13話 悔恨
ぽたりぽたりと、落涙が止まらない。喉の奥からしゃくり上げる様な自分の嗚咽だけが、半壊した二階に虚しく響いた。
「何とか言ってくれ!」
いくら後悔してもしきれない。あの時もそうだった。脳裏に今も鮮やかに思い出せるあの光景。血に染まったかの様な夕焼け。病室。あの子の笑顔。
「結局また助けられないのかよ!」
噛み砕かん程に奥歯を噛みしめる。
「神様! シャノンさん! 頼むから! 僕はどうなっても良いからこの子を救ってくれ! お願いだ!」
こんなに取り乱すのも、絶叫して神様とやらに頼るのも生まれて初めてだ。
でもどれだけ泣いても、わめいても。彼女は息を吹き返さない。
始まって早々8日目にして、僕達の異世界生活は最悪の形で終焉を迎えたんだ。
きっかけは、ちょっとした人助けのつもりだった。何も知らない女の子と異世界で一緒に暮らすのも悪くないかなってぐらいの、ほんの軽い気持ち。
それがこんな事になるなんて。
『主人公補正スキルによる効果発動を確認。回復補助スキル、悔恨の涙が自動発現します』
「……え?」
突如として降って沸いた脳内ログに、意味が分からず惚けていたら、ファーラに滴り落ちた涙が青く煌めいて、閃光を放った。
ぱあっと辺りが明るくなって、彼女の全身を金色の光が包み込み、やがてそれは藍色や黄緑、オレンジ色に変化して消えていった。
呆然とその様子を見守っていたら、ファーラの顔色にさっと赤みが差した。これはと思い、口元に耳を近づけてみると、微かに吐息が聞こえる。脈も戻っている。スマホの鑑定結果も、生存を約束してくれた。
「マジかよやった! やったぞぉぉぉぉ!」
僕は静かに少女の身体を横にしてから、天高く拳を突き上げた。今ならこのまま屋根を破って、天高く飛んで行けそうな気がする。そして俺より強い奴に会いに行く!
突然の降って沸いた奇跡に、某有名格闘ゲームのキャラクターを脳裏に思い浮かべながら歓喜していると。ピクリと小さな両眼が動いた。
背筋がぞくりとする。うっすらと開き、こちらを見据えるその瞳は紅。
「善宏様! まだ血の満月は終わっておりません! 早く薬を!」
ルパートさんにせかされて、僕は慌てて右ポケットに残されていた、最後の丸薬を探った。左手一本で苦労したけれど何とか取り出し、呻いているファーラの身体を後ろから抱え起こし、薬を歯の隙間からねじ込んだ。その後で、無理矢理口腔内にルパートさんから渡されたコップの水を流し込み、吐き出さない様に手で塞いだ。
「……ッ! ァァアアアアアアアッ!」
まどろんでいた所に異物を飲まされ。恐らくはその効果から異常な反応を見せ、彼女は小さな女の子が発するとは思えない声で叫んだ。
「これで最後だ! お願いだから耐えてくれ!」
「ガゥアァ!」
無意識に抵抗したファーラは、塞いでいた僕の左手指を噛んだ。
「っつ! 痛った!」
ズキリと猛烈な痛みを感じると、彼女の口元が血で染まった。勿論僕の血だ。焦ってログを確かめてみれば、もう防御スキル万夫不当の効果は消えていた。主人公補正の力はさっきの奇跡で終了なんだろうか。ともかく、痛かろうが何だろうが、今はこの手を離さない事だ。ここで失敗したら、流石にもう次がない!
