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初恋15

毎週土曜日は休日のはずなんだけどと考えながらも、そう言えばとふと気づく。


「そうだ。新しいラベルの確認だ」


「正解。白石渾身の傑作ラベルの第二弾。それを忘れるなんてどういうことだ?」


「わ、忘れてたわけじゃ……」


「嘘つけ」


「まあ、明日が確認の日だったのは忘れてたけど」


眉を寄せ呆れた顔を見せる小椋君に言い訳をしながら、ごまかすように笑顔を作った。


たしかに明日はラベルのサンプルが出来上がる日で、印刷会社さんに出向いて色のチェックをすることになっていた。


私のイラストが採用されたペットボトルは売れ行き好調で、来春には新しい絵柄の限定ボトルが発売されることになっている。


最初のラベルで描いた女の子を再び登場させることと、春だけの限定商品ということで、季節感のあるイラストというのがメーカーさんからの指定だった。


私が手がけた中で一番大きな仕事だった前回は、ただ夢中でイラストを描き楽しむこともできたけれど、それは私の作品がまさか選ばれることはないだろうという軽い気持ちもあったからだ。


けれど今回は指名をいただいた時点で商品化は決定されていて、デザインのテイストも納期もしっかり伝えられた。


サポートではなく、自分の力で多くを進めていかなくてはならないプレッシャーは半端なものではなかったけれど、一方では大きなやりがいも感じていた。


メーカーの宣伝部の方からの指名だったらしいけれど、これまでサブ的な立場でしか仕事をしたことがない私には青天の霹靂で、本当に驚いた。


この仕事を始めてまだ五年、されどもう五年。


既に自分の名前で仕事の依頼を受けている小椋君に比べればまだまだ不安定だけれど、ようやくこの世界にいてもいいんだという後押しをもらったようで、ほっとしている。


別の仕事に就こうとしていた私にとって、自分が選んだ未来は間違っていなかったと教えられるようでもあり。


そして、誰から言われたわけでもなく自分自身で選んだ仕事だというのに、やたら私への申しわけなさを口にする翔平君への複雑な想いがあるのも事実で。


何度も私の未来を変えてしまったと負の感情を露わに見せる姿は「なんだか、もう面倒くさい」のひと言に尽きる。


仕事で成果をあげ、それを誇らしく思うことで翔平君の気持ちを楽にすることができるのならば一石二鳥。


そんな意味合いも含め、私は今、仕事が楽しくて仕方がない。


……とはいっても、明日の打ち合わせをすっかり忘れていたなんて、まだまだ甘いと実感する。


「現地に十時だけど、車で迎えに行ってやろうか?」


小椋君の言葉をありがたく思いながら、ふと考える。



「電車でも行ける場所だったよね、たしか」


打ち合わせ予定の印刷会社に行くには、自宅からだと電車で一時間ほどかかる。


大きな印刷機器を何台も動かすためには広い用地が必要で、工場は市街地から少し離れた郊外にあり、前回のラベルの確認のときにも行った。


業界でもトップを争う売上高を誇るその会社はあらゆる仕事を抱え、繁忙期になると休みなしで印刷機器を動かしていると聞く。


現在も仕事がたてこんでいて、明日しか打ち合わせの時間をとってもらえないほどだ。


私と小椋君は本来なら土日は休みだけれど、そんなことは後回しで対応しなければ納期に間に合わない。


打ち合わせの日程を忘れていた理由は引っ越しの後片付けでばたばたしていたことが一番にあげられるけど、翔平君が結婚すると聞いてそのことばかりに気持ちを向けてしまったこともそれに負けないくらい大きい。


