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初恋24

その日の打ち合わせは思っていた以上に順調に進んだ。


新商品というわけでもなく、季節限定もののラベルのデザインということで、キャラクターや方向性がある程度決められていることが大きい。


イメージカラーは淡いピンクと決まり、前回と同じ少女の笑顔がペットボトルを飾る。


これまで私が描いたデザインの中でもとくにお気に入りの少女の笑顔と再び関わることができて、嬉しくもある。


今日はお願いしていたラベルの試作品ができあがり、早速工場に出向いて私と小椋君とで確認をしている。


飲料水メーカーの担当者も数人混じり、色味や文字の配置などのバランスの調整を行った。


前回、私がデザインしたものが好評だったこともあり、今回はそれなりのプレッシャーを感じていたけれど、メーカーの担当さんからの評価も上々で、ほっと胸をなでおろした。


現在、工場はフル稼働で動くほど忙しく、担当さんの予定がまだまだつまっているということもあり、集中した打ち合わせは、やけに心地よかった。


これまでは先輩のサポート的な立場で打ち合わせに臨んでいたけれど、主担当ともなれば、実務の厳しさだけでなく、心づもりも全く違う。


多少なりとも経験を重ねたせいで欲も出る。


自分が手掛けた仕事が世の中に知られる喜びも知っていく。


打ち合わせで厳しい意見をぶつけられることがあるとしても、この高揚感は気持ちのいいものだ。


どんなに忙しくても、そしてプライベートを犠牲にしても、依頼される仕事はなるべく引き受けると言っていた翔平君の言葉の意味をようやく理解できたような気がした。


仕事に打ち込み成果を上げることが、これほど心地よいものだと知ることができたのだ。


五年近くかかって、ようやく翔平君と同じ職業に就いたと思えた。


大きな賞を獲り、世間にその名を知らしめている翔平君と自分を比べるなんて、恐れ多いとわかっていても、やはり嬉しい。


「お疲れ様でした。今日の打ち合わせの内容を反映させて、早急に調整を入れたものを送りますね。月曜日の夕方になると思いますけど、大丈夫ですか?」


私はパソコンや資料を鞄にしまいながら、飲料水メーカーの久和さんに言葉を向けた。


宣伝担当の久和さんは、これまでいくつものヒット商品を世に送り出した有名な宣伝マンだ。


五十代前半だろうか、これまでの経験が感じられる仕事ぶりを間近で見ることができて、まだまだ修行中の私には勉強することも多い。


「大丈夫ですよ。月曜日は別件で終日出かけるので、いただいたデザインを見るのは火曜日の朝になります。それまでにデータを送っていただければありがたいです」


「わかりました。それまでに完了させて送っておきますね」


「今回試作をしたデザインで役員会の承認はおりてるんです。あとは微妙な変更だけですし、焦らずに手直ししていただければいいですよ」


久和さんは穏やかな口調でそう言って、手元にあるラベルの試作品を手に取った。


「もちろん商品の質が高くなければ売れることはないんですけど、まずは見た目で消費者の心をつかんで手にとってもらわないとどうしようもないんです。……このラベルは、いけると思いますよ」


うんうん、と何度か頷いて、久和さんは私に笑顔を向けてくれた。


「前回の白石さんのデザインも、気難しい役員連中は一発で気に入って即OKだったんです。季節ごとに限定デザインのボトルを投入しようと話が出たのも高齢化が著しい役員会で……いや、失礼」


高齢化という言葉に苦笑しながら、久和さんは「僕も片足突っ込んでるんですけどね」と言っている。


「片足もなにも、久和さんはまだ若いでしょう? それに、伝説の営業マンだって有名だし、僕は今回お仕事をご一緒させていただいてかなり舞い上がってるんです」


私の隣で資料をまとめていた小椋君が、少し興奮気味に口を開いた。


いつも前向きで仕事熱心な小椋君は、同期である私とは比べ物にならないほどの実績をあげている。


これまでにも大きなイベントのポスターや学校案内の制作、そしてかなりの売り上げを記録したアイスクリームのパッケージデザインなど、期待の若手という呼び名に恥じることのない仕事ぶりを見せている。


そんな小椋君が、こうして熱心に久和さんに向き合うのも納得できる。


久和さんが今口にしたことも、小椋君を刺激したに違いない。


仕事を続けるうちに、単なるデザインではなく、「売るためのデザイン」というものの厳しさを知ることとなる。


商品の質とデザインと宣伝力がうまく働いてこそ、商品は売れる。


これに運とタイミングがかみ合えば、最強だ。


「久和さんが担当した商品の多くがヒットして、そして息の長い定番商品となるのは知っていましたけど、今回のこの商品もそうなる予感がして、わくわくします」


小椋君の熱い言葉に、久和さんは嬉しそうに笑った。


久和さんから見れば経験も浅く、子どものような私や小椋君にも丁寧な物腰と言葉遣いを崩さない姿勢には驚かされる。


そして久和さんは、穏やかな笑みを浮かべたまま、小椋君の言葉に答えてくれた。


「この限定商品もヒットするように、あの手この手で売り込みますよ。昨日情報解禁されたんですけど、現在販売中のこの商品のCMにモデルの三崎紗和さんが起用されるんです。もちろん新しいラベルの限定商品にも彼女が登場しますので、売り上げの一助になると思いますよ」


