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初恋2

「昔はいつでも俺に『おいしいご飯おごって』とかなんとか、まとわりついてたくせに、就職した途端寄り付こうともしなくなって、かわいくねーんだよ」


ふん、と吐き捨てるような声に、思わず顔を逸らした。


「どうせ、かわいくないもん」


「だな。全然、かわいくねえ」


「だったら、放っておいてよ。翔平君の周りのかわいくて綺麗な女の人を思う存分かわいがって、なんでもおごってあげればいいじゃない。こんなチョコレートを全種類買うような私とは違う、オトナの女」


そのとき、レジを打つ男の子が私たちに面倒くさそうな視線を投げてきた。


「一緒に打っちゃっていいんですかー?」


不機嫌な気持ちを露わにして聞いてくる。


「ああ、一緒でいいから」


「だめ、だめです。自分で払います」


翔平君の言葉を遮るように反論すると、さらに不機嫌な顔が向けられる。


「どっちでもいいんですけど、痴話ゲンカは外でやってください。後ろにお客さん並んでるんですよね」


バイトくんは、私の後ろに並んでいるお客さんたちに視線を投げる。


はっと気づいて後ろを向くと、何人かのお客さんがレジの順番を待って並んでいた。


「あ、すみません」


慌てて頭を下げていると、たちまちレジ打ちは終わったようで、翔平君がお金を払っていた。


私が払うからと再び口にしようとしたけれど、相変わらず不機嫌そうなバイトくんにチラリと強い視線を投げられて、思わず口を閉じた。


「帰るぞ」


私に袋を渡しながら、翔平君はお店の外に出た。


「そのチョコ、ちゃんと食べろよ。パッケージだけでなく味も絶品だ」


「え……。う、うん」


見上げると、苦笑している翔平君と目が合った。


私をからかうような、それでいて嬉しそうな表情を向けられると、昔の翔平君の笑顔を思い出す。


いつも柔らかな愛情で包んでくれた、あの頃の翔平君の面影を今も探している。


「パッケージ、気に入ったか?」


探るような声を聞いて、ふと我に返る。


もしかしたら、ううん、きっと翔平くんは私がこのチョコを買った理由に気づいている。


もちろん、チョコが大好きで、気になる新製品だからこそ買ったけれど、理由はそれだけじゃない。


この新商品たちには、特別な意味がある。


新製品だけでなく、濃厚な甘さにほれ込んでいるもうひとつのチョコにも同じ意味があるのだ。


翔平君はそれに気づいているに違いない。


袋の中に無造作に放り込まれたチョコたちを覗き込み、複雑な想いでいると。


「で、今はどこに住んでるんだ? 最近引っ越したって聞いたけど?」


どう聞いても機嫌がいいとは言えない低い声に我に返り、身をすくませた。


「このコンビニで会うってことはこの近くなんだろ? 送るからどこか教えろ」


「えっと、すごく近いし、別にひとりでも平気。気を遣わなくてもいいよ」


「四の五の言わずに教えろ。こんな深夜に女のひとり歩きなんて、襲ってくださいって言ってるようなもんだろ」


翔平くんの荒々しい声にぴくりと体を揺らす。


お説教じみたことばかりを私に言う翔平君には慣れてるけれど、久しぶりに聞くと必要以上にびくびくしてしまう。


「今までもずっとひとりで帰ってたけど何もなかったし大丈夫だよ。翔平君だって疲れてるでしょ? 気を遣わなくてもいいよ」


へへっと笑い、そう言ってみたけれど、眉を寄せた表情には変化がなく、私の言葉に頷きもしない。


私が今どこに住んでいるのかを教えるまでこの場を動かないとでもいうように睨みつけてくる。


右足に重心をかけて、胸の前で腕を組むその姿は怒りのオーラ全開だ。


「そんな、怖い顔しないでよ。昔は優しかったのに」


「女ひとりを夜道に放り出す男が優しいっていうのか?」


「そういう意味じゃないよ。昔は私を単純にかわいがってくれたのに。今みたいに私を睨むこともなかった」


そう言って、コンビニをあとに歩みを向けるのは、私の住むマンションだ。


口では送らなくてもいいって言いながら、送ってもらう流れを作っているのは私なのか翔平君なのか。


ゆっくり歩く私の半歩後ろからついてくる翔平君を意識しながら、ただ前を見て歩き続けた。


コンビニから家まで、歩いて三分ほどの道のり。


翔平君が心配する必要なんてないのにと思いながらも、この時間が少しでも長く続けばいいと無意識に歩みが遅くなる。


「毎日こんなに遅い時間にひとりで歩いてるのか?」


「……そうだけど」


「ったく、樹は何やってるんだよ。俺には萌がどこに引っ越したのかも言わねえし」


翔平君は小さく舌打ちし、怒りの矛先を兄さんに向けた。


兄さんが私の引っ越し先を言わないのはきっと、翔平君に片思いしている私を気遣ってのことだろう。


私がひとり暮らしをしている場所を知れば、心配性の翔平君のことだから、毎日でも私の家にやってきてはいろいろ世話をやくに違いない。


そうなればきっと、私がさらに苦しむと思い、黙っているに違いない。


「兄さんは、私がこれ以上翔平君に頼らないようにって考えてるんだよ、きっと」


「は? シスコン極まりないあいつにそんなこと言われても、説得力ないだろ」


ぶつぶつとつぶやきながら歩く、翔平君の子供っぽい様子に安心する。


昔から知っている翔平君が目の前にいる。


仕事で大きな結果を出し、その名を知られるようになった翔平君。


そのせいで遠い存在になってしまったと寂しく思うときも多いけど、再び近づけたように感じて嬉しくなる。