兄さんからそのことを聞いて落ち込んでしまった私に持ち込まれたお見合いの話だって、受けたあとも仕事どころじゃないほど気持ちの浮き沈みは大きかったし。


ようやくそれも片付いたのだから、目の前の仕事に集中しなければならない。


「小椋君の家からうちに来てもらったら遠回りだから、電車で行こうかな。うちから駅まで近いから大丈夫だよ」


「遠回りっていっても五分か十分くらいだろうし、白石を迎えに行くくらいどうってことない」


「でも、電車でも、平気……」


「ラベル以外でも幾つか抱えてる案件があるだろ? 途中、打ち合わせもしたいんだ」


「え、でも」


「火曜日が納期のものもあるし、ちょうどいいだろ」


たしかにそうなんだけど。


小さなデザイン事務所だとはいっても、仕事の量はかなりある。


社員が少ないのもあり別府所長をはじめ、どの社員も複数の案件を同時に抱えている。


小椋君と一緒に進めているものもあれば、ほかの先輩や後輩と組んでいるものもある。


もちろん私ひとりで仕上げるものも多い。


「商店街のセールのチラシのデザインが最優先だよな。それと駅前の料理教室のポスターも急いでるよな」


「うん。でも、商店街のチラシならほとんど仕上がってるし、商店街の会長さんもOK出してくれたから、大丈夫」


わざわざ車内で打ち合わせをする必要はないし、小椋君にはほかにも急いでいる仕事が多いはずだから、やっぱり明日は電車で行こうと思ったけれど。


小椋君はそんな私の気持ちを拒むように言葉を続ける。


普段の飄々とした様子とは違う押しの強さも感じて、戸惑ってしまう。


「とにかく遠慮するなよ。小学校時代からの仲なんだから、迎えに行くくらいどうってことない。それに、白石の新居に興味もあるしな」


「あ、うん。ようやく片付いたからそろそろ事務所のみんなを招待してもいいかと思っていたんだけど……あ、でも」


引っ越しのあとダンボールが積み上げられていたリビングを整理して、ようやく心地のいい空間が出来上がり、そろそろ、と私も思っていたけれど。


はっと思い出したのは翔平君のにやりと笑っている顔だ。


昨夜私の家に泊まった翔平君は、私の家ですぐに一緒に暮らすことを諦めたとはいえそのための準備を早急に始めると宣言した。


既に私の両親はそのことを了承しているらしいし、兄さんも「萌を泣かせるなよ」と言いながら、自分が涙を浮かべていたというし。


翔平君のことだから、早急と口にしたのなら本当にその通りに段取りをととのえるはずだ。


事務所の人たちに家に来てもらうとなれば、翔平君が我が家にいないときを狙うほうがいいのか、それともいっそ紹介してしまおうか。


でも、紹介するとなれば、私との関係はどう説明すればいいのだろうか。


恋人だと紹介するのは照れるし、うーん、悩ましい。


「白石?」


「え?」


「顔、やっぱり変だぞ。一度はおさまったのに、またにやけてどうした?」


「なんでもない、それににやけてないし」


向かいの席から私の顔を覗き込むように体を前に寄せてくる小椋君の視線を避けて俯いた。


翔平君のことを考えただけで恥ずかしくなるし、気のせいではなく、顔が熱くてたまらない。


私をじっと見つめる小椋君の視線を避けるように、ちょうど手元にあったファイルをぺらぺらとめくった。


「えっと、とりあえず、明日は電車で行くから、最寄駅で拾ってくれる? 駅から遠いからそうしてくれると助かるし」


「だから家まで迎えに行くって言ってるだろ?」


「それはいいよ。私、今日実家に顔を出すことになっててそのまま泊まるかもわかんないんだ。だから、電車で行くほうが気楽だし」


へへっと笑いながらも、この話はこれで終わりだというようにちょっとだけ強い口調でそう言えば。


「……わかったよ。じゃ、向こうの駅で九時半に待ってるから遅れずに来いよ」


渋々ながらも頷いてくれた。


口元をきゅっと結んだ表情は小学生の頃と変わらなくて、いたずらが大好きな少年のままだ。


入学式で隣りの席に座り、落ち着かないまま校長先生の話を聞いていた私たちの緊張感もよく覚えている。


あの頃は私のほうが背が高かったから、小椋君はそれを気にしてやたらと突っかかってきたっけ。


勉強も運動も、何もかも小椋君のほうが優れていて、私は何ひとつ敵わなくて悔しい思いをしていたけれど、唯一身長だけが彼よりも高かった。


小学生の平均身長を考えれば、女の子の背が高いことはおかしくないけれど、単純な子ども時代、小椋君にとってそれは最重要項目だったようで、給食の牛乳は友達の分まで飲んでいたし、『寝る子は育つ』と言って、毎日早く寝ていたらしい。


早い時間に寝るために勉強も習い事も集中して済ませ、週末には野球チームでの練習や試合に没頭していた小椋君が初恋の相手だと振り返る同級生の女の子は多い。


おまけに成績は抜群で、性別問わず人気のあった小椋君は小学校を卒業するときには私よりも背が高くなっていた。


『白石の頭のてっぺんが見える』


そう言って卒業証書が入った筒でポンと私の頭を叩いたときの笑顔は今でもよく覚えている。


よっぽど身長のことを気にしていたんだなと気づいて驚いたけれど、その後中学、高校と同じ学校に進み、ぐんぐんと背が伸びていく小椋君を見るのは私の楽しみのひとつとなった。


中学以降、バスケ部でその才能を開花させた小椋君は身長だけでなく学力の伸びも半端なものではなく、全国模試の順位で一桁を叩き出すことも多かった。


バスケで鍛えられた体型と、笑うと子どものようなくしゃりとした顔。


いたずら好きな明るい性格も相まってかなりの人気者となった彼との12年間の思い出は楽しいことばかりだけれど。


ふたりの距離が縮まったきっかけは、小椋君のたわいもないいたずらだった。


『毎日このリボンつけてるんだな』


小学校の書道の時間、私が頭につけていた翔平君にもらったお気に入りのリボンをほどいた小椋君。


お兄さんはいても姉や妹がいない小椋君にリボンに触れる機会はそれまでなくて、リボンが簡単にほどけてしまうことやその軽さを、彼は知らなかった。


軽い好奇心といたずら心。


つい触れたリボンは小椋君の指の間をするりと抜けて落ち、そのまま墨汁が満ちていたすずりに吸い込まれていった。


それを見た私はショックのあまり声も出ず、気づけば小椋君の頬をグーで殴ってしまった。


普段おとなしくて感情を大きく荒げない私のその一発はクラスに大きな衝撃を与え、もちろん小椋君本人が一番びっくりしていた。


そして、双方の親が学校に呼び出されての謝罪合戦。


小椋君のご両親は「女の子はいたずらするものじゃなくて守ってあげるものだ」と言って小椋君を叱り。


私の両親は「男の子にからかわれてもそれを笑って受け止める余裕が女の子には必要だ」と言って私を諭した。


暴力はいけないけど、小椋君ももう少し落ち着こう、という先生の言葉によりけんか両成敗。


私と小椋君はともに謝り、そしてそれをきっかけに何故か仲良くなった。




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