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初恋30

翔平君の側から離れられないと、心のどこかでわかっていた。


けれど、翔平君に私の気持ちが受け入れてもらえる自信がなかった私は、長い初恋に囚われて、身動きできずにいた。


小学生のとき以来十年以上を翔平君への片思いに悶えながら過ごし、大学卒業を控え、就職活動を始めた頃。


『三崎紗和、水上夫妻のひとり息子と熱愛』


そんな世間を賑わせる記事が、私の初恋の終わりを促した。


それまでにも何度か、翔平君と三崎さんが一緒にいるところを見たことも後押しとなり、その記事の真偽を本人に尋ねることもなく、私は翔平君を諦めようとした。


大学卒業を機に、翔平君の気配を感じない場所へ逃げようとしていたのだと、今ならわかる。


自動販売機の設計をしたいという夢を持っていたのは確かだけど、それを理由に翔平君から逃げて楽になりたいと思ったのは、自覚のない本心だったと思う。


実家を離れることを両親や兄さんに説明するための手段としてその夢を利用したのかもしれないし、そうでもしなければ、いよいよ結婚すると報じられていた翔平君にすがってしまいそうで、怖かったのだ。


そんな気持ちに気付かないふりをして、翔平君から遠く離れた場所で就職しようとした私のずるさが、あの事故を起こしたのかもしれない。


次々と蘇る当時の想いに私は俯き、翔平君との距離を広げた。


翔平君は、私を膝の上で横抱きしながらも、その距離を詰めることもなく、私をただ見ている。


逃げようとしていたという私の言葉に傷ついて、私を抱き寄せることすらしたくないのだろうか。


「ごめんなさい。翔平君が何度も謝ることはないの。勝手に翔平君を好きになって、思いを返してくれないことに拗ねた私のせいだから。だから、翔平君が私の未来を変えたわけじゃないし、後悔する必要もない。私がちゃんと自分の想いを伝えていれば、翔平君にも違う未来が待っていたはずなのに。私が翔平君に怒るのはおかしいよね」


翔平君が自分を責め続けていることを怒る資格などないと、やっと気付いた。


自分の身勝手さに体を小さくしていると。


「八年だからな」


「え?」


落ち込む私の頭をぐりぐりと撫でながら、からりとした声で、翔平君が私の顔を覗き込んだ。


私の喜怒哀楽など簡単に見抜く翔平君のことだから、落ち込む私を気遣ってあえて明るい態度でいるのだろう。


目の前にある翔平君の顔に視線を向けると、それを待っていたかのように、翔平君の言葉が続く。


「俺は萌より八年も長く生きてるんだぞ」


「うん、知ってるけど?」


「それに、萌は自分の気持ちをいつも顔に書いて歩いてるようなもんだから。俺のことが好きで好きでたまらないって、その目でその口で、会う度いつも伝えていただろ」


私の顔をさらに覗き込み、翔平君は楽しげに笑う。


沈む私の心を軽く流すような口調に、戸惑ってしまう。


「萌が小学生のころ、俺といるといつも顔を真っ赤にして照れくさそうにもじもじして……」


「そ、そんなことないよ。もちろん、翔平君といるとドキドキしたけど、別にもじもじなんてして」


「してたんだよ。大学生の俺に、『恋してます』って視線で伝えてた。あー、今思い出しても可愛かった。写真でも撮っときゃよかった」


天井を見上げ、大声でそう言った翔平君は、私の体を引き寄せるとその胸に押し付けた。


私はその温かさにほっとして目を閉じる。


「大学生が小学生の女の子を可愛いと思うなんて、まずいよな。うん、まずい。だけど、俺はそう萌が可愛くて仕方がなかったんだ。だけど、分別のある大人だったから、萌の恋心には気付かないふりをしないとだめだって焦った」


「やっぱり、私は相手にされてなかったってこと?」


「そりゃそうだろ。ランドセルを背負った女の子の初恋相手に選ばれたのは光栄だけど、そんな一時の感情を拾い上げるほうが罪だ。俺に対する思いなんて恋に恋するようなもんだと思ってたし」


「私、真剣に翔平君を好きだったのにな……」


翔平君の胸に押し付けられたまま、私はぼそぼそと呟く。


冷静に考えれば翔平君が言っていることはよくわかるし、私の気持ちを受け止められなかったのも当然だ。


八歳も年下の小学生に恋心を抱かれても、受け止められるわけはない。


「だけどな、萌が成長して中学、高校、それぞれ制服が変わっても。俺を見る萌の瞳から俺への想いが消えることはなかった。会うたび背が伸びて、体も女の子から女に変わっていくのに、萌の瞳は変わらなかった。いつでも俺を好きだという気持ちが溢れていたんだ」


私の背中に回された手が、何度か優しく撫でてくれた。


翔平君自身の過去の想いを振り返るように、ゆっくりと。


「だから、俺は長い間、萌に会えばいつも。萌から『好きです』って伝えられていたようなものなんだ。萌は、いつも俺に気持ちを隠そうともせず、会えばいつも体中でその思いを見せていたんだ」


