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32話 介入




「なんだ? お前」


 這いつくばる僕を引きつった顔で見下ろすボルゾフ。血の喧噪に酔っていたトゥーパイ村が一瞬静かになった。


 悔しさに歯を噛みしめると、苦い砂の味がした。


 何をやってるんだ僕は、格好付けて飛び出したあげくがこの様かよ。


 無力さや恥ずかしさや虚しさ、色んな感情が瞬時に心をかき混ぜて、知らぬ間に瞼が熱を持った。しかし顔を上げて霞む視界に映るものは。そんな感傷を吹き飛ばす一撃だった。




 さっきまで顔面があった場所に、鈍い音を立てて大ぶりのメイスが振り下ろされていたんだ。すんでの所でそれを避けた僕は慌てて飛び起きる。しかしとっさの事に良く反応できたもんだ、社畜時代には出来なかった芸当だな。


 ここ最近あった濃密な出来事の連続で、危機感への順応性が高まっていると感じる。ハゲた親父が今まさに僕を殺そうとしているこんな状況で、そう思えるんだから。


「ちっ! 運の良いガキだ」


「ガキじゃないよ。ただちょっとアンタより髪の毛があるだけさ」


「てめぇ……人が気にしてる事をよくも、よくも言ってくれたなぁ!」




 言われっぱなしだと萎縮するから言い返したんだけど、どうやらそれが良くなかったらしい。目の前の中年男は茹で蛸の様に頭を真っ赤にして怒り、猛然と斬り掛かって来た。僕はそれを手放さず持っていた鮪切り包丁正兼で、必死に受け流す。



 相手の方が力は上だけどまったく敵わない訳じゃない。鉄塊の重い攻撃に正兼は良く耐えてくれている。


「くそ! 何だその武器は! 葉っぱみてぇに薄いくせに、びくともしやがらねぇぜ!」


 普通包丁の腹の部分、刀身で攻撃を受ければ、ぱっきり2つに折れてしまうだろう。しかしそこは信頼と安心の異世界通販ブランド。謎の鉱物を使用してある包丁とは名ばかりのこいつにかかれば、こんな攻撃はものともしない。だけど。


「せいっ!」


「ぐっ!」


 まずい事に段々と手がシビれてきた。使う獲物は丈夫でも、使う側の僕がポンコツならば意味がない。


 スキル付与をして、このハゲ親父の攻撃をいなすのがやっとだったけど、早々に限界が近づいている。認めたくはないが、細かいフェイントや体捌きなんかが明らかに慣れているし、ペース配分や持久力がまるで違う。悔しいけどこれが経験の差なのかと肌で実感する。ゴブリン戦とは違うやりにくさがあった。


 そして躊躇わず放った即死性の一撃が、人殺しを厭わない性格の持ち主だという事を物語っていた。


「お前は、お前等は何のためにこんな事をするんだ! 恥ずかしくないのか!」


 苦し紛れに僕がそう叫ぶと、不意に攻撃の手が止まった。そして信じられないような物を見る顔でこっちを見た後、一気に醜悪な顔付きになる。


「は、はは。こいつは驚いた。おいお前等聞いたかよ。なんのために、だってよ!」


「ぎゃはははは! 馬鹿じゃねぇの!」


「ぐはははは!」


 村中に下卑た笑い声がこだました。獣人さん達と僕は、固まったまま腹を抱えて笑っている襲撃者達を見た。それしか出来なかった。


「そんなの決まってんじゃねぇか、自分のためにだよ。そうじゃない奴がこの世の中に居るか? みんな自分が可愛いのさ!」


「だ、だからって他人から奪わなくてもいいだろっ!」


「他人?」


 僕が食ってかかると、険しい顔つきで男はそう言った。


「この村のどこに人間が居るんだ、あぁん? 居るのは獣臭ぇ人間もどきだろうが!」


「っ! お、お前っ!」


「あぁそう言えば貴様が居たな。ふむ。まぁ見てくれは人間に近い様だが、その黒い目と髪は見た事がないな」


「アニキ、そういや東の方に冬でも上着を着ない蛮族の国があるそうで、そこの奴らが確かこんな風だって聞きましたぜ」


「何? 服を着ないだって? そいつはお笑いだ! そんなのもう人間じゃねぇよな! 畜生だよ畜生!」


「違げぇねぇ! わはははは!」


「まぁでも人間には違いない訳だ。ならよ、さっきみたいに這いつくばって命乞いしな! そうすりゃお前だけは助けてやるからよぉ!」


「村の、村のみんなはどうなる?」


「そんなもん、男も女も奴隷に決まってんじゃねぇか! もっとも顔のマシな奴は性奴隷だがなぁ。おい知ってるか? 都の変態貴族共には、子どもの獣人が良く売れるんだぜ? まったく金持ちの考える事は全然わかりやしねぇ!」



 僕を見てあざ笑う声が響き渡る。自然と村中の視線が自分に集まるのを感じた。


「そうか、僕だけは見逃してくれるのか。こんな所で命を奪われるよりは……」


 僕は包丁を手放して膝を折った。すると微かに呻く様な唸る様な声が、各所から漏れ聞こえてくる。俯いているから分からないけど、きっと長老さんやジョーさん、村のみんなは苦々しい顔をしている事だろう。



