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初恋3

「翔平君は、昔からできすぎなのよ」


翔平君は、兄さんの高校の同級生で、私が小学生の頃から我が家によく遊びにきていた。


家に帰ってもひとりだということを知った両親が強引に我が家に招き、ほぼ毎日夕食を食べさせていたのも懐かしい。


翔平君のご両親はふたりとも俳優で、たくさんの映画やドラマに出演している。


どちらかといえば主役というよりも脇を固める演技派というポジションにいて、私が小さな頃から現在まで途切れることなく仕事をしている。


そういえば、夫婦そろっての活躍に対して翔平君は「あのふたり、俳優以外できない人間だからなあ」と苦笑していたこともあった。


小さな頃から私も私の家族も何度も会っているけれど、俳優以外何もできないというのは大げさでもなく、彼らを表す的確な表現だ。


けれど、翔平君への愛情は深く、一緒に過ごせるときには翔平君が嫌がってもお構いなしにべったりと過ごし、その愛情を惜しむことなく注いでいた。


ただ、仕事にかける情熱が冷めることはなく、変わらない忙しさの中、仕事を続けている。


そんな、生まれ持っての俳優の才能を存分に発揮しながら人生を謳歌している翔平君のご両親は、その才能に反比例して、翔平君に呆れられるほど家事一般、子育て全般の能力に欠けていた。


『子育ての才能は皆無だから、俺は自分で自分を育ててきたんだ。ぐれずにまともに育った俺って、すごくないか?』


ふざけた口調の裏側に、寂しさも怒りも感じられないほど達観していた翔平君のこと、実は尊敬している。


高校生の頃の翔平君は、一般家庭とは違う自分の生活環境を素直に受け入れ、両親にわがままを言うこともなかった。


けれど、本来なら得られるはずだった家族の温かさや両親との思い出やら何もかもを期待できない子ども時代。


どれほど悔しい思いをしていたのかと、何度も考えた。


さすがに小さな頃はお手伝いさんが来てくれて翔平君の世話をしていたらしいけれど、私が翔平君と初めて出会ったときには完全にひとりで生活をしていた。


母さんに何もかもの面倒をみてもらっている兄さんとまったく違う翔平君のことをとても大人に感じた。


母さんが風邪で寝込んだときにはお料理はもちろん洗濯や掃除まで引き受けてくれたし母さんを病院に連れて行ってくれた。


その間、何もできない兄さんはただオロオロするばかりで、我が兄ながらかなりがっかりした。


学校の成績だっていつも上位に入っていたし、何をしても万能の翔平君のことを好きにならないわけがない。


家にひとりでいるよりも楽しいと言っては我が家によく来ていた翔平君と会うたびその思いは強くなり、その当時から私の中ではダントツで一番に素敵だと思える男性だったのだ。


