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初恋25

「設計デザイン大賞を獲るほど仕事ができる翔平君に私が追いつくことはまずないですけど、でも、目標にして必死で頑張ってます」


ここまで焦る必要はないにしても、同じ業界というくくりで翔平君と並べられるなんて、翔平君に申しわけない。


これまでのキャリアを比べても、というより比べるほどの実績を私は残していないのだから、翔平君にしてみればおかしすぎる話だ。


ペットボトルのラベルのイラストを担当させてもらい、幸運にもその売れ行きは好調だけれど、それは私がようやくこの業界で仕事を続けていけると思えるきっかけにすぎない。


これからも更に精進しなさいと、背中をおしてもらったようなものだ。


私は体を小さくし、力の入らない顔で久和さんに笑顔を作って見せた。


「もちろん、今はまだ経験や実績に大きな差はありますけど、白石さんがこのお仕事を長く続けていけばきっと、水上さん同様素敵なデザインを発表していかれると思いますよ」


「そんな、お気遣いなく……」


「いえ、気を遣ってるわけじゃないんです。長い間この仕事をしているのでたくさんの方と知り合う機会があったんですが」


「は、はあ……」


そこまで言って、久和さんはちらりと翔平君を見た。


この先を言ってもいいのだろうかとうかがうような、問いかけに似た視線を向けている。


翔平君を見れば、さすがに長い付き合いの久和さんとはあ・うんの呼吸のようで、口角を上げ、かすかに頷いていた。


一体、その視線のやりとりはなんなのだろう。


訳が分からず隣の小椋君を見ても、彼も戸惑っているようで特に何も答えてくれない。


私同様、わかっていないらしい。


「白石さんはきっと……あ、小椋さんも同じですが、いずれは水上さんのように大きな賞を狙えるデザイナーになると思いますよ。別府さんの事務所で仕事をされているんですから、大丈夫ですよ」


「は? あの、えっと」


久和さんの言葉に私と小椋君は顔を見合わせた。


「白石さんは、もう少し欲を出して、自分が挑戦してみたいものに素直に向き合ってもいいのではないかと思います。あ、これは別府さんもおっしゃてましたよ」


「挑戦?」


「そうです。与えらえた仕事をしっかりと進めるのは当然ですが、本当に興味があるものや、こんなデザインを描いてみたいと思うものがあれば、自分から売り込むくらいの欲を持ってもいいと思います。長年たくさんの方と仕事をご一緒してきましたが、白石さんにも小椋さんにも、その力はあると思います」


