21話 レベルアップ
微妙に知ってる天井だ。
と言うのもここ最近、やっと入室出来る様になった僕の部屋だからだ。2階の寝室。今まで使われて無かった大部屋で、タンスが1つに大きめのベッドが1つあるだけの場所。
そこで今、僕は横になっていると言う事に気が付く。
思えば、ここで寝るのは初めてか。等と霞む頭で理解しようとしていると、不意に身体を駆け巡る痛みを感じた。
「いった! ……何だよこれ」
そう言えばあのゴブリン達との戦いで、足に怪我したんだっけ。でもこの痛みはそんな感じじゃ無い様に思えるんだけど。
例えて言うなら筋肉痛が酷くなった感覚だ。身動ぎしようとしても、それだけで充分苦しい。なんぞこれ?
部屋の中が薄暗い。遠くに鳥の声が聞こえているので、どうやら早朝みたいだ。ファラのお陰で奴らを追い払えたんだけど、あれから僕はまた倒れたんだな。ここで寝ているって事は、ルパートさんが上手くやってくれたって事だろう。なんか申し訳ない。
あ~しかし、傷を治してもらった分は、また借金か~っ、そうか~
でもあの子。確かリンスだっけ? が助かったんだから、良しとするか。そう言えば今どうしているんだろう。気合いで気絶してるのを、無理矢理結界の中まで引っ張って来たところまでは記憶があるんだけどなぁ。まぁあの後、ファラが何かして無ければ大丈夫だろう。多分。
「んっ、ん」
不意にすぐ近くで声がして、ぼやける眼を凝らせて見ると、すぐ目の前に半分口を開けて眠っているファラがいた。何故か添い寝されているんだが、これはどういう事なのか。
小さく口をモゴモゴさせ、ぴちゅぴちゅと唇を無意識に鳴らせている姿はまさに幼児だな。別に香水を付けている訳じゃなかろうが、やたら甘い不思議な臭いがする。こう、バター入り牛乳に大量のハチミツとメープルシロップをぶち込んだ様な、心が安まる香りだ。文字にすると妙な感じがするけれど、例えるならばそんな風だ。
こうしてあどけない寝顔を見ている分には、本当にこの子は天使だと思う。正体は魔王の娘なんだが。
でもそんな違いは些細なもんさ。誰の子だろうが子供は子供だ。大きくなって生まれがどうこうなんて言うのは、馬鹿馬鹿しい。
子供は、いや人間は環境に左右される生き物だ。この子の未来はこれからの人生で、大きく変わるだろう。決まり切った将来などある訳は無いし、先の事は誰にも分からない。
でも願わくば、ファラが大人になった時に振り返ると、幸せな日々だったと思える様にしてあげたいな。
しかし自分でも不思議だ。あんなに痛い思いをして、殺されかけたにも関わらず、つい最近出会った子がこんなにも愛おしいと感じるとは。
単純に見た目のカワイさも勿論あるけれど、それ以外の何かほっとけないって言うか、見過ごせないものがこの娘にはあるんだよな。上手く言えないけど。
保護者欲求がそそられると言うか。う~んこれが母性本能ってやつか? よく分からん。
……いや、待て佐藤。断じて違うぞ。そんな目で見るな。僕を貴様等と一緒にするな。断じて異常小児性愛などに目覚めてはおらんわ! このロリコンどもめ! 悪霊退散!
脳裏をかすめた危険思考を、力技で忘却の彼方へと追いやり、再びまっさらな心で少女を見つめると、幼い金色の瞳に僕の顔が映った。
「起きたの?」
「ん?」
「お早う」
「ん」
そう言ったっきり、再び瞳を閉じて親しげに頭をこすりつけてきた。おおよそ人の親ならばこんな時に最高の幸せを感じるだろう。僕もそうだ。
でもこの子の場合、少々問題がある。
それは。
(……痛い痛い痛い)
グリグリと頭をこすられる度に、羊の様な硬くて真っ白な2本の角が、ゴリゴリと頬骨なんかに当たる。
悪気があってやってるんじゃないってのは、よく分かる。でも穏やかな朝のスタートとしては、なかなかにハードだ。こら目も覚めますわ。
暫く飼い猫みたいにじゃれついていたかと思えば、突然がばっと起きて、四つん這いになった。何をしとるんじゃこの子は。
「お兄ちゃん、これ、どうしたの?」
じーっと獲物を狙う猫の様なスタイルで見つめる視線の先にあるもの、それは。
「尖ってるよ? ほら」
ファラは右手人差し指でちょんちょんとそれをつついた。
「は?」
そして感じる下腹部の異常。いや、健康な男子ならばそれは当然の事なんだが、この時僕の股間には、名状しがたい屹立したものが、そそり立っていた。
「つんつん、なんかかたーい」
「ぎぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
いやー断末魔の雄叫びってホントにあるんですね、たまげたなぁ。
なんて暢気に達観している場合じゃない! 何してくれてんだ! マジで何してくれてんだぁぁぁぁぁぁぁ!
「止めなさいファラ! 触っちゃ駄目!」
「触ってないよ、つんつんしてるだけだよ」
「つんつんしても駄目!」
「じゃあ、すりすりは?」
「もっと駄目じゃぁぁぁぁぁぁ!」
「んじゃ何したらいいの?」
「何もしないの! したら駄目! 大変な事になるんだから!」
「大変な事って?」
小首を傾げる幼女の瞳がキラリと光った。それは獲物を見つけた猛禽類の視線。ファラは身動きがとれない僕の胴体に上って、両手で頬杖を付き、その上に華奢な顎を乗せた。
汚れを知らないビスクドールの如き完璧な微笑を湛えて、少女は僕を見下ろす。
「ねぇねぇお兄ちゃん、大変な事ってぇ、例えばどうなるの?」
さっきの意見は取り消そう。
悪魔や! この娘は生粋の小悪魔や! 天使なんかやないで、これしかし!