とはいっても、これ以上近づいてはいけない現実を思い出し、再び私は冷静になる。


「樹が萌のひとり暮らしを認めるなんて、あいつバカじゃないの? 理解できない」


兄さんへの不満はまだまだ続いていて、本当にデザイン界の顔と言われている人なのかと笑えてくる。


雑誌で見せる整った顔はいつも優しくて口元も上がっているというのに、私と会えばいつも小さなお小言ばかり。


私が大学に入ってからそれはとくに顕著で、兄さんや父さんよりも私に厳しく接するようになった。


大学時代には、サークルの仲間と飲んだ帰りにたまたま会った翔平君にその場で叱られ、二次会に行くなんてもってのほかだとそのまま家に連れて帰られたこともあった。


多少酔っていた私は気が大きくなっていたのか、普段は口にしないような言葉をつぶやいては翔平君に抵抗したけれど効果はなくて。


タクシーが家の前に着いた途端、あらかじめ連絡を受けて玄関で待っていた兄さんに引き渡された。


『大学の友達と飲むくらい、いいだろ?』


翔平君に無理矢理連れ帰られた私を不憫に思った兄さんが呆れたようにそう言ったけど、そんな言葉は焼け石に水で。


『お前がちゃんと見張ってないから男どもに言い寄られるんだろ。何かあってからじゃ遅いんだからな』


あんなに怒った翔平君を、あれ以来見たことがない。


私と兄さんはその場でぴくりとし、直立不動のまま何も言い返せなかったっけ。


言い寄られていたわけではなく、仲間との宴を楽しく過ごしていただけなのに。


と言い返したくても言い返せない空気がその場を包み、一気に酔いも醒めた。


私を心配するその様子は家族以上にあからさまで、私のすべてを監視しているような勢いもあった。


どちらかというと、「もう大学生だし、成人しているし」という温かい目で私の好きにさせてくれる家族と違い、翔平君の私への態度は極めて厳しかった。


そういえば、兄さんと翔平君は昔から小さなケンカを繰り返していたけれど、その原因の半分以上は私のことだったなと、思い出す。


私が高校に入学したときにも、制服姿の私を見ながら「かわいい」を連発していた兄さんに対して、翔平君は「スカートが短すぎる」と言って怒っていた。


大学受験のときも、「そろそろ自立してもいいんじゃないか」と言っていた家族の大らかさとは対照的に、「女の子のひとり暮らしなんてだめだ」と言ってひとり暮らしを断固反対した翔平君。


そのせいで、私は自宅から通える大学に進学した。


希望する学部があったからいいものの、なくてもきっと翔平君に押し切られていたに違いない。


兄さんは、そんな翔平君にいつも呆れていたけれど、結局最後は折れていた。


頑固な翔平君は、一度言い出したことは絶対に変えないとわかっているからだ。


「樹も俺も、こうして毎日送ってやれないんだから、防犯ブザーを持つとかして気を付けろよ」


ぶつぶつ言いながらも、翔平君は私の隣りに並び、一緒に歩いてくれる。


たとえ呆れた声で怒られて、厳しい視線を投げられても、翔平君が隣りにいるだけでほっとする。


駅から近いし大丈夫だと思いながら帰っていた夜道だけれど、やっぱり私は気を張っていたんだなと実感した。


隣りを歩く翔平君の存在が嬉しくて仕方がない。


一旦その気持ちに気づいてしまうと、明日からひとりで帰るのが怖くなりそうだけど、とりあえず今はそれには気づかない振り。


「防犯ベルはちゃんと持ってるよ。それに仕方ないでしょ? 仕事しないわけにはいかないんだから」


私の強気な言葉に、翔平君は大きなため息をつく。


私がこうしてひとりで夜道を歩くことがかなり心配らしい。


身内である兄さん以上に私の行動に気を配り、何かと手を差し伸べてくれていた翔平君。


今では私にお説教じみたことばかりを言っては眉を寄せ私を叱る。


優しい瞳と穏やかな声で私を守ってくれていた子どもの頃が懐かしい。


「萌、お前もう少し早く帰れないのか? 毎晩こんな夜道をひとりで帰っていたら、そのうち妙な男に襲われるぞ」


隠すことのない怒りを含ませた声で私にそう言うと、翔平君は突然私の手を取り、ぐっと引き寄せた。


その反動で、私は思わずその胸に飛び込んでしまった。


「あ、ごめんなさい」


慌てて体制を立て直し、その胸から離れた。


「ほら見ろ、男に腕でも掴まれたら逃げることなんてできないんだ。もう少し早い時間に帰るか職場を変えろ」


私の手を離さず、それどころかさらに強い力で握りしめた翔平君がそう言った。


「翔平君……。無茶言わないでよ」


職場を変われなんて、簡単にできるわけないのに。


「翔平君だったら手を挙げればどの事務所でもすぐに入れるだろうし、独立して自分の事務所を立ち上げることもできそうだけど。私にそんな選択肢はないんだから」


私はそう言って翔平君の手をそっと離すと、マンションに向かって再び歩き始めた。


数歩歩いたところで、翔平君が私のあとをついてきてくれていると気配で感じ、ほっとした。


兄さんの親友であり、悪友でもある翔平君は、私より八歳年上の売れっ子デザイナーだ。


商業デザインを手がけていて、その名前を知る人は多い。


翔平君が手がけた商品はどれも評判がよく、売れ行きも好調だ。


大きなイベントのイメージキャラクターや学校の校章をデザインすることもあり、そのどれもが高い評価を得ている。


私も同じ業界で働いているおかげで翔平君が携わる仕事に関しては細かいことまで知ることができ、そのたびに自分との距離が開いたと感じて落ち込んでしまう。










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