温かくもどこか鋭い声音に、私と小椋君は黙り込んだ。


普段からこうして丁寧な言葉遣いと態度で接してもらっているとはいえ、自分たちの親と同世代の大先輩だ。


その言葉には重みがあり、真摯に受け止めなければいけないという雰囲気もある。


おまけに、努力次第では私と小椋君の将来は明るいと、励みになる言葉をかけてもらえて嬉しくないわけがない。


「あ、ありがとうございます」


私よりも先に、小椋君がそう言って頭を下げた。


私もそれに促されるように体を折り、その言葉の意味をかみしめる。


やはり気持ちは弾むけれど、一方では胸の奥にしまっていた思いが顔を出し、複雑な感情も見え隠れする。


『自分が興味のあるもの』と言われて、真っ先に思い浮かんだのはやはり、オレンジジュースを買うことができなかった自動販売機だ。


自分が設計した自動販売機が街中に並び、子どもでも誰でも、欲しいものを買ってもらいたいと思い、その道に進むために勉強していたけれど。


五年前のあの事故によって翔平君のそばにいることを選んだ私は、その夢を手放したのだ。


今更それを思いだしても仕方がない。


それに、あのとき翔平君のもとに行かずに採用試験を受けて内定をもらったとしても、そのことを後悔したに決まっているのだ。


大切な人を放り出して夢に向かったことで自分を責め、悔やむ日々を送っていたに違いない。


たとえ今、私が設計した自動販売機が世の中に受け入れられていたとしても、翔平君の隣りで笑っていなければ、意味がないのだから。


その思いに嘘はないし、これからもそれが変わらない自信はある。


翔平君と気持ちを寄り添わせた今なら尚のこと、あの時の自分の決断は正解だったと何の迷いもなく言える。


けれど、その思いとは別の場所に残されたはずの、そして長く持ち続けていた夢の欠片が私を刺激している。


久和さんの言葉によって引き出されたその思いに焦り、私は思わず翔平君に体を向けた。


「あ、翔平君……私」


「……誉めてもらって良かったな」


「う、うん」


予想外の想いが胸の片隅に生まれたことを、何故か翔平君には知られたくなくて口ごもった。


私のことならなんでもお見通しの翔平君のことだ、そんな私の心の動きに気付かないわけはないだろうけれど、何を聞いてくるでもない。


穏やかに口元を上げ、私を見つめている。


そのとき、それまで黙って話を聞いていた小椋君の声がその場に響いた。


「そういえば、昔ヒットした商品の復刻版が近々発売されるんですよね」


「え? なにそれ」


私の右隣でオムライスを食べている小椋君が、思い出すように言葉を続ける。


翔平君の視線も、私から小椋君へと移り、私も気持ちを切り替えるように小椋君と久和さんへと意識を向けた。


そして、久和さんたちに質問を投げかける小椋君の言葉を聞いていると、以前売れ行きの良かった商品の中で現在は販売されていない商品のいくつかを期間限定で発売するということらしい。


長い歴史と多くのヒット商品を持つ会社だからこそできることだろう。


子どもの頃の記憶の中にあるいくつもの商品が浮かぶ。


とはいえ、飲料水は毎月多くの新商品が投入されていて、販売が継続されるものはほんのわずかだ。


当時私が大好きでよく飲んでいた商品の中で今も販売されている物だってほとんどない。


その現実を考えると、私が久和さんとともに関わっている商品がヒットしたのは奇跡に近いのだ。


それに、一度ヒットしたからといって、永遠に店頭に並ぶわけでもない。


時代の流れと嗜好の変化によって姿を消すのは当然のことかもしれない。


久和さんの部下の男性たちは、小椋君の言葉に顔を見合わせた。


どう答えればいいのか、戸惑っているようだ。


聞いてはいけないことを小椋君は聞いたのだろうかと不安になったとき、久和さんがミックスサンドをちょうど食べ終えコーヒーを飲みながら、私と小椋君に向かって口を開いた。


「復刻版として発売する商品のラインナップは決まっているんですけど、それが何か、そしてそれをどう販売するかやデザインは教えられないんですよ。焦らして申しわけありませんが、もうしばらくお待ちください」


柔らかで、どこにもとがった部分を感じない口調だとはいえ、それ以上は何も教えてもらえないと感じた私と小椋君は、思わず頷いた。


できることなら第一弾の商品に一体何をもってくるのか、そのあたりは教えて欲しいなと思うけれど、久和さんの声がそれを許さない。


「お待ちください」と言って何度かまばたきをするその数秒で、これ以上は何も話せませんと言外に伝えられた気がした。


そして、笑顔の下にある意志の強さを感じ、仕事をすすめるというのはこういうことなのだと、諭された。


それでも、単なる好奇心はやはり生まれるもので。


小さな頃大好きだったジュースをいくつか頭に思い浮かべ、それらの中からも復刻商品が生まれればいいなと思い浮かべつつ。


「商品のヒントだけでも……えっと、無理なんですよね」


私の言葉にも、無言で答えを返す久和さんに、それ以上何も聞くことはできなかった。


「……わかりました。復刻版が発売されるのをそわそわしながら待ってます」


ため息まじりの私の言葉を聞いた久和さんは、「申し訳ないですね」と言ってそのまま視線を翔平君に動かした。


なにか思うところがあるのか、目を細めたその様子からは翔平君に何かを伝えているようなものが感じられるけれど、翔平君はその視線をさらりとかわし、食事を続けている。


もしかしたら、復刻版のプロジェクトには、翔平君が参加しているのかもしれない。


きっと久和さんの会社でもかなりの力を注いでいるものだろうし、翔平君に声がかかるのも簡単に想像できる。


それに気づけば尚更、その詳細が知りたくてたまらない。


だけど、久和さんも翔平君も口が堅そうだし、情報解禁の日まで待つしかないのだろう。


私は、手にしたままの箸を再び動かした。


私の目の前には大好物のエビフライがある。


迷うことなくそれを注文したとき翔平君がくすりと笑ったけれど、翔平君だってハンバーグを食べている。


結局、朝話していたメニューをそのまま注文した私たちは、視線を合わせ笑顔をかわしあった。


その様子を見ていた久和さんから「ふたりの大切な時間にお邪魔してすみません」と言ってからかわれ、小椋君からは「水上翔平がハンバーグを食べてる写真、ブログにアップしてもいいですか?」とスマホを向けられた。