「三崎紗和さん……」


その名前に、私は小さく反応した。


高校生の頃にモデルの仕事を始め、30代に入っても尚女性からの人気が高い綺麗な女性だ。


専属モデルの契約をしている雑誌の売れ行きは他誌の追随を許さないし、ファッションショーでステージに立てば、そのオーラに観客は圧倒されると聞く。


五年ほど前から活動の幅を広げ、幾つかのCMにも起用されているし、テレビでもその姿をよく見かける。


そして彼女は、翔平君や小椋君と同じ大学を卒業している才女でもある。


才色兼備には敵わないと、ため息をついたことも数知れず。


彼女が羨ましくてたまらなかった。


どの世代からの認知度も、人気も高いと聞いた事がある彼女がCMに登場するとなれば、売り上げも期待できる。


けれど、私の心は何か重苦しいものにズンと居座られたようで、手放しで喜ぶことができない。


以前三崎紗和さんと翔平君と付き合っているという噂が世間を賑わせたことがその理由であるのは明白で。


そういえばそのあたりの真実は一体どうなっているのだろうかとふと思った。


翔平君との結婚が現実味を帯びている今、昔の恋愛を根掘り葉掘り聞くのもためらってしまうし。


でも、気になるし。


「白石? どうかしたか?」


俯いた私の顔を、小椋君が覗き込んだ。


「あ、大丈夫……ちょっと驚いただけ」


私は小椋君と久和さんに笑顔を向け、「三崎さんがCMに出てくれるのなら鬼に金棒ですね」と言って落ち込んだ気持ちをごまかした。


えへへっと笑い、沈みそうになる気持ちを無理矢理盛り上げる。


嘘を言わない翔平君のことだから、きっと私が三崎紗和さんとの関係を聞けば答えてくれるだろうけど。


やっぱり聞かなくてもいいや。


今は私を愛していると言ってくれる翔平君の言葉がすべてだ。


それだけでいい。


うんうんと頷いてそう納得した後、工場の人が会議室の片づけを終えたのを確認して、荷物を手にした。


「では、火曜日に手直ししたものを送りますので、よろしくお願いします」


久和さんをはじめ、宣伝部から来られていた方に挨拶をし、頭を下げた。


三崎さんの名前を聞いて動揺した心を落ち着かせるようにひと呼吸置き、ゆっくりと頭を上げる。


周囲の人に私の動揺が見抜かれたわけではないけれど、普段どおりの表情を作れているのか気になった。


工場の人から「お疲れ様でした」と声をかけられ、会議室を出るように促された。


フル稼働しているのは工場のラインだけではなく会議室も同様で、このあともこの部屋を使う予約が入っているらしい。


皆で部屋を出たあと、ロビーを抜けて駐車場へ向かった。


「白石、送ってやるからその前に向かいのファミレスで何か食べよう。ファミレスでランチなんて大学生のカップルみたいだろ?」


隣を歩く小椋君が、声をかけてくれた。


「えっと、その。帰りも送ってもらえるから、大丈夫で……。それに、ファミレスも……」


「は? 送ってもらえるって、水上……さん?」


「うん。そうだけど、どうして知ってるの? 今朝誰に送ってもらったか言ったっけ?」


「……朝早くからわざわざ送ってくれるなんて、シスコン丸出しのお兄さんか、白石が大好きな翔平君しか考えられないだろ」


「シスコンって、まあ、当たってるけど」


呆れたような口ぶりで話す小椋君の言葉に、私もくすくす笑った。


小椋君とは小学生の頃からの付き合いであり、実家同士もご近所ともなれば、家族同士の交流もある。


兄さんの私に対する過保護ぶりも小椋君はよく知っていて、ことあるごとにからかわれている。


「で、今朝はシスコン? それともリボンの王子様?」


そのふたつの可能性しかないとでもいうような強い声で選択肢を示す小椋君。


私はぶっきらぼうなその声に照れながら俯いた。


「黙り込むってことは、リボンのほうだな。今まで白石を放置していた時間を取り戻したくて必死だな」


「必死って、それは翔平君じゃなくて私のほうだし。ようやく、一緒にいられるようになったけど、まだ夢みたいで現実感もないような気がするし」


「翔平君翔平君って、相変わらずだな。ほんと、一途というかしつこいというか」


「しつこいなんて、結構失礼だよ」


小椋君の言葉に大きく反応した私は、思わず強い声で言い返した。


たしかに自分でも、翔平君をしつこく想い続けている自覚はあったけど、どうしても諦められなかったのだから、仕方がない。


きっぱりと諦めるきっかけも、それを強行する勇気もなかったこれまでのあまりにも長い時間。


