした人には治療を。村長さん、宜しくお願いします」
「お……おぉその通りじゃ! こうしちゃおれん! 善宏殿。このお礼はまた後で」
「いやお構いなく。早く困っている人を助けてあげて下さい」
「お兄さん!」
急にリンスが抱きついてきた。頬にふんわりとしたリス耳が当たって心地良い。
「ご、ご免なさい! あ、あの私、嬉しくて!」
「平気だよ。君は大丈夫だった?」
「あっ、はい! みんなお兄さんのお陰です!」
「そんな事はないよ。あの時リンスが僕達の所にまで来なかったら、こうはならなかったさ。でももうあんな危ない事はしちゃ駄目だよ」
「はい!」
「ファラも頑張った!」
「そうだね、偉い偉い」
「うん、ファラちゃんもありがとう!」
ファラはリンスに抱きつかれ、どうしたら良いか分からない様な顔で僕を見た。でも困りながらも嬉しそうにしている様子を見て、僕は束の間ほのぼのとした気持ちになった。
そしてトゥーパイ村は今朝の喧噪を取り戻した。外泊期限の事もあるし、このままここに居座るのも悪いかなと思い、ひっそりと僕達は村を後にした。
森の手前で振り返ると、遠目にも賑やかで心なしか華やいで見える様だった。
まだまだ割り切れない所や躊躇う事が多いけれど、取り合えず今回の騒動は幕を下ろした訳だ。
「行こうファラ」
「うん、お兄ちゃん」
不器用に繋いでこようとする左手を右手で迎えてやり、2人仲良く昨日来た道を戻った。
さぁ、あの小さな家に帰ろう。