もちろん翔平君がそれを許すわけもなく、小椋君は即座に諦めた。


小椋君にとって翔平君は仕事をするうえでの憧れであり目標でもあるらしく、ほんの一ミリでも嫌われるようなことはしたくないと、小声で私の耳元にそう言った。


私の前では翔平君のことを呼び捨てにしたり、結構辛口なことを言っていたのに。


いざ本人を目の前にすると、同じ業界で働く大先輩への憧れの方が勝るらしい。


さっさとスマホをしまう小椋君を横目に、私個人としても、ハンバーグを食べている翔平君の写真が欲しかったりもして。


少し残念だ。


私が写真を撮りたいって言ったら、許してくれるかな、やっぱり拒否されるかな。


どこにも公開しないし自分ひとりで時々眺めて目の保養をするだけなのに。


などと考えながらエビフライを食べていると、目の前にいる久和さんの部下の男性から声をかけられた。


私や小椋君と同い年くらいの斉藤さんという男性だ。


「僕、水上さんがこんなに恋人に甘い人だとは思いませんでしたよ」


斉藤さんは、その言葉に冷たい表情を向けた翔平君に気付いていないのか、からかうような表情で言葉を続ける。


「水上さんとお仕事を一緒にする機会が増えて、社内で水上さんのことを好きになる女の子はどんどん増えたんですよね。だけど、そんなの一切無視。仕事での関わりは大切にしてくれてもそれ以外はきっちり線を引いて距離を作る。そんなクールなところがいいと言ってさらに女性ファンは増殖しているというのに、流すばかりで」


感心するように話している斉藤さんに、翔平君は眉をよせて不機嫌さをアピールしている。


けれど、そんなこと意に介さず、斉藤さんの話は続く。


「この間、会社での打ち合わせで、以前噂があったモデルの三崎紗和さんと偶然会ったときには軽い挨拶を交わしただけで通り過ぎていたし、その様子を見た女子たちはそのクールさがたまらないってきゃーきゃー言ってました。だけど、恋人にはそんな優しい顔を見せるなんて、ギャップ萌えっていうんですか?」


「斉藤」


興奮気味に話す斉藤さんを、久和さんが低い声でたしなめる。


翔平君が口を結び、強い視線を向けているのに気付いたに違いない。


ちらりとその表情を見たあと、斉藤さんに渋い顔を作って見せた。


そこではっと気づいたのか、斉藤さんは慌てて頭を下げて「うわっ。まずい。怒ってる」と言いながら顔をひきつらせた。


けれど、慣れているのかすぐに表情を戻し、手元にあるコーヒーに手を伸ばした。


「まあ、これだけかわいい白石さんが恋人なら、顔も緩みますよね。うちの会社でも白石さんのことを狙ってるオトコが結構いるんですけどね。知ったらショックですよ。少なからず、僕も悲しいです」


肩を揺らし笑うその口調に悲しみなんてちっとも感じられないんだけど。


「あ、白石さん、疑ってますね。何度か打ち合わせでうちの会社に来てくれたとき、その自信がなさそうな、それでいてかわいい笑顔とそれでも一生懸命に仕事を頑張る姿に何人ものオトコの目が釘付けにされたんですよ」


