12話 主人公補正
ファーラが低い体勢から右腕を弓なりに引いた。ものすごい早さで迫ってくる。でも僕の目にはコマ送りで見えた。死を体験した人はその際、スローモーションに感じるって聞いてたけれど、まさにそんな感じだ。
躱そうにも、スピードは向こうの方が格段に上。何とかこの一発は耐えるしかない。
そう思い、両腕をクロスして足を踏ん張った。爪が伸びて、鋭い斬撃の様になった一撃僕を襲う!
「ぐっ!」
もう死んだかと思った。何故なら、全く痛くないから。
だけどその時、頭の中にログが流れたんだ。
『主人公補正による連動効果発動 防御型S級スキル、万夫不当の限定自動発動を確認。これより攻撃力判定A以下の攻撃は無効化、もしくは激減します。クリティカル、状態異常にも耐性有り。ユニットスキル自己修復B+、作用開始。0.5秒での修復を確認。人体損傷率0%、正常です』
「は?」
理解が追いつかない。何だ万夫不当って。確か三國志の関羽とかに対する敬称で、万人と戦っても倒れないって意味だったと思うけど。頑強の上位スキルなのか?それに、主人公補正って何だよ! 初めて見るぞこんなの! あと名前が適当過ぎだろうが!
でもチャンスだ! なんとか力で押さえ込めるかも知れない!
僕は攻撃の合間を縫って、両手で彼女の腕を掴んだ。
『主人公補正による連動効果発動 攻撃型S級スキル 国士無双の限定自動発動を確認。使用者当人の推定限界筋力を越えた力を発揮できます。本人の意思力に付随して総合攻撃力が向上、敵対者を圧倒します。現在の推定能力向上率、30倍。ドラゴンB級相当です』
「うおおおおっ!」
「ガゥア!」
無理矢理壁面に彼女を押しつけた。衝撃で沢山のレンガが崩れてくるけど気にしない。牙をむいてこちらを威嚇するファーラの目は、血に酔っていて。正気とはほど遠く見える。すでに身に付けているパーカーは血まみれで、ズボンもボロボロだけど、まだポケットは破れてない。薬もポケットにあと二つある。
現時点の防御力はファーラの攻撃力を凌いでいる、もし攻撃を受けたとしても、自己修復できるから問題ないはずだ。
僕は意を決して、右手を彼女の左手から離し、ポケットから丸薬を1つ取り出した。今度は失敗しない様にしないと。
でもこの油断が良くなかった。
「カカッ!」
若干大人しくなったかに見えたファーラが一瞬妖しく笑ったかと思うと、自由になった左手で攻撃してきたんだ。
でも大丈夫、僕には防御スキルがある。きっとダメージを無効化してくれる。
そう思ってた。
「……えっ?」
彼女の腕が振り抜かれ、いよいよ薬を飲ませようと思ったけど、右手が動かない。というか感覚すらない。おかしいと思って凝視すると、あるはずのものがなかった。
そう、肩口から先の、二の腕から手にかけてが付いてなかったんだ。
「そんな! 嘘だろ!」
激痛に耐え、泣き出しそうな所をグッと堪える。万夫不当の効果で瀧の様に吹き出した血はすぐに止まり、苦痛も和らいだ。
『敵対者からのスキル攻撃を確認。攻撃型S+級スキル、魔王の一撃が発動しました。自身の命が危機にさらされた時、無意識に発動される、魔王族のみに伝わる血統スキルです。効果により、防御型スキルや、防具、魔法による守備能力を無視します』
『ユーザーの右腕部消失を確認。自己修復機能により1秒で失血停止。腕部再生のためには、戦闘を中止して下さい』
くそっやられた! 完全に墓穴を掘った! こんな技を隠してるなんて思いもしなかった! 畜生!
僕は一瞬取り乱したが冷静に距離を取った。もう一撃さっきのを食らうと、もう駄目だ。お終いだ! 止めどなくしたたり落ちる汗。荒く弾む息。
チート使ってもこれかよ! どうなってんだマジで! 勝ち確じゃなかったのかよ!
「アハァ! キキキキッ!」
その時、耳障りな声が聞こえた。
「……何笑ってんだ、テメェ」
「アハハハ! キキッ!」
ファーラが僕を指さして笑っている。
「どういうつもりだ」
「キキキキッ! カカカッ!」
その時、僕の中で張り詰めていた何かが、音を立てて絶ち切れるのを感じた。
「ふざけんなコラァ!」
『主人公補正スキルによる効果発動。国士無双との相乗効果により、一時的に全身体能力が向上します。推定レベル150相当』
頭に流れるログを一顧だにせず、足を踏み出す。床板を踏み抜き、あざ笑うファーラの幼い鳩尾に、最速で左アッパーを叩き込んだ。
「ゴエェェェ!」
刹那、おびただしく胃の内容物を吐き出し。吐瀉物が床に飛び散って、異臭を放つ。
彼女の身体が浮かび上がり、くの字に折れ曲がった所でさらに、突き出た顔に右膝をお見舞いした。骨が潰れる異音がして彼女の鼻骨が折れ、鮮血が迸る。
背面の壁が吹き飛び、周囲3mのレンガ材が跡形もなく消し飛んだ。だがやはり少女の身体はこの家の結界に阻まれているようで、見えない障壁に阻まれた。
「あぐぅ!」
フローリングの上に崩れ落ちそうになるところを捉える。左手一本で華奢な首を掴み、持ち上げた。
そして締め上げる。ファーラは苦悶の表情を浮かべ、必死になって僕の腕に爪を立てるが、痛くもなんともない。
「ぐぅっ……あっ!」
この時僕は、ひどく冷たい目をしていたと思う。完全に怒りで我を失っていた。心というやつを、どこかにやってしまって。平気な顔をして眺めていたんだ。
ファーラは真っ赤な顔をして苦しんでいても、何も感じなかった。徐々に力を込める手に、躊躇いなんかない。
この時僕は、本当にどうかしていた。
「善宏様!」
もう少しで少女の首をへし折るという所で、背中から僕を呼ぶ声がした。
「そこまでです! ファーラが死んでしまいます!」
はっとして手元を見る。そこにはだらりと両手を投げ出して、動かなくなった彼女の姿があった。
「うっ、うわ!」
慌てて手を離すと、どさりと幼い身体が床の上に投げ出された。先程の狂気など見る影もない。取り乱しながらも、口元に顔を近づける。
「いっ……息をしてない! どうすりゃいいんだ、ルパートさん!」
「申し分けございません。今は、こうして這って話すのが、精一杯、で、ございます」
「ルーシー! 何とかならないか!」
「善宏様は、回復魔法スキルを習得されておりません。現状では、彼女の回復力に任せるより他に手はないかと」
実体化を解除してスマホに戻っていたルーシーの非情な声が、左ポケットから聞こえてきた。
「そんな嘘だろ! こんな、こんなのってありかよマジで! ありぇねぇだろバカヤウが! あぁ! ファーラ! ファーラ! 返事をしてくれ! 僕が悪かったよ! 頼む! 息をしてくれぇぇぇぇぇ!」
左手で血まみれになった彼女の身体を抱いて、情けなく泣き叫んだ。
僕がしたことだ。今となっては全く身勝手な言い分だけど、彼女を助けたかったんだ。
本当に。心から。
大粒の涙が後から後から湧いて出て、少女の上に滴り落ちる。
この時はただ、泣く事しか出来なかったんだ。