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3話 気になるあの子


「誰もいない――のかな?」


 室内は穏やかな光に満ちた、優しい空間だった。簡素な室内にはテーブルや椅子等、必要とされる最低限の物以外は見当たらない。いずれも木製のアンティークっぽい感じだ。専門家じゃないから詳しくは分からないけれど。


 しずしずと歩みを進めて行く。レンガ造りのかまどがあったり、排気用の煙突があったりと、基本的な設備はあるみたいだな。階段が見えるから二階があるみたいだ、後で行ってみよう。


 そういえば、浴室やトイレなんかはないのかな? 僕はおもむろに足を進めて歩き始めた。あれ? そういや、さっきまで一緒にいた小人さん達がいない。い、いつの間に。


「ん……う~ん」


 なんだろうどこからか声がする。


 僕は一抹の不安を感じつつも、声のありかを探して屋内を見て回った。そしてあるドアに気が付いて立ち止まった。


 それはやはり木製の簡素な造りで、錆び付いたドアノブを何の気なしに開けて見た。



 するとそこには、小さな女の子が座っていた。



 いや、お尻を出して座っていたんだ!




 少女は振り向いて、唖然としている僕と目が合った。お互いに硬直して止まる時間。暫くして分かったことは、ここがトイレである事だ。


 見つめ合ったまま、二人とも身動ぎできない。


 次に目に入った長い桃色の髪は、先端に行くに従って薄くオレンジ色にグラデーションしていた。陶器の様に白い肌に、つぶらな金色の瞳。この娘は大きくなったら大変な美女になるだろうな。


 でもなんと言っても僕を驚かせたのは、その頭部にある乳白色の双角だ。まだ小さいながら、山羊の様に湾曲している。そして背中から生えているのは、同じく小さめのコウモリの様な紫の翼。腰からは黒く細長い猫の尻尾が見えた。


 これは俗に言う、悪魔っ娘……というやつなのか?


 なんてこった。やっぱりここは異世界なんだ。




「ごごご、ごめんなさい!」


 慌ててドアを閉め、深呼吸をする。一回、二回とする内にようやく落ち着いてきた。こめかみに右手をあてて考える。


 落ち着くんだ善宏、まだ慌てる時間じゃない。今の状況を整理してみよう。




 僕はシャノンさんに勧められて、ヨーロッパの片田舎みたいな異世界にやって来た。そこには妖精の様な小人さん達がいて、レンガの家に連れて来られた。そして家の中を見聞している時に、聞き慣れない声が聞こえて、近くにある扉を開けて見たところ、異形な女の子がしゃがんでいたと……



 ど、どうしたらいいんだろう。そういえば確か、シャノンさんは可哀想な女の子の面倒をみてあげて欲しいって言ってたな。それがあの子である可能性は大だ。


 しかし気まずい初対面をしちゃったな。トイレから出てきた時、なんて声をかければいいんだろう? こういう時に気の利いた台詞が言えるようならば、恐らく前世で年齢イコール童貞なんて事は無かった筈なんだろうけれど、そんなの無理だ。ここは大人しく謝ろう。誠意をもって謝れば、何とか分かってくれるはずだ。


 その時トイレのドアが微かな軋む音を立て、僅かに開いた。僕は謝るなら早い方が良いと思って、声をかけた。


「ごめん! 誰かいるとは思わ――」


 凄まじい勢いで吹き飛ぶ木戸。先程までトイレのドアの役割をしていたそれは、空中で勢いよく木っ端微塵になって、すでに原型を止めていない。


 僕はその光景を見て凍り付いた。


「誰だ……お前」


 そこには小さな右拳を握りしめた可愛い女の子が立ち尽くしていた。今の一撃はこの子がやったのか? なんて馬鹿力だ、とても人間業とは思えない!