 それでも――





「はははっ! いいぜ、やっと素直になりやがった! 結局テメェも」


 相手が冗漫な長台詞を語り出したのを確認してから瞬時に正兼を拾った僕は、脳裏に思い描いた通りの軌跡を辿って獲物の切っ先を運んだ。


 刹那に咲いた鮮血の華。鮪切り包丁正兼は深々と脇腹に突き刺さり、血に塗れた柄を手放すと、腰から脇差し代わりに用意しておいた柳刃包丁、関ノ左近を鞘から抜き放って心臓部分に突き立てた。



「て、てめ、え。ひきょ……ぜ」


 ゴポリと口から大量の血を吐き出して、敵対者である禿げたオッサンは大地に倒れた。魔法がある世界だからと暫く注意して見るも、動き出す様子はない。奇襲に成功したんだ。


「ジョーさんこれを使って! こいつならそいつ等の魔法障壁を切り裂ける!」


 僕は正兼を死体から勢いよく引き抜いて、放り投げた。


「おわっ! アブねぇ! でもこれで助かった! お前等見とけよ、反撃開始だ!」



 ジョーさんの手前で大地に突き刺さった我が愛刀は、引き抜かれるや否や、眼前の敵を切り裂いた。彼も本格的に剣術なんて習ってはないだろうけど、それでも僕なんかよりよっぽど様になっている。任せて正解だ。


「他のみんなは無理をしないで持久戦に持ち込むんだ! あと効果範囲が薄い場所があるからそこを狙って! 奴らの魔法は無敵じゃない!」




 僕はルーシーから伝え聞いた情報を思いっきり叫んだ、すると湧き上がる雄叫び。いや、遠吠えか? 兎に角度肝を抜く様な大音量、地響きが村中に響いたんだ。




「分かったぜ客人! そうすりゃ戦いようはあるな!」


「止めは俺が刺す! みんなは敵を引きつけてくれ!」


「おう、ジョー! 任せとけ!」


「お前ばっかり良い格好すんなって!」


 襲撃者はまだ18人ほど居るけれど、士気で言えばこちらが圧倒的に上だ。おまけに弱点まで明かされたとあって、商人側も狼狽えている。


「なっ! 何故アミュレットの秘密がバレてるんだ!」


「くそっ! こいつ等、急に調子づきやがって!」


「お前達高い金を払ってるんだ! わ、私を守れ!」




 再び喧噪に包まれた広場の中で、僕だけが青い顔で沈黙していた。




 遂にやった。やってしまった。


 文化レベルの低い異世界なんて所に来てしまったら、少なからず巻き込まれるだろうと思っていた人間同士の争いに案の定巻き込まれ、そのあげくに犯してしまった。


 人殺しという罪を。


 日本で暮らしていた頃、歴史小説なんかで英雄達が獅子奮迅の戦いを繰り広げているのに憧れ、羨ましく思った事もあったけど。平和な国に生まれ育った身としては現実感がなく、ファンタジーの様に捉えていたのかも知れない。


 モンスターとは違う人間を殺めたという事実が酷く僕の心中を捉え、苛む。


 諏訪善宏として生きてきて、特に良い事もしてこなかったけれど、悪い事もしてないのが自慢だった。でも今度の件はそうとも言えないだろう。村を救うためとはいえ、明確な意思をもって相手を殺害したんだ。


 手に残っているのは刃を突き立てた時の感触。


 嘘の様に抵抗がなかった。不思議な力で強化されている包丁は豆腐を切る様に容易く胴体に突き刺さり、その命を奪った。その後の追撃にしてもそうだ。


 まだ何かしらの抵抗があった方が、この罪悪感から逃れられた様に思う。


 それほどに簡単だった。


 朝起きたらトイレに行き、顔を洗って髭を剃る。普段自分がしている日常行動とさして変わらぬ程の安易さで、攻撃が成功してしまったんだ。





 足下で倒れて血まみれになっている息絶えた男の姿を見て、えもいわれぬ肌寒さを感じる。これは現実なのかと考えるけど間違いない、これが現実だ。


 水滸伝の好漢、行者武松や黒旋風李逵ならば気にもしないんだろうけれど、自分の場合そうはいかないんだ。この衝撃をどう考えて乗り越えるべきなのか、全く分からない。




 僕は冷や汗を流したまま、固まっていた。


「善宏様! しっかりして下さい!」


 ポケットからルーシーの叫ぶ声がする。そう言えば前にもこんな事があったっけ。


 幸いにも僕に向かってくる襲撃者はいないけど、それでも戦場で立ち尽くしているのは自殺行為に等しい事だ。


 それは分かっている、分かっているけど動けないんだ。


 声の出し方を忘れ、身体の動かし方も忘れてしまった。ただ案山子の様にここで立ち尽くすしか術がない。きっと今誰かに攻撃されれば、ひとたまりもないだろう。


 耳には叫び続けるルーシーの声が聞こえる。声は聞こえているんだけど、自分にもどうにも出来ないんだ。






「お、お前達そこまでだ! これが見えないのか!」


 例の商人が突然叫んだ。僕は硬直していない眼球を僅かに動かしてそれを見た。


「こ、このガキの命が惜しければ、大人しくしろ!」


 ボルゾフが後ろから少女の肩を掴み、首元に短刀を当てている姿がそこにあった。起きたばかりの様で、眠たげに目を擦っている。


「ファラ!」


 声を失った様に思えた喉から突然声が出た。





「あ、お兄ちゃん、こんなトコにいたぁ」




 霞む目を瞬かせながら、彼女は小さく欠伸をした。

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