初恋20
言葉の端々からも、お見合い相手のイケメンさんに妬いている感情がありありと感じられる。
さらに翔平君との距離が近くなったように思えて気持ちはどんどん弾む。
「行ってこいって言いながら、ここにすごく深いシワができてるよ」
弾む気持ちに素直になって笑い、翔平君の眉間を指先で何度か撫でた。
これは、翔平君が苦しんでいるときにできるシワだ。
翔平君が事故に遭い、私の就職に大きな影響が出たときにも浮かんでいたっけ。
長い時間近くにいたからか、それとも翔平君に愛されているという自信からか。
表情の変化の薄い翔平君の内面を、その目や言葉から、理解できるようになった。
「本当は行って欲しくないくせに」
「……ちっ」
「だから三度目はないって言ってるでしょ。たとえ私のことを考えてのことだとしても、自分の気持ちをごまかして私を手離そうとしたり、ほかの男性に私を譲ろうなんて思っても、もうそんなのだめだからね。翔平君が私と距離をおこうとするのはもうたくさん」
私の口調は思ったよりも強く、それに気圧されたような表情を見せた翔平君は、口をつぐんだ。
翔平君を追いかけるばかりで、自分の感情をあからさまに出すことのなかった私の変化に驚いているのだろう。
自分でも信じられないけれど、一度話し始めた言葉はとまらなくて。
「普段、なかなか本当の気持ちを言わない翔平君が口にする言葉は、全部本音だってわかってる。だから今まで私が期待するようなことは何も言ってくれなかったってこともわかってる。だから、こうして私を捕まえたのなら、二度と離さないっていうこともわかるから。何を言っても無駄だよ。もう、私は離れないから」
翔平君の目の中にあるほんの少しの不安を溶かすように、そう言った。
きっと、あの事故からずっと抱えてきた私への遠慮もその中にはあるのだろうけれど、この際それも溶かしてしまいたい。
「それに私が今の仕事で満足できるようになるまで待つっていうなら、還暦過ぎちゃうよ。奥が深い世界だっていうのは翔平君が一番わかってるくせに。だから、腹をくくってよ。嫉妬されるのは嬉しいけど、嫉妬に満ちた言葉よりも甘い言葉を言ってもらえるほうがいい」
自分の気持ちに素直になれば、次々と本音が口を突いて出る。
私って、こんなに上手に話せたんだなと、自分の新たな面を見つけたようで新鮮だ。
そして、そんな自分の想いをしっかりと聞いてもらえることは、とても幸せだと実感する。
ほんの少しの照れくささと、かなりの満足感。
思わず漏れる笑い声を我慢できない私に、翔平君はふうっと大きく息を吐いた。
そして、私の顔の両側に置いていた腕の力を緩め、その顔を私の首筋に埋めた。
翔平君の体重が加わった私の体はソファに深く沈み込み、心地よい拘束感でいっぱいになる。
もっと近づきたくて、翔平君の頭を両手で抱きしめた。
すると、耳元に「まいった……」と苦しげな声が聞こえた。
「萌……。おまえ、いつのまにそんなに口がたつようになったんだよ。もう、ほんと、年甲斐もなくめちゃくちゃにしたいんだけど」
「め、めちゃくちゃ……」
「このまま萌の中に俺の全部をぶち込んで、十か月後には家族をひとり増やしてもいいんだぞ」
首筋に顔を埋めたままささやかれる言葉はくぐもっていて、おまけに表情が見えない。
どこまで本気なのかわからないけれど、もしもそれが実現するのなら、かなり嬉しい。
私だってもう二十七歳なんだから、それは現実的な話でもあるし、第一、愛する人の子どもを産める幸せ、味わってみたい。
男の子だったら家に翔平君がふたりいて楽しみが二倍だし、女の子だったら翔平君の素敵なところを母と娘で見つける競争をしたり。
うん、これは、たとえ娘相手でも絶対に負けない自信がある。
そうか、家族が増えるって、本当に楽しいことなのかもしれない。
十か月後でも遅いくらいだ。
「翔平君の分身、産みたいなあ」
胸に抱きかかえている翔平君の頭を撫でながら、思わずつぶやいた私に、翔平君はぴくりと体を震わせた。
「産みたいって……お前、ほんとに。いつから……。他の男にはそんなこと言うなよ」
「え?言うわけないし。だって、産みたいのは翔平君の子どもだもん。何を心配してるの?」
「……小悪魔な処女だな」
「しょ、しょ……」
翔平君の口から洩れた言葉に、私は大きく反応して口ごもった。
翔平君の頭を抱きしめる手に力が入り、翔平君は何度かむせた。
そうだった。
私、子どもを産むどころか、そのための経験はまるでない。
キスから先の何から何まで想像の域を出ないというのに、子どもを産みたいだなんて、かなり思い切った発言だったかもしれないと気づいた。