半ばやけくそになって、そのままの体勢で4、5分我慢すると、ファーラは2回大きく痙攣した後で気を失った。
薬を吐き出した痕跡はない。多分あのまま飲み込んで、効果が出たんだろう。一応心配になったんで、呼吸を確認し、念のためにもう一度スマホで状態を確認したら、与薬による一時のショック状態で、時間と共に意識が戻るとあった。
「……と、いう事は。とりあえずは助かったんだよね?」
「今夜の危機は乗り越えたと言って宜しいかと。善宏様。お疲れ様でした」
よく見るとスマホの液晶がひび割れている。
「ルーシーは大丈夫なの?」
「はい、ご心配には及びません。ルパートも私も、時が経てば自分で回復出来ます。それよりも……」
「え? 何?」
「善宏様ご自身のお命が危のうございます! すぐ治療しませんと!」
ふらふらと立ち上がったルパートさんに迫られて。極度の緊張感から解放された僕は、へらへら笑った。
「あぁ、大丈夫大丈夫。これくらい何ともな……あれ?」
髪をかき上げると、左手が依然として出血しているため、顔にべっとりと血が付いた。変だなと思って手を見ればもう真っ赤。そしてあるはずの右腕がない。
あぁそういや、さっきの騒動で吹っ飛ばされたんだっけ。あと首から血も吸われたな。僕は、はっとして立ち上がった。
「おおっ! スゴイや! 何でまだ立ってられるか不思議なくらい――」
そう言ってからの記憶がない。ルパートさんが言うには、すぐ派手に倒れたらしい。出血多量で、もう少し血を流していたら危ない所だったそうな。
まぁ要するに、ファーラと仲良く横になって朝まで気を失っていたんだね。これはしょうがない。
因みに2人の猫さんに言わせれば、どこか幸せそうな寝顔だったんだと。
明くる朝。異世界9日目。
「しかし、よく生きてるな~っ」
ほとほと感心して、リビングの鏡に映る自分を見る。
「右腕も元通りだし。首も、指も平気。やっぱ異世界だ」
見る影もなくなったパーカーを脱ぎ捨てて、Tシャツになって怪我を負った部分を見る。
「つなぎ目も綺麗なんだよな。もうどこも怪我してないし、昨日の出来事が嘘みたいだ」
「しかし最近訓練してるから、ちょっと筋肉付いたかな、どれ。むん」
両腕に力こぶを作ってポーズを取る。そう、今この時、私はボディービルダー。華麗なる筋肉美で観客を魅了するんだ!
「おし! いいよデカイよ! キレてるキレてる! ナイスバルク!」
にわかボディービル用語を使って、益々図に乗ってると。また背後に生暖かい視線を感じた。ルパートさんだ。
「お目覚めですか?」
「あっ、ハイ」
そそくさと居直って返事をする。
「しかしいつの間に」
「ないすばるく! の、辺りからでしょうか。お体は問題ありませんか?」
「お、おう。そそそっそうなんだ。身体はもう大丈夫だよ」
「それはようございました。では朝食の準備が出来てございますので、リビングまでお越し下さい」
「うん、ありがとう」
パーカーはもう着れないな。ジーンズもダメージジーンズを通り越してる感じだけど、他に着るものがないから致し方ない。唯一無事だったのは、メガネくらいか。
僕は一応寝癖を整えてから、愛用のメガネをかけ、1階への階段を降りる。するとそこには、眩しい日差しに彩られた食卓があり、料理が湯気を立てて食欲を誘っていた。
4つある内の1つの椅子に腰掛ける。
「どうぞお召し上がり下さい」
「ありがとう」
まず喉がカラカラなので、コップの水を空にしてから、ホクホクのふかし芋に手を付ける。味付けは勿論、塩胡椒のみ。皮付きの小ぶりなジャガイモをそのまま茹でただけの超シンプルな料理だけど、よく火が通っていて美味しい。
でも慌ててかぶり付いていると、案の定むせた。復活した右手で胸をドンドンと叩きながら、ルパートさんが新たに水を入れてくれたコップを受け取り、口を付ける。
「そんなに慌てなくとも、料理は逃げていきませんよ」
ふいにポケットから声がした。おもむろに取り出してテーブルの上に置くと、立体映像が浮かび上がった。
「やぁルーシー。もう大丈夫みたいだね」
液晶画面のひび割れも綺麗に直っており、スマホは新品同様だ。
「お陰様で、この通り無事でございます」
ホログラムがペコリとお辞儀した。ぐぅ可愛い。
にしても、昨日の修羅場が嘘の様に和んでいるな。窓から流れ込む爽やかな風が、木綿のカーテンを揺らして、不意に豊かな森の香りがした。
「気持ちの良い朝だな」
猫ちゃんズは無言で頷いてくれた。ほんとに昨夜は大変だったけど、今こうして揃って朝ご飯を食べている事が、妙に嬉しい。
これで若干あと一人がいれば完璧なんだけど。
こう思っていたら、2階からギシッと音がした。ゆっくりと、だけど確実にリビングを目指して歩いてくる音だ。
しかしその足取りは、1階に降りてくる途中で止まってしまった。僕はそれに気が付いて、なるべく普通に。友達に語りかける様に声をかけた。
「ファーラ起きたの? じゃあこっちにおいで。みんなで朝ご飯にしよう」
僅かな沈黙の後、ためらいがちな小さな足音が再び聞こえて来た。