「釘付けって、嘘です。何も言われたことないし……」


久和さんの部下に、こんなに口がうまくて明るい宣伝マンもいるんだと驚きながら、私は慌てて否定した。


物腰が柔らかで、いつも丁寧な態度で接してくれる久和さんとは大違いだけど、今日の打ち合わせではかなり鋭い意見も口にして周囲を納得させていた。


仕事を離れればかなり軽やかなひとだけど、久和さんがこうして共に仕事をさせているのだから、やり手なのかもしれないな。


なんて思っていると。


「白石さんが恋人なら、三崎さんと再会してもどうってことないですよね……」


相変わらずその名前を口にして頷いている。


斉藤さんに悪気はないのだろうけれど、こうして何度も翔平君と噂があった三崎さんの名前は聞きたくない。


そっと翔平君の顔をうかがうと、とくに気にすることなくハンバーグを食べているし、斉藤さんのことはまったく無視している。


ハンバーグに夢中なだけなのか、それとも三崎さんのことを話したくないのか。


ただでさえさっきの打ち合わせで限定ラベルのペットボトルのCMに三崎紗和さんが起用されたと聞いて驚いたばかりなのに。


こうして何度もその名前を聞かされるのは少し切ない。


何度か偶然目にしたことがある、翔平君と彼女が寄り添っていた姿を思い出せば、ずん、と胸の中が重くなるし。


何度思い返しても、大人の愛情が感じられる、絵になる姿だった。


気持ちが高揚した恋愛の始まりを通り過ぎた、お互いの気持ちをわかりあい、尊重しながらの静かな愛情。


翔平君と三崎紗和さんの間のそんな空気を、大学生だった私は何度か目にした。


モデルとしてのキャリアを重ね、女優の仕事にも活動の場を広げ始めたころの三崎紗和さんは、とても輝いていたようにも思う。


「そっか……翔平君、三崎紗和さんと会ったんだ」


ふと口を突いて出た言葉に、隣の翔平君が反応し視線を私に向けた。


その様子を視界の隅に感じて、はっとする。


声にするつもりはなかったのに、私は思った以上にショックを受けたのかもしれない。


ここ数年、翔平君が彼女と一緒にいる姿は目にしなかったし、マスコミがふたりの交際を報じる機会もほとんどなかった。


だからふたりの縁は途切れたのかと思って忘れていたのに。


彼女の名前を何度か聞いただけで、翔平君を諦めようとしながらもそれができなかった頃を思い出して切なくなった。


すると、その場の雰囲気を変えるように、久和さんの声が響いた。


「斉藤。海外に長期出張の話をすすめてもいいのか?」


相変わらず低い声に、その場のみんなが一斉に顔を向けた。


「それだけ三崎紗和さんに興味があるなら、彼女が出演する映画の担当にしてやるぞ。半年間フランスに滞在しながらの撮影だ。うちがスポンサーとして映画の製作に携わっているのは知ってるな? 撮影中はもちろん、公開までの宣伝活動も含め、三崎紗和さんの担当として派遣するメンバーを選んでいたんだが。……斉藤を候補の筆頭に考えておくよ」


「く、久和部長」


「斉藤の人当たりのよさは海外でも通じるだろうし、三崎紗和さんに興味があるなら海外での生活も苦じゃないだろう」


「……勘弁してくださいよ。僕が来月結婚することご存知でしょう? 久和部長に乾杯の音頭もお願いして……」


「それなら奥さんを一緒に連れて行けばいいだろう」


それまでの楽しげな顔から一転、今にも泣きだしそうな顔で身を乗り出した斉藤さん。


そうか、斉藤さんは来月結婚するんだ。


だとしたら、久和さんが今言ったように海外での仕事は大変かもしれない。


でも、三崎紗和さんのことを何度も口にするほど彼女のファンだったら、半年くらいあっという間に過ぎるだろうし、二度と経験することのない思い出になると思うけど。


斉藤さんはいまひとつ乗り気ではないようで、久和さんに何やら言っている。


けれど、久和さんは苦笑しながらも首を横に振り「最終決定は俺じゃない。常務だから」と言って取り合わない。


すると、それまでその会話に見向きもしなかった翔平君が食事を終え、箸を置いた。


「紗和はモデル体型を維持するために海外でもなるべく日本食を食べるんだ。もし斉藤くんが同行するなら差し入れに海苔と梅干。それと、貧血気味だからひじきをたくさん用意すれば彼女は喜ぶと思う」


「え……?」


翔平君の言葉にどきりとした私は、ちょうど食べようとしていたブロッコリーを箸から落としてしまった。


運よくお皿の上にころりと落ちたことにほっとしながらも、跳ね続ける鼓動を感じたまま俯く。










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