「まあ、今日は家族づくりは我慢しよう。こうして萌の胸に赤い花を咲かせるだけで我慢しておく。だけど、すぐにここで一緒に暮らすから、そのときは覚悟してろよ。俺に腹をくくれって言うんだから、萌も腹をくくって俺に抱かれろ」
体を起こし、私の額にかかった髪を梳きながら、翔平君がにやりと笑った。
その声は一気に艶を帯び、私の焦りを見透かしているのがよくわかる。
「俺だけの、ってしるし。キスマークなんて、今までつけようって思ったことなかったのにな」
今までって言葉が気になりつつも、翔平君に胸の先端に痛みを落とされ、その周囲にキスマークをつけられていると、そんなのどうでもよくなってくる。
既に翔平君は三十五歳、今までの恋人とそんな機会もそれ以上のこともたくさんあっただろうし。
気にしても、仕方がない。
今は私の胸元に、夢中で花を咲かせる様子が愛しくてたまらない。
「翔平君……」
思わず、掠れた声も出てしまう。
「これ以上、おねだりしても今日はだめだからな。我慢しろよ小悪魔め」
「が、我慢……しなくて、いいよ」
体全体に染みわたる刺激に促されて、普段の私には絶対に言えない言葉だって出てくる。
胸だけでなく、甘美な刺激とそれ以上を求める欲求が体全体に満ちている。
翔平君に抱かれたいと、私のすべてで伝えていると言うのに。
「あのなあ、俺だって我慢してるから、これ以上煽るな」
「どうして、我慢……」
翔平君も私も、これ以上の深いことをしたいと、抱き合いたいと求めているのなら我慢する必要はないと思うのに。
それに私を見つめる翔平君の瞳からは、これまで見たことのない欲求がたしかに見えるのに、何故、我慢?
すると、そのとき。
来客を告げるベルが、部屋に響き渡った。
「我慢の理由はこれだよ。萌は忘れてるみたいだけど、両家の親がいそいそやって来たみたいだな。……まったく、芸能人のスケジュールに合わせるとこれだから困る。夜中に人の家にお邪魔するなんて、遠慮しろよな」
私の唇に軽くキスを落とし、翔平君は身体を起こした。
「萌も早く服を整えておけよ。俺が狼になって萌をいただいたって誤解されるぞ」
くすくす笑いながら、翔平君はソファを降りてリビングの壁のモニターを覗いた。
「おーお。四人おそろいで嬉しそうにしてるぞ」
振り返った翔平君の顔も嬉しそうで、私の気持ちもぐっと温かくなる……なんてことをゆっくり喜んでいる場合じゃない。
「ど、どうしよう、ちゃんと服を着て、コーヒーの用意でも……やだ、ブラが落ちちゃってどこに……」
翔平君との甘い時間に浸り過ぎて、両親たちが来ることをすっかり忘れていた自分を叱りながら、私は急いで身なりを整える。
私の慌てる姿を見ながら、翔平君はモニター越しに「取り込み中だから、五分後に上がってきて」と言っているし。
キスマークは見えないだろうかとか、翔平君と並んだ私の顔は緩んでないだろうかと焦る気持ちは最高潮だ。
翔平君に見られないようにブラウスで素肌を隠したまま、どうにか身につけたブラジャーのホックに悪戦苦闘していると、またもや慣れた手つきで翔平君が完了させてくれた。
「あ、ありがとう」
振り返り、照れる気持ちを隠しながらそう言うと、翔平君が背後から私を抱きしめてくれた。
私のお腹の上で交差された翔平君の腕に手を置いて、その温かさに浸りたいと思いつつ。
「急がなきゃ、母さんたちが来るよ」
「ん。……多分、俺と萌のこれからについて、俺たち以上に楽しく語り明かすと思うぞ」
翔平君の優しい声が耳元に響く。
その声からは、両親たちに負けず、翔平君もこの夜を楽しく過ごそうとしているのがわかった。
両親たちの訪問を面倒だと思っていない翔平君の気持ちを察することもできる。
私としては、できれば今夜はふたりきりで過ごしたいと思わなくもないけれど、ここ数日の慌ただしい流れをきちんと収束させるためにも、そして。
「早く、翔平君とのんびり一緒に暮らしたい」
そのためにもお見合いを断ったことによる影響だとか、甘いだけではない話もしなければ、と覚悟している。
母さんや翔平君の口ぶりからは、大した問題はなさそうだけど、当人が何も知らないままで終わらせるなんてできないから、ちゃんと聞かなくては、と気持ちを引き締めた。
……というのに。
どうにか引き締めた私の気持ちを再びゆるゆるにするように、翔平君が私を強く抱きしめる。
背中から伝わる体温が普段以上に熱く感じて、足元の力が抜けそうになる。
「萌、次は我慢しないから。ま、家族作りは結婚してからだけどな」
吐息に紛れたその言葉に私の心はほどけ、体すべてを翔平君に預けた。