脳内で激しくエセ関西弁が唸りを上げる。何でこんな朝っぱらから幼女に下克上されて、追い詰められないといかんのだ! 理不尽だっ!
「大変な事は大変な事なの! いい加減にしないと怒るよ! もうご飯作ってあげないぞ!」
「う~んそれはヤダ」
やっと分かってくれたのか、しぶしぶファラが身体の上から降りてくれた。やれやれ。
と、思ってたら最後に爆弾発言。
「分かった。じゃあお兄ちゃんのちんちんで遊ぶの止める」
「うがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! ホントは全部知ってるんじゃないのかーっ! って痛ぇー!」
叫んで急にベッドから飛び起きたもんだから、全身に激痛が走った。結局またベッドに戻ってシーツの上をのたうち回る。
「お目覚めですか? 善宏様」
「あぁお早う、ルパートさん。ルーシーも」
「お早うございます」
部屋の入り口を見ると、ツートンカラーの猫さん達が、朝からビシッと執事服を来て挨拶してくれた。
「ところであの子は無事なの? あとこの激痛はナンナノデショウカ?」
涙目で訴えると、何故か敬語になってた。
「あの獣人の女の子は、今ファラの部屋で眠っています。怪我などはありません」
「そうなんだ、よかった」
「そして激痛の理由ですが、レベルアップ時の魔力吸収における生体反応です」
リンスの安否はルパートさんが、続いての話題はルーシーが説明してくれた。
「一般にモンスターと言われる知的人類種共通の仇敵は、ほぼその体内に魔核というものを内包しています。モンスターを倒すと、魔核はその力を放出し、新たな己の宿主を求めます。この時、最も近くにいた適合者に、何割かの潜在魔力が移行し適合者は新たな力を得ます。有り体に申しまして、これがレベルアップの仕組みです」
「お、おぅ。そんなところもゲームっぽいな」
解説を始めると、いきなりルーシーは饒舌になるなぁ。僕達はどこか得意げに話し続ける白猫さんの言葉に耳を傾ける。ファラはベッドに腰掛け、欠伸なんかしてつまらなそうだけど。
「似てますが違います。RPGゲームではレベルアップにおける危機的状況など起きないでしょう?」
「まぁ確かに」
「因みに、一度に大量の魔力移譲を受けた場合、そして適合者であっても容量を著しく超えた場合は死に至ります」
「は! レベルが上がって死ぬの?」
「はい。吸収しきれない力が内部で暴走し、最終的に心停止します」
「怖っ! なんだその理不尽!」
「ですから当代冒険者の必須アイテムとして、強制適用外魔力移譲阻害のスキル効果を持つアミュレット。つまり分かりやすく言うとお守りがあるのです。逆に言えばこれがないと話しになりません」
「じゃあ、それ1つ下さい」
「ありません」
「え?」
「そのお守りは、異世界通販の品目にありません。ご自分で探して下さい」
「なにー! ここまできて突き放すんかい!」
「善宏様、私共にも出来る事と出来ない事がございます」
ぐぅ。しっとりした、つやつや黒毛並みのルパートさんにまで言われると引き下がるしかないな。それにしてもこの猫さんツーショットは和む。
「分かったよ、とりあえず後どれくらいで復活出来るのかな?」
「およそ半日程必要かと。レベルアップによる筋肉疲労は回復魔法が効きづらいので安静にしていて下さい」
「はぁそうなんだ、分かったよ。それにしても毎度毎度済みませんね。ご迷惑ばかりおかけしまして」
ザ・日本人らしく、横になったままだけど、みんなに礼を言う。
「「善宏様、気になさらないで下さい。貴方様への奉仕こそが我々の職務であり喜びです」」
ユニゾンで猫さん達が嬉しい事を言ってくれる。
「ファラもありがとね、助けてくれて」
「まぁお兄ちゃんは弱いからさ、仕方ないよ」
唇を尖らせて、ふふんとおしゃまな幼女が笑った。へぇへぇ全くその通りでごぜぇます。どうでもいいけど自慢げにパタパタしてる翼が可愛いぞ。
「それにしてもこの子、よく家から出してもらえたね」
軋む右手を無理に伸ばして、こぼれ落ちた桃色の髪を握った。
「実は特別にシャノン様からのご沙汰がありました。善宏様が本格的にファラとの同居生活を始められた事により、条件緩和兼報奨としまして、結界内までの行動自由が許されたのです」
「へぇそうなんだ、シャノンさんやるなぁ。じゃあ後でその辺を歩こうか」
「うん!」
ファラが腰掛けたベッドで、ブンブン漕ぐ様に両足を動かすと、ぎしぎしベッドが悲鳴をあげた。
「こらこら止めなさい。ベッド壊れる」
「善宏様。もう一つシャノン様からの恩賞があります」
「おぉ! 太っ腹」
「シャノン様はスレンダーですが?」
「いっいや、言葉のあやだよ、ルパートさん」
生真面目な黒猫さんにつっこんでいると、コンコンと部屋のドアをノックする音が聞こえた。一同は話を止めて注目する。
僕はぎこちなく上半身を起こし、どうぞと促すと、躊躇いがちに扉がゆっくり開いた。