「翔平君……」


私は翔平君の胸をそっと押し返して顔を上げた。


そのまま翔平君の顔を見ると、いつもより表情がゆるんでいるように思えた。


「ん? 小学生の頃の可愛い萌を思い出してるんだ。悪いか? あの頃はいつか俺への気持ちは錯覚だと気づいて「おじさん」なんて呼び出すんだろうって思ってたのに、ここまでずっと、萌は俺が好きだったんだよな。すごいよな」


しまりのない顔に自覚があるのか、翔平君は照れたように肩をすくめた。


同時に私の頭をくしゃくしゃ撫でては「萌の気持ちが変わらなくてよかった」とか「いい年した男がこんな小娘に右往左往させられて」なんてぶつぶつ言っている。


長い長い初恋片思い。


翔平君から離れようと頑張ってみたり、別の男性と付き合ってみたりしても、最終的にたどり着く答えはいつも「翔平君しかいらない」だった。


翔平君の言葉を信じれば、隠していたつもりでいたはずの恋心はとっくに知られていて、長い間はしかのような一過性の想いだと思われていた。


それほど私の表情は雄弁だったんだろうかと、今更ながら恥ずかしくなる。


私を見つめながらにこにこ笑っている翔平君を見つめ返し、恥ずかしさいっぱいで笑みを返すと。


「だから、萌が自分の気持ちを俺に伝えずに逃げようとしたっていうのは一部間違ってるだろ? 萌の気持ちはダダ漏れだったし、これでもかってほど伝えられてた。ただ、逃げようとしたってことは、むかつくけど正しいよな」


翔平君の額が私の額と合わさって、不機嫌な声が間近に聞こえる。


「だけど、萌が俺を諦めて就職しようとしてるのを知りながら、それでいいと放っておいた俺が悪いんだよな。萌の気持ちに気付いていながら、逃げ出すまで追いつめた俺が悪いんだ。だから、悩むな。俺が萌の人生を変えて、俺の側から離れられないようにしたんだから」


「だけど」


「いいって言ったらいいんだ。おまけに萌が仕事で一人前になるまで待つなんて格好つけてる間に萌はまた俺から離れようとして、見合いなんて考えるし。全部俺のせいだから。あ、何も言うな。八つも年上のオトコのせいにして、萌は堂々と俺に飛び込んでくればいいんだ」


でも、と再び口にしそうになるけれど、翔平君の唇が私のそれに重なって何も言えなくなった。


後頭部に回された翔平君の手が私をつかまえ、逃がしてくれない。


何度も重なる熱を感じながら目を開けると、至近距離に翔平君の整いすぎた顔があって、おまけに色気も艶も溢れ返っている。


私は両手を翔平君の首に回して体ごと距離を縮めた。


「今日の萌ちゃんは、積極的だな」


キスをやめることなく吐息でそう言った翔平君の声もなまめかしくて、腰に響いた。


腰から下に力が入らないほど刺激的な翔平君の声と表情に、思わずふうっと息を吐いた。


すると、翔平君の唇が私の耳へと動き、舌で私を可愛がる。


その甘い行為に体中が震えながら、更にぎゅっと翔平君を抱きしめて。


「これからも、私が翔平君の人生を作っていきたいし、翔平君にも私の人生にいて欲しい」


いつの間にか私の胸に延びてきた翔平君の手から逃げるように笑い、そう言った。


それでも諦めることのなかった翔平君は、「年が離れてるっていっても、ふたりともアラサーのいい大人だよな」と言って。


その色気にぼーっとしている私をすっと抱き上げたかと思うと、足早に寝室へと行き、ベッドに私をおろした。


「……やっぱ、桃みたいに体全部がピンクになってるな」


私の服を次々と脱がせていく手慣れた様子から翔平君の過去の恋愛が見えた気がした。


そのことにほんの少しだけ悲しい気持ちを感じながらも、過去は過去だから仕方がないと我慢した。


「ん? どうした? やっぱり、怖いか?」


翔平君は、私の顔の左右に両ひじをついて、気遣わしげに私の顔を覗き込んだ。


「不安かもしれないけど、俺は萌を抱きたい。成長を待ち続けるのも限界だし、萌の全てを俺のものにしたい。もう、限界だ」


愛するひとから、甘いだけでない力強い言葉で求められて、嬉しくないわけがない。


ベッドに体を預けているというのに、ふわふわとした感覚が体を包む。


「不安じゃないけど、でも」


私は首を横に振って翔平君の頬をゆっくりと撫でた。


「不安じゃないけど、心配なの。これからは、貧弱このうえない私だけで我慢してもらいたいけど、自信もないし。でも、私だって、翔平君が他の女の人と一緒にいるのを見るのは苦しくて限界だから……」


最後は途切れがちになった私の言葉に翔平君は「萌……」と苦しげな声をあげたかと思うと、勢いよく私の体に覆いかぶさってきた。


「我慢なんかじゃない。萌さえ抱ければ、他に誰もいらないんだ」


私の全身を這う翔平君の指先に体は跳ね、それが合図のように翔平君との初めての甘い時間が始まった。





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