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初恋17

「そうなんだ、まあ、失恋したからってすぐにお見合いに逃げるのもどうかと思うし、それが正解なんじゃないか?」


「うん。お断りして、良かったんだけどね。だって、その……失恋、ってのもちょっと違って」


「え?」


これまで翔平君との関係を嘆く私の側で見守っていてくれた小椋君に、どう言えばいいのやら、悩む。


長すぎる初恋、おまけに片思いなんていう悲劇のヒロインのようなシチュエーションをぐずぐずと語る私を突き放すこともせず、反対に励ますこともせず、ただ見守ってくれた。


いざ翔平君と気持ちを寄り添わせることができたといっても、照れもあるし、これまで私が嘆いては落ち込んでいた時間は一体なんだったんだと呆れられそうだなとも思い、なかなか切り出すことが出来ない。


言わないわけにはいかないんだけどと考えていると、別府所長が楽しそうに口を開いた。


「白石さんは初恋を実らせたという幸せ者なんだよ。二十年近く? ずーっとしつこく翔平君を好きだったなんて驚きだけど、おめでとう」


「あ、あの、ありがとうございます……でも、どうして」


「ん? 昨日水上美乃里の新しいCMの発表会があったんだけどさ、その商品のデザインを僕がしたから、招待されて。で、休憩のときに翔平君から電話があった」


「え、翔平君から? 昨日一緒にいたのに」


「へえ、昨日、一緒に?」


からかうような別府所長の目に、私は思わず口をつぐんだ。


何かを知っているような視線がやたら私を刺すようで、もじもじしてしまう。


「昨日からずっと一緒にいたんだ? 朝まで……って聞くのも野暮だな。その印はしっかり見えてるし」


「印?」


「今日はハイネックのセーターがいいって翔平君に言われなかったか? あ、わざと見える服を着せたとか。彼もクールな見た目によらず、自分のものは自分のものってちゃんと主張するってことか」


「見えるって、何が見えるんですか?」


別府所長の言葉が理解できず、問い返した。


すると、何故か小椋君が立ち上がり、机に身を乗り出して私をじっと見る。


その様子があまりにも真剣で、私は思わずあとずさったけれど、その先には別府所長がいて、身の置き所に困ってしまった。


「所長、どういう……」


小さな声で問う私に、別府所長はくすりと笑い「白石さんも、いいオトナだから、気にすることはないんだけどさ」とつぶやいたかと思うと。


私の首筋を人差し指でするりと撫でた。


「ニットのセーターの襟元ぎりぎり。赤いキスマークがしっかり。絶対わざと見える場所につけてるな。俺も男だからよーくわかる。若い頃は嫁さんに怒られても怒られてもつけてたし。……え? 気づいてなかったのか?」


「あ、えっと、キスマークなんて、つけられたことないし、その」


別府所長がなぞったあたりを手の平で確認しても、それがわかるわけもなく、キスマークなんてどういうことだと焦ってしまう。


焦りながらも心当たりがいくつも浮かんでくるし、別府所長の笑顔は次第に大きくなるし。


「その赤いの、俺も気になってたんだけど、まさか翔平……?」


小椋君は私の首筋を凝視しながら力なくそう口にした。


私だって簡単に呼ぶことに慣れていないのに「翔平」と気安く呼び捨てにできる小椋君を羨ましいと、場違いな思いを浮かべる自分を横におしやり、小さく頷いた。


「あの、世の中には思いがけない展開ってのがあるみたいでね。一発逆転満塁ホームランとでもいうか」


あはは、と笑いながら首筋を手で隠す。


それがさらに小椋君の視線を引き寄せているような気もするけれど、気にしない振り。


そのとき、別府所長が再び口を開いた。


「翔平君は、とうとう白石さんに陥落。お見合い相手に直接会いに行って頭を下げてお見合いを断ってきたらしいぞ。それほど若くもないのに、そんな情熱がどこにあったんだろうなあ。美乃里も電話でそれ聞いて言葉を失ってた」


「若くないってのは余計です」


「はは、悪い悪い。でも、羨ましいんだよ、好きな女のために頭下げるなんてよっぽどの想いがなきゃできないし、ある意味プライド捨てなきゃ無理だろ」


「……たしかに」


その言葉に同意しつつも、別府所長はどこまで事情を知っているんだろうかと不思議に思う。


それに、美乃里さんが翔平君からいろいろと報告を受けているのも驚きだ。


翔平君とご両親の関係が悪いわけではないし、お互いを思いやる気持ちがあるのは知っているけれど、まさか昨日のうちに話しているとは思わなかった。


「美乃里、本当に喜んでたぞ。年も離れているし、翔平君は恋愛にクールだから、白石は翔平君を諦めてほかの男のものになるんだろうって覚悟していたみたいだ」


「覚悟なんて、おおげさです」


「白石と翔平君がまとまったことがそれだけ嬉しいってことだな。とにかく良かった。……ということだ、小椋」


別府所長は声音を変え、視線を小椋君に向けた。


それにつられて私も小椋くんを見れば、机に両手を突き、じっと私を見つめている瞳。


強い力と暗い感情を乗せている瞳に射られているように感じて、ふっと息をつめた。


「白石は翔平君が大好きで、ほかの誰も目に入らない女だ。わかっていただろうけど、それがこの先変わることもない。翔平君の気持ちも白石のものだとなれば、ふたりの関係は鉄壁。この意味、わかるな?」


「……わかりたいとは思わないですけど、まあ」


別府所長の言葉に一拍置き、渋々頷いた小椋くんは、すっと体の力を抜きずるずると椅子に座った。


背もたれに体を預け、一度大きく息を吐き出すと。


「所長、何もかもお見通しだっていうその口ぶり、ちょっとむかつくんですけど。だけど、そっか。あの翔平君が陥落か。おまけに、あの水上翔平だったら、俺が敵うわけないだろ」


視線をさまよわせながら、そう言った。


別府部長は何をお見通しなんだろう、おまけに翔平君が陥落って。


私は別府所長と小椋君のやり取りが理解できず、交互にふたりを見る。


肩をすくめて口角を上げた別府所長の明るさに対して、眉間を寄せている小椋君の沈んだ様子に戸惑わずにはいられない。


仕事をしている同僚たちも、チラチラと様子をうかがっている。


私に事情を問いかけるような視線を向けられても、私にもさっぱりだ。



すると、その場の空気を変えるように、別府所長が大きな声をあげた。


「さすが俺の秘蔵っ子だと評判の小椋だ。世の中にはどうにもならないことがありすぎるってすんなり受け入れられるところ、俺に似て男前な奴だ。かわいいぞ。よし、そのご褒美だ、おっきな仕事をお前に任せよう」


「……え? 仕事?」


戸惑う小椋君の声につられて私も別府所長を見ると。


「来年開催される博覧会に並ぶ、自販機のデザインだ」




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