もしかしたら翔平君も私のことをしつこいって思っていたかもしれないなと、ほんの少し落ち込んだ。


「いまさら何落ち込んでるんだよ。……昨日から落ち込んでるのは俺だっていうのに」


「え? なに、聞こえないけど」


「なんでもない。白石のしつこいくらいの情熱が、俺にも欲しいなって思っただけ。翔平君も、それだけ一途に思われて幸せ者だよな」


「……棒読みで言わないでよ」


「ははっ。悪い悪い」


私の頭をくしゃりと撫でた小椋君は、ほんの一瞬私を見つめると。


「あっという間に持っていかれたな」


ひとりごとのような、かすれた声。


持っていかれたって、何を? 誰に?


「いや、こっちの話。……で、その翔平君はどこで待ってるんだ?」


その場の空気を変えるような小椋君の声に視線を上げると、目を細め、何かに怒っているような、それでいて穏やかな顔。


「えっと、その……」


今小椋君が口にしたファミレスで待ってますとは言えず口ごもった。


言えば絶対にファミレスまでついてきて、私をからかうに決まってるし、できればここでさよならしたい。


昨日別府所長から必要以上にからかわれたあと、事務所のみんなは生ぬるい視線を私に向け、にやりと笑っていた。


興味津々のその様子にはかなり疲れたし、再び今日も小椋君からからかわれるとなると、私の気力は限界だ。


「勘弁願う……」


小椋君には申しわけないけれど、やっぱり帰ってもらおうと悩んだ末に出た言葉に、小椋君だけでなく、私もはっとし顔を見合わせた。


「あ、いや、今日はやっぱり無理だと、そう言いたくて。あの、えっと、翔平君に何も言ってないから驚くだろうし」


くすくす笑い始めた小椋君に、あわあわと弁解じみた言葉をつなげた。


「真っ赤な顔でそこまで断られると、余計に見たくなるよな。翔平君に」


「えー、やだ」


諦める気配のない小椋君にてこずっていると、私たちの前を歩いていた久和さんたちが突然振り返った。


あまりにも私と小椋君の声がうるさくて気を悪くしたのかとドキリとした。


けれど、いつも優しい久和さんが怒るなんて想像できないし。


ほんの一瞬、そんなことを考えて焦った私に、久和さんは問いかけるような視線を向けた。


「白石さんの翔平君って、片桐デザインの水上翔平さんのことですよね?」


にっこりと笑うその表情を見た瞬間、この場にいる全員でのファミレス行きが決定したと理解し、私は肩をがっくり落とした。


同じ業界で働いているのだから、久和さんが翔平君とも仕事をしたことがあるのは当然だけど、こうして一緒に食事をするなんて、思いもしなかった。


私の両隣には翔平君と小椋君が座り、向かいの席には久和さんと部下の男性ふたりが席についている。


工場を出たあと私と小椋君の会話を聞いた久和さんは、『翔平君』というのが水上翔平だと察したらしい。


仕事ができるひとは、どうしてこんなに勘がいいのだろうかと驚いた。


話を聞けば、これまで何度か久和さんの会社の商品のデザインを翔平君が担当したことがあるらしく、ふたりの間にはかなりの信頼関係があるようだ。


翔平君のデザイン力によるものか、久和さんの宣伝力によるものなのか、ふたりが組んだ商品はどれも売れ行きが良く、久和さんの会社では翔平君のスケジュールを抑えるための担当がいるとも言っていたけれど。


翔平君は、「久和さんはかいかぶり過ぎですよ。売れなくて僕ひとりが満足した商品もかなりあるし」と苦笑していた。


そんな翔平君や、部下の人たちにも優しい笑顔で頷いている久和さんから、やり手の宣伝マンという雰囲気は感じられないけれど、翔平君が何度も「久和さんに頼まれたら断れない」と口にすることからも、それは間違いないのだろうと思った。


そして、デザイナーとしてその実力を認められ、輝かしい実績を持っている翔平君が一目置いている久和さんと、まだまだ駆け出しの私が一緒に仕事をさせてもらえることはかなり幸運なことだと実感する。


「最近まで、まさか水上さんと白石さんがお知り合いだとは知りませんでした」


翔平君と私を見ながら、久和さんが驚きながらそう言った。


「はい、兄としょう……水上さんが高校の同級生で、二十年近くの知り合いなんです」


「そうですか、同じ業界でお仕事をされるなんて、よっぽど縁があるんですね」


「同じ業界といっても、私はまだまだ修行中で水上さんの足元にも及ばなくて……」


久和さんの言葉に、私は目の前で手を振り慌てて否定する。










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