30話 陽徳と陰徳
その日は朝から慌ただしかった。村の喧噪を端で聞きながら、一緒にベッドに横になってまどろむファラのしなやかな髪を撫でていた。
自分達だけがゆっくりしていて、何だか申し訳ない気がするけれど、この子が完全に眠るまではこうさせてもらおう。
ファラが眠る前に席を立つと怒るんだよな、最近それを学習した。
「すぅ、すぅ……」
微かな寝息が聞こえて来た。あんまり美味くないなんて言っておきながら、二人前分くらいは余裕で食べてたからな、お腹一杯になってまた眠くなったんだろう。
無垢で幸せそうな寝顔を見ていると、こっちまで幸せな気分になれるのは子供の持つ魔力なんだろうか。あのキノコで薬も無事に出来たみたいだし、言う事ないな。
そりゃあ正直言って、徳分ポイントは欲しい。この閒異世界通販カタログの中に、某有名家系ラーメンのこってり味を見つけた時は発狂するかと思った。あのドロドロ煮詰まった鶏ガラ白湯ラーメンを800ポイントで再び楽しめるかと思えば、涎が止まらない。じゅる。
でもそんな妄想は宇宙墓場に置いといて、やり遂げた感があるのは素晴らしい事だと思う。
ゲームプログラマーな日々は散々なものだったけど、みんなで一つのゲームを作った後にそれが発売され、店頭に並んで多くの人達を楽しませている事に、かつての僕は醍醐味を感じていた。
裏方仕事も好きだけど、やっぱり直接人の役に立つ仕事ってのはやりがいがあるな。
そういえば、今ポイントってどうなっているんだろう? 僕はごそごそとスマホを取り出して確かめてみた。ファラが寝てるからマナーモードだ。
クエスト トゥーパイ村を救え! 1 をクリアしました
報奨として 32000ポイントが付与されます
ご利用は計画的に
何だクエストって。それにアコギな消費者金融会社みたいな煽りは止めろと言いたい。どうせ中の人はルーシーなんだろ。分かってるぞ。
それにしてもリンス1人を助けたのが12000ポイントで、正確な患者数は分からないけど村全体を助けたポイントが32000か。なんかちょっと少なくないか? いや、セコい様だけども。
善宏様は今、苦労した割りにポイントが少なくないか? ゴラァ! と、思いましたね?
スマホのディスプレイには、そう表示されていた。
「そんな口調ではないけど、有り体に言えばそうね」
スマホに小声で話しかける。ふとファラをチラ見すると、口を半開きにしたまま寝返りを打っていた。かわええ。
ポイントが少ないのは、今回の行為は陽徳の割合が大きいからです
「ん? 陽徳って何?」
陽徳とは簡単に言えば、認められる努力です
例えばある人が、進んで街道に橋をかけたとしましょう。その橋が出来る事で、多くの人々が感謝をします
しかし、橋にはかけた人物の名前が掲げられていたとしましょう。この場合、確かに交通の便が良くなった事によって人々は幸せになり、徳分が発生しますが、その功績は人々に広く認められる事になります
「別に良い事なんだから、認められたっていいじゃん」
確かに現世においてはその通りですが、天の法則からすればその限りではありません
人に認められる努力は人によって報われます。ですから徳分ポイントに反映される割合が少ないのです
具体的には、善宏様は今後この村で理解を得られ、活動する幅が広がり支持されるでしょう。そして名誉を称賛の立て替えとして、ポイントが減ります
「う~んそうだったのか、勉強になるなぁ。でもじゃあ人に認められない努力はどうなるの?」
僕がそう投げかけると、急にスマホは沈黙した。何の表記も示さない。もしかして何か悪い事を聞いちゃったのかな?
しかし僅かな沈黙の後、再びテキストが流れ出す。
分かりました、本来ならば私が説明するには憚られる内容ですが、特別にお教え致します
周りの誰にも知られず、人知れず積まれる善行や努力
それを称して陰徳と呼びます
文字通りそれは隠れた徳で、世の明るみに出るものではありません。しかし本来の意味で言えば徳の本質とはこの陰徳を指すのです
古来からシャーマンが世の平和を神に祈ったり、道行きに倒れた見ず知らずの貧者を助けた所で、現実的に大きく報いられるものではありません。しかし天の帳簿には明確に記されています
陰徳は特定の誰かに報いられたり称賛されない分、尊いのです
「確かにやたらと見返りを求めたり、自己顕示欲から来るのなんかはみっともないと思うけどさ。でも良い事してるのに誰からも感謝もされなければ報いてもくれないなら、陰徳は損じゃん」
そうではありません、神が報います
遅い早い、遠い近いの差こそあれ
必ず神は徳に報います
これはこの世界でも、善宏様の元居た世界でも同じ事
宇宙の真理です
その文字を見て、思考が一瞬静止した。
嘘だろそんなの。神様が僕に何かしてくれた事が今まであっただろうかと考える。いや、ないな。当たり前だ。中にはそんな人も居るのかも知れないけど、僕じゃない。全然関係の無い話だ。
でもじゃあ何で今、僕は震えているんだろう。
言いがたい感動が胸の内から湧き出して、とてもスマホを持っていられない程だ。
全身に鳥肌が立ち、目頭が熱くなる。
目に見えない大きな存在に、突然抱きしめられた様な感じだ。理由も無く涙が溢れて止まらない。
何なんだ。
一体この感情の高ぶりは何なんだ?
言いしれぬ感覚の波が僕を襲って、暫くうずくまっていた。それからスマホは何も表示しなくなり、僕もファラと一緒に寝そべって天井を見上げた。
落ち着いてから、漠然とさっきの話を考える。
とどのつまり、陰徳の方がポイントが増えるから良いって事だろな。そりゃラノベ好きだし、俺つえーからのきゃー勇者様ー! とか多少憧れるんだけど、名声とポイントのどっちを取るかと言われれば、俄然ポイントだ。
カタログのラインナップにやたら食べ物ばかり目に付くけれど、その他にもまだまだ欲しいものが沢山ある。本気か嘘か分からないけど、水洗トイレなんかもあった。獲得ポイント20万とか正気を疑う数値だったけど。
僕等の家でトイレはおまる式であり、溜まったらその都度くみ出して、外の肥溜めに捨てに行く。それはルパートさんの魔法により速攻で堆肥の材料となり、裏手にあるコビット農場の肥料となっている。お陰で今のところ異臭に悩まされた事は無い。
でもゴワゴワした葉っぱでお尻を拭くのは慣れないし、水洗トイレを愛用していた自分としては、余所ではともかく自宅には是非導入したいものだ。最もそれ以前に購入すべき大事な物がもっと他にある気がするけれど。
物欲に駆られて妄想をしていると、すっかりさっきの殊勝な気持ちがどこかに消えてしまった。ちなみのこの村のトイレは屋外に公衆便所があり、そこで用を足す。2階建ての木造建物で、1階部分が肥溜めになっており、近づくと中々に臭い。それを嫌って態々村の外でする人もいるそうだ。獣人さんは嗅覚が鋭いから今の時期は余計辛いらしい。
お尻を拭く物は葉っぱか石というから驚いた。葉っぱは家にもあったけど、石っていうのは違和感が凄い。
いやそれがこの時代の田舎では普通なんだろう。僕が合わせないとな。等と益体の無い事をつらつら考えていると、ドタバタと誰かが走ってくる音が聞こえて来た。かなり慌てているように思える。
突然ガチャッと音がして開いたドアの先には息を切らせたリンスがいた。僕はすでに起き上がっており、嫌な予感に鮪切り包丁をたぐり寄せていた、出来るだけ平静を装って声をかける。
「どうしたのリンス」
「お兄さん大変です! その、人間の人達が! 沢山!」
ちらりと手にしたスマホを見る、そこには。
緊急クエスト トゥーパイ村を救え! 2 が発生しました
とテキストが更新されていた。
僕はやっぱりトラブルに愛されているのかなと思いながら、手にした正兼を握りしめていた。