 僕が唖然として、口をあんぐりと開けながら放心していると。彼女は目に見える様な闘気とでも言うべきオーラをたなびかせてのたまった。


「お前、覚悟は出来てるんだロウナ?」


 ゆらゆらと赤金色になった髪が逆立ち、焦る自分の心の中で、まさにこれが怒髪天を衝くってやつだな。なんて悠長な事を考えていた。


「いっいや、知らなかったんだトイレに人がいるなんて! 僕が悪かったよ、許して――」


「伏せなさい!」


 どこからか凜々しい声がして、言われるがままに身を伏せた。すると頭の上をものすごい勢いで何かが通過したのが分かった。瞬間、後ろの白い漆喰壁が吹き飛び、中の赤茶色レンガが姿を現した。


 僕の上半身程もあろうかという大きな穴が開き。冷や汗が頬を伝う。意識もしてないのに身体が震える。さっきとは違った恐怖という感情で身体が硬直してしまっている時、また先程の姿なき声がした。


「家の外なら安全です! 逃げるのです! 早く!」


 固まる身体を何とか動かして、急いで玄関を目指す。もう二本の足で走っているのかどうかもさえ分からない程に、焦りまくったけれど、あっちこっちに身体をぶつけつつも何とかエントランスに辿り着いた。


 やった! もうすぐ外に出れる! はやる心を落ち着けつつ、足を進めようとするも、もうちょっとのところで、全然足が動かなくなった。ゴクリと喉が鳴る。恐る恐る振り返ると、そこには地面に這いつくばり、僕の左足を握りしめた女の子。いや、鬼の姿があった。


「逃げるなァ!」


 ミリミリと音を立て、僕の左足を締め上げる。思わず悲鳴を上げる程の握力で、冗談や比喩じゃなくて、このまま足がねじ切れそうだ。早く何とかしないとマジで手遅れになる!


「い、痛い、痛いって! 僕に出来ることなら何でもするから、もう許してよ!」


 たまらずにそう叫ぶ。


「何でもする? じゃあ死ね!」


「ちょっと待って! 確かに僕が悪かったけど、殺される程じゃないよ!」


「ファラのお尻、見た。お前、死ぬべき」


 そう言って無情にも僕の足をまた締め付ける、すでに左の足首は紫色に染まっていた。


「あだだっ! ちょっ、ちょっと見えただけだって!」


「ちょっとで充分」


 5,6歳の女の子にしては低い声で少女は囁いた。もげるもげる、マジでもげる! このままではもし生き残れても、異世界転生物語~幼女に片足もがれました~が始まってしまう! そんなの嫌だ!


 でもそれより今は、ある事が気になっていた。僕は思いきって聞いてみる。


「そんなにお尻を見られたのが恥ずかしかったの?」


 質問に激高した少女が、赤い瞳で僕を睨んだ。確か最初は真っ白だった角が、今は真っ黒に染まって禍々しい。謎の変化が怖すぎる。


「当たり前ダロ! この変態ッ!」


 歯をむき出して威嚇された。その犬歯は、バンパイアの様に尖っていた。というか、バンパイアなのかも知れないけれど。


 等と余計な事はさておき、僕は言った。


「今丸見えなんだけど、可愛いお尻が。その……隠さなくていいのかなって」




 不意に訪れる沈黙。


 なんかさっきと似た様な間だな。デジャブを感じる。


「あああああああああああああっ!」


 妙な事に、彼女の下半身は丸裸だった。上に着ているのは短いシャツなので、這いつくばっている今、余計に見えてしまう。自分も昔そうだったけど、もしかすると、完璧に下の服を脱がないと用足し出来ない派なのかもしれない。


 そしてようやく台詞の意味を理解したのか、気が付いた瞬間、まさに目にも止まらぬ早さで二階に駆けだしていった。その後、爆発音の様な大きな音がする。恐らく乱暴にドアを閉めた音だろう。僕はとりあえず家の外に出て仰向けに倒れ込んだ。




 あぁ、空が青いな。空気も美味しい。生きてるって素晴らしいなぁ。


 生き返って早々生命の素晴らしさをしみじみ実感していると、頭の方で、またあの声がしたんだ。


「お見事でした善宏様。よくぞご無事で」


 寝そべったまま上半身を起こし、俯せになって顔を上げると、そこには真っ黒な執事の服を着た、真っ黒な猫がいた。




 ……にゃんだこれ。

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