ひたすら私を溺愛し優しさばかりをくれる兄さんとはまるで違う、いつも冷静で落ち着いた物腰に、ランドセルを背負っていた私の心は揺れに揺れた。


当時から人見知りがちだった私は、その落ち着いた様子に戸惑うこともあったけれど、翔平君の言葉には、軽く突き放しながらも相手を思う優しさが溢れていた。


子どもながらにこの人は意地悪じゃないと確信し、少しずつ距離を縮めて『しょーへいくん』と口にする回数が増えていった。


私をひたすら猫かわいがりする年の離れた兄さんに苦笑しつつ、翔平君自身も私を自分の妹のように大切にしてくれた……と思う。


小学校の運動会には私の家族に混じって大きな声で応援してくれたし、学芸会での写真担当はいつも最前列を陣取った翔平君だった。


卒業式にも「春休みで暇だから」と言って顔を見せてくれた。


当時大学生だった翔平君のスーツ姿は、中学校入学を控えたおしゃまな女の子たちの間にかなりの反響を呼んで、しばらくの間、話題を独占していた。


思えば、あのスーツ姿が私の恋心を一気に開花させたのだろうと、今ならわかる。


ようやく小学校を卒業する、親友の妹。


翔平君がひとりっ子だったことも私をかわいがってくれた理由のひとつだろうし、本当の兄のようになつかれて、情も生まれた違いない。


それでも、私をひとりの女性として大切にしてくれたことはなかったとわかっている。


いつも私を心配するか叱りつけるか、あるいはおだてるように誉めていい気分にさせるだけ。


おまけに、これ以上翔平君の側にはいられないとなれば、そのつらさも恋心もすべて断ち切るしかない。


けれど、長い間私の一部となっていた想いを簡単に断ち切るなんてできなくて、どうしようもない。


これまで、たったひとりだけど翔平君以外の男性と付き合ってこの想いを昇華させようとしたことはある。


けれど、結局最後には翔平君への想いが邪魔をし、別れは必至。


それでも自分なりに努力して、叶わぬ恋心を捨てようと努力はした。


だけど、兄さんが家にいてもいなくても訪ねてきては我が家で一緒に夕食を食べたり、誕生日には必ずプレゼントを用意してくれたり。


私が翔平君を忘れようと努力する以上にその存在を感じてしまえば、それはすべて水の泡というものだ。


そして、これではいけないと決意した私は、自分の気持ちを強行突破させることにした。


それが、実家を出るということだった。


それを決めたときには、まさかマンションを買うことなんて思いつきもしなかったけれど、今ではそれで良かったと思っている。


賃貸と違って簡単に手放すこともできないし、実家に舞い戻ることもない。


ローンを組んだ以上、しっかりと返済していかなければならないしそのためには一生懸命働かなくてはいけない。


仕事に集中すれば、少しずつでも翔平君を忘れられるかもしれないと期待もした。


だから、ひとり暮らしを始めたことはよかったと思うけれど、マンションを翔平君の家の近くで選んでしまうあたり、私の決意はその程度のものだったのかと実感する。


今こうして翔平君を振り切ることなく家に向かっていることを考えてもそれは明らかだ。


弱い自分が嫌になる。


コンビニを出てからほんの数分の曲がり角で立ち止まると、隣りの翔平君も一緒に立ち止まった。


すると、それまで不機嫌な表情をしていた翔平君の顔が緩んでいることに気づいた。


じっと何かを見つめている。


私の背後に向けているその視線をたどると、街灯があるとはいえ暗い夜道の中、眩しいほどの明るさを放っている自動販売機があった。


コーヒーや飲料水、ジュースなどがその明るさの中で目立っている。


「翔平君?」


自動販売機をじっと見ている翔平君に声をかけると、ニヤリという声が聞こえそうなほどの大きな笑顔を私に向けてくれた。


「萌、頑張ったな」


「え? なに?」


「これ、売上がいいらしいな」


翔平君はそう言って、ポケットから小銭を取り出すと、自動販売機に入れ、ボタンを押した。


ガタンと音を立てて出てきたのは一本のペットボトルだ。


「あ、それ……。知ってたの?」


思わず駆け寄り、翔平君よりも早くそのペットボトルを取り出し、振り返る。


私の手の中にあるのは、先週発売されたばかりの飲料水のペットボトルだ。


水がブームになっている今、各飲料メーカーからはたくさんの種類の水が販売されている。


コンビニはもちろん、自動販売機でもあらゆる水を買うことができる。


「そのデザイン、萌が描いたんだろ?」


「あ、うん。参加っていうか、お手伝いっていうか、ちょっとだけ」


私は手の中のペットボトルを見つめながら、照れて俯いた。


大手飲料メーカーが先週発売したこの水は、当初の出荷予定個数を大幅に超える大ヒットとなり、生産が追い付かず、一時販売中止になるかもしれないと言われている。


そのラベルのデザインを、私が働いているデザイン事務所が請け負った。


そして、オレンジを基調としたラベルの中で笑っている少女のキャラクターのデザインを私が担当したのだ。


CMも頻繁に流れ、その広告宣伝費は莫大なものだとわかる。


そんな商品のラベルのデザインを私が働く小さな事務所が請け負うなんて、最初は信じられなかった。


けれど、所長の別府さんは知る人ぞ知る有名デザイナーらしく、年に何件かはそんな大きな仕事が舞い込んでくる。


今回も事務所総出でその仕事を楽しんだ。


まだまだキャリアの浅い私は勉強することばかりで刺激的な時間だったけれど、その中で私が参加したのが少女のキャラクターデザインだ。


長く愛されるものを、という指定に沿い、幾つかのデザインを描いて提出した。


そして最終的に決まったものは、私が密かに自信を持っていたものだった。


それは事務所のみんな、そしてメーカーの重役の方々にも好評で、採用された。


それは仕事を始めて五年、自分の才能の貧しさに苦しみながらも続けてきた私への最高のご褒美だった。


「翔平君、どうして知ってるの?」


ふと感じた疑問をぶつけてみる。


同じ業界にいるのだから、うちの事務所が請け負ったということは知っていてもおかしくないけれど、私がデザインを担当したことまで知っているなんて、おかしい。


その名が知られている翔平君ならともかく、私はまったく無名だし、どんな仕事をしていようが、世間が注目するわけもない。


ましてや公表されているわけでもない。


「……まあ、俺みたいにあらゆる分野で仕事をしていれば、いろんな情報が入ってくるんだよ。萌の事務所はそれほど大きくはないけど質の高い仕事をするって知られているし。注目されてるってことだ」


「へえ。そうなの……」


なんだかすっきりしないけれど、翔平君が立っているポジションなら、大小さまざまな情報が入ってくるのかもしれない。


翔平君自身、努力家でこつこつと勉強する人だから、ほかの事務所の動向にも気を配っているのだろう。


「私、すごく嬉しいんだよね。この仕事が終わって、ようやく今の事務所にいていいんだって思えたし」


「大げさだな」


くすくす笑う翔平君に、私も笑いを返した。


「大げさじゃないよ。大きな利益をあげる仕事をしているわけじゃないのに、ちゃんとお給料をもらってるなんて、居心地が悪かったし。でも、これからも頑張ろうって思った。この仕事をこつこつ続けていこうって、ようやく覚悟したっていうか……」


へへっと、小さな笑いで照れた気持ちをごまかした。


たしかに学生時代、デザインの勉強をしていたけれど、だからといって自分のすべてをかけてこの職に就きたいという強い気持ちはなかった。


それに、学生時代の私は違う企業への就職を希望していた。


今就いている職種とは違う仕事がしたくて就職活動も頑張っていたけれど、結局その企業と私には縁がなかったようだ。


今でもそのことを残念に思う気持ちはあるけれど、だからといって今の仕事が嫌なわけではない。


やりがいもあれば将来への目標もある。


尊敬できる人と一緒に仕事ができる今の事務所で働いている今をありがたくも思っている。


とはいえ、本命の企業との縁が途切れたあと、それならば私の生きる基準である翔平君に関わりを持てるようにと就職先を決めたことを、悔やむ気持ちもたしかにあった。


翔平君がその熱意とプライドを隠すことなく取り組む仕事に、迷いを伴う気持ちのまま私が触れてもいいのだろうかと。


今の事務所で仕事を始めたあとも、絶えず揺れていた。


けれど、一旦仕事を始めればこの世界の楽しさと魅力を知り、少しずつ仕事にも前向きに取り組めるようになった。


そしてようやく、自分が納得でき、そして多くの人の目に留まる仕事を終えることができたのだから。


「これからも頑張れって、この女の子が言ってくれてるみたいなのよね」


手元のペットボトルの中で笑う麦わら帽子の女の子に励まされ、私は仕事を続けている。


「翔平君みたいに大きな仕事を立て続けにこなせるほどの実力はまだないけど、自分に与えられた仕事は、しっかり取り組んでいきたいな、なんて。ようやく気づきました」


語尾を上げて、照れくささを隠すように言った。


何もかもを犠牲にして仕事に夢中になっているわけではないけれど、仕事によってもたらされる達成感は半端なものではないと、知ることができただけでも頑張った甲斐があった。


「萌。いい顔してる」


翔平君が、小さな声でつぶやいた。


「むかつくくらい、いい顔してる。それに、いつの間にそんないい女に……いや、いいんだ」


「翔平君?」


翔平君の小さな声を、はっきりと聞き取ることはできなかった。


一歩翔平君に近づき、その顔を見上げると、翔平君も私をじっと見つめる。


その瞳に今までと違う熱を感じるのは、気のせいだろうか。


思いがけなく気持ちが大きく